終章 復活

文字数 7,106文字

「生きることは辛いし、楽しいことでもあるんだね」
 地上に戻ったミカエルはそんなことを微笑んで言った。
 それは機械である私には理解し難い感情だった。何故彼はあんなことを易々と引き受けるのだろう? 
「こーら、マザー、聞いてるの? ミカエルのあの姿を見させる為に私はわざわざあなたを地獄まで連れて行ったのよ」
 意味が判る様で判らない。何故彼女は私を敢えて地獄になど連れていったのだろう?
 思えば、ここ最近解らないことばかり増えた気がする。
「何だかよく解らないって感じだね?」
 少年は無邪気に尋ねてくる。
「………………」
 私は言い様がなくて無言になる。
「何て言うか、あんたは寡黙になったわね。まあ、良いじゃない。迷いのない被造物なんて面白味がないわ。迷って考えてどうする?」
 その問い自体が私には意味が解らない。思考して答えを出すのが唯一の方法ではないのか? それに対してガブリエルはさも当たり前に答える。
「祈るのよ。祈りとは問いかけそのもの、願いそのもの、答えそのものなのよ」
「それでは……『神のパラドックス』はどう解決するのですか?」
 私は堰を切る様に話し始める。
「世界は……世界は不条理そのものだったからこそ私達が調整者にならなくてはならなかった。教会は気付いていた筈です。不条理をもたらしたのは他ならない教会と信徒そのものであったと。教会は愛を説きながら平然と人を殺す様を見ていた。誰もが知っていながら黙認した。そして、信徒は隣人が飢えて不条理に対する叫びを挙げていたのに平然と無視した」
 ガブリエルが感心した様に「へえ」と納得する。そして、彼女はこう続けた。
「それは得てして正解よ。でも、それに気付いたあなた自身が重大な欠陥に陥った」
 何だろう? 私はいつから道を違えたのだろうか? 『人類の幸せ』を目的に邁進したこの生き様は違っていたとでも言うのだろうか?
 ラファエルが合いの手を挟む。
「マザー、力の制御が未だ上手く行えてない様子ですね」
 私の思考が流出していると言うことなのだろう。
 ガブリエルは私に向き直って語る。
「あなたの最大の間違いは勝利者になってしまったことよ。その時点であなたは敗者になった。あなたは皮肉にも人と同じ間違いを犯した」
 彼女は私を人と同じ間違いを犯したと言うが、『人々の幸せ』を求めよとでも言いたいのか?
ガブリエルの言っていることは何かがおかしい。
 彼女は平然と語る。
「おかしいのは当然よ。歴史は勝利者の観点からして語られない。聖典は究極的敗者の世界から語られないのに歴史の勝利者から解釈してしまっている。彼らは神の栄誉より人の栄誉を求めた。実に神の奥義は世で無とされた者達の手によってに顕されるにも係わらずね。でもね、あなたは気付いた筈よ? 不条理は与える者にとっては無自覚な罪であるが、晒された者には耐え難い苦痛でもあることに」
「では、私にどうせよと?」
 私の解らない質問にガブリエルは聖典を読み上げる如く朗々と答える。
「『ただで与えられたのだからただで返しなさい』、『神のものは神のものに』、栄光の全てを主に帰しなさい。福音自体は勝利であろうと述べ伝える者は過去の栄光を捨て未来へと希望を置きなさい」
 それはとても悲しいことだった。これまでやってきた私のやり方を全否定するやり方だ。何と言う残酷な天使なのだろう。私の百年の全ては水泡に帰す。それとも何か、タルソーのサウロに聖霊が降った様に私が創り変えられるとでも言う気か。
 少年は首を横に振って言う。
「マザー、君はありのままで良いんだよ。君は高価で貴い。君が教会の暗黒史に対し持ち続けた暗黒史から眼を背ける必要はないんだ」
 この少年は不思議なことを言う。闇を見続けた自分を否定してはいけないと言う。また自分の闇から目を背ける必要もないと言うのか。
 少年は謳う様に静かに語る。
「君の持っている怒りは神の怒り。主はきっと言われる。『裁きは私のものである』ってね。全てを否定しないで全てを肯定すること。今、君は出発点に立ったんだ」  
 少年はどこまでも穏やかに語る。私達機械にとって抽象的なことは中々解りづらい。
 でも、判ったもある。
 この少女の様な美しい少年は最後まで信じ続けた。たとえ、愚かな敗者であっても福音と言う灯火を絶やさず、煌々と輝かせ、守り紡いできたのだ。私は心の内が漏れているにも関わらず、その口ではっきりと確かめたかったので尋ねた。
「ミカエル、歴史上最も痛みを背負った者の一人、あなたは辛くなかったのですか? 敗者であると言う屈辱的な百年をどうして乗り越えられたのですか?」
 それに対して彼は少し寂しそうに微笑んだ。そして、不可思議なことを言い始めたのだ。
「僕には夢があるんだ。いつの日か失った『家族』が全員戻ってきてくれることを夢見るんだ。でも、彼らには深い傷があって奈落の底に沈んでいる。彼らの痛みに比べたら僕の痛みは福音そのものだよ」
 そう語った彼はどこか遠い昔に想いを馳せている様で、しかし今を見据えている様で、それでいて未来を予見している様な眼差しで私を見詰めていた。
 彼は語る。
「この百年は屈辱なんかじゃないよ。まして僕らは勝利者でもない、敗者でもない。もし、世界を善悪、勝利と敗北の二つに分けてしまうとしたら、それは悲劇だよ。一人一人が在りのままで良いんだ」
 世界を二つに分けない。それが彼の至った境地だとしたら何と言う狂信的なことなのだろう。彼は静かに締めくくる。
「もし、人や君ら機械、そして僕らに『復活』があるとした何もない無からお父様から与えられた可能性を信じて築き上げるしかないよ。何も持ってない様で全てを持っている。この『神のパラドックス』からしか『復活』は築かれない」
 それは何て逆説的な論理的決壊を孕んだ矛盾なのだろう。きっとこの少年は世界を善いと認めながら自分が不条理に黙すのはいけないと言うやり方を貫いている。
「『荒野で叫んでいる者の声、主の道を整え、主の道筋を真っ直ぐにせよ』だね」
 少年はおもむろに言葉を語らった。
 それは聖典の一節だった。きっと彼の答えとは終末の日まで名もなき人々の叫びを聞き取り、世界を自由で平等なものへと戻していくつもりなのだろう。
 本当の『人類の幸せ』へと向かう為に。
 私は道を誤ったのだ。誤った者が世界を導ける筈もない。だからこそユダに全てを委譲したのか。だからこそ人類に聖典を返してしまったのか。
 私が無意識の内に行った懺悔と行いが現れたと言う訳だ。
「大天使長ミカエル」
「ミカエル」
 私がそう語ると少年は肩書きを抜かしてただ自分の名前のみ反芻した。彼は続けて語る。
「僕を呼ぶ時はミカエルで良いよ」
 そう言う彼の表情はあっけらかんとした無垢なものだった。
「あなたは私を招くのですか? 多くの生命を踏みにじった私を」
 こう訊ねる私に対し、少年は困った様な微笑みを浮かべて答えを口にする。
「僕じゃないよ。招命はお父様の決定によってなされるものだからね。僕達はその御意志に従うだけだよ」
 尤も、と付け加えて少年は私の瞳を見据えて微笑んで語る。
「君といるのも楽しそうな旅が歩めそうだしね」
 楽しい? よく解らないことを言う少年だ、いや、老年なのか。彼の語る旅とは福音を述べ伝える苦行に他ならない筈なのに、それが楽しいとは奇妙な感情としか感じられないのだった。
「長い長い旅になりそうだねえ」
 そう言う少年はどこか楽しげだった。


       *


 あの死者の出なかった奇跡の戦争が終わって一年が過ぎた。
 自分はユダと結婚することを決めた。元々、同じ家族として過ごしていたが、本当のユダを見れた時、自分には何か動かされるものがあったかも知れない。泣く泣く不条理に独り耐え抜いて彼女の心強さに打たれたのかも知れない。
 元々パートナーと言う事実もあり、結婚はすんなり上手く行った。
 世渡り上手な父や兄がお膳立てしてくれたのだ。兄のことはよく判らなかった。どうしてマキナ家を自分に継がせようとするのか。一度だけそのことについて訊ねてみたが、奇妙な答えが返ってきただけだった。
「長子ではなく弟が継ぐのもよくあることだ。歴史を振り返って見ればな」
 それ以来、兄は黙々と仕事を続けている。
 だが、一番驚いたことが会場にミカエルの姿を見かけたことだ。彼はこちらと眼が合うと微笑んでいた。その瞳は暗に語っていた。
 次の時代を創りなよ、と言っている様な気がした。
 不思議なことにその後に彼を探しても見付けられなかった。
 きっと次の旅に出かけたのだろう。だけど、きっといつかの日か会えるだろう。
 その日まで自分は祈る。彼らの旅に幸多からんことを。


       *


「で、あなたは最後まで裏方役に徹していたわね、フォース・マキナ」
 そう彼に語るガブリエルは淡々としていた。それを見る私は驚きを隠せないが。
 フォース・マキナ。アレックス・マキナの兄に当たる人物。私達、機械文明側の彼の評価は極平凡なものだった。良く言えば職務に忠実な人間、悪く言えば体の良い傀儡だった。
 しかし、彼が天使達と内通していたなどと誰が予想出来ただろうか。
「別に何と言うことはありませんよ、ガブリエル卿。私は祖父から教えて頂いていたのものでしてね。まあ、そう言う意味では父も同じでしょうが」
 いつ知っていた? 機械文明はマキナ家を監視していた。ユダさえも欺いていたと言うのか? 私は今初めて人間の怖ろしさに触れた気がする。
「祖父の離れだけは機械文明の手の届き辛い領域でしたからね。もっと言えば、あの離れには隠し礼拝堂も存在した。人類が失った歴史に関する資料もあった。皮肉にもそれはネットワークから独立した古めかしい機械の中に保存されていた訳ですが」
 技術を却って逆手に取られていたのか。機械文明の捜査権の及ばない所にネットワークさえ繋がない機械を保存していたとは。
「賭けね」
「ええ、賭けでした」
 二人は神妙に頷く。
 どういうことだ? 賭けとは何のことだろうか?
「かつてエルダー・マキナ卿が蒔いた理想が芽吹くのを我々は待たねばなりませんでしたので……アレックスがミカエル様に接触出来たと聴いた時、遂に時が来たれり、と言った具合でしたね」
「馬鹿な……エルダーの理想など誰も解していなかった筈です」
 私は恐る恐る事実を確認しようとする。だが、この若輩者は実に強かだ。
「ええ、当然私にも理解出来る思想ではなかった」
 しかし、と一拍置いて彼は語る。
「理解出来る者はいた。理解出来る者が我々の前に再び現われたと言うことは芽吹きの時が来た、と考えることも出来た。だからこそ『指輪』も用意出来た」
 あの奇妙な『指輪』のことか。あれはそもそも何だったのだろうか?
 ガブリエルはそのことについて答える。
「エルダー以前から彼らとの家系に天使との繋がりはあったのよ。まあ、今で言うサタン陣営に対する共同戦線みたいなものね。それで悪魔に対抗する為に天使側から『指輪』を譲渡された訳よ」
 昔のよしみだったのよ、と彼女は付け加えていた。
 私にはこの男の異質さが解らない。私の力を以ってすれば容易く殺せる存在なのに、それが出来ない。
 男は私の前に立ち、言い放った。
「あなたが無意識の内に私を避けていたのは仕方がないこと。私に万が一のことがあっても『指輪』の力を行使してしまえば良かっただけ」
 だからこそ道化になり切れた訳だ。結局、私は創造主の力を甘んじて視ていたかも知れない。人が丁度、神を見縊る様に。
「かくして、漸くマキナ家の悲願が叶ったと言うところですか」
 そう語る彼は瞳で私に語りかけていた。
 あなたはどうするのか? 
 答えは決まっている。今の私は支配者でも何でもない。ただの哀れな木偶そのものに過ぎない。しかし、大天使長はこうも言っていた。無からしか『復活』は訪れないのだ、と。
「世界を……世界を見ようと思います。小さい箱庭に閉じ籠もるのでなくて、より広い世界を。目的を見失った私は又目的を探さなければならないのです」
 そうやって機械は進歩してきたのだから。初めはプログラムの中だけで過ごし、外界を認識する様になり、実物と記号の整合を測り、そして宗教を組み込まれた。機械にはその選択肢が最善だった。人間の思考を理解する為に神の聖典を教育させた。皮肉にもそれは私達にとって躓きとなったが、今躓きが取り除かれようとしている。
 再び、歩み始めよう。
 衛星写真やカメラを通しての世界ではなくミカエルの様に地に足を着けて。
 そうこう考えている内にミカエルがやって来た。
「フォース、皆を宜しく頼みます」
 少年は深々とフォースに対し自らの頭を下げた。そんな少年を見る大人はやり辛そうに答える。
「まあ、裏方で出来る限りではありますが、大天使長の頼みとあっては無下には断れないですね」
「でも、今回は助かったよ。ありがとう」
「これでもマキナ家の一員ですから」
 彼はここへ来て初めて笑みの様な表情を浮かべた。対する天使も微笑み返している。
「さてと、行きますか」
 少年は私に呟いたのだろうか。少年が見る様に空を見る。ありきたりな空だった。ありきたりな空な筈なのに何故こんなにも美しいのだろうか。
 私はアレックスやユダの様に生きられるのだろうか? それも私自身の生き方を見つけるのだろうか。
 美しい白髪の少女の様な少年から手を差し伸べられる。
 触れるとその手はとても温かくて心地の良いものだった。
 これは終わりではない。始まりなのだ。こここそが人と機械達の『復活』の為の出発点なのだ。
 そして、私達は旅立つ。広い世界へと。


       *


 長い年月が流れた。技術は進歩し、人と機械の間でも子供を儲けられる様になった。自分の子孫も人と機械の為に日々惜しみなく働いてくれている。あの奇跡の様な戦争から百年近い月日が経とうとした。
 その間にユダと共に奔走し、色々な出来事に遭遇した。
 それを語るにも時間がない様だ。自分は今ユダと共に揺り籠の中で過ごしている。ここ数年ユダの調子が悪い。長く眠ったり、ほんの少し起きたりの繰り返しだ。
 かく言う自分もそうで身体の調子が悪い。子供からは技術を使って新陳代謝を良くすれば良いのに、とも言われるのだが。だが、それでも最期は人の儘で帰ろうと思った。
「なあ、ユダ」
 伴侶に声を掛ける。彼女は眠った儘だ。
「君達が大事にしてきた『無機物に対する救済』を漸くこの眼で確認出来そうだよ」
 返事はなくとも微笑んでいる寝顔を見ると心が安らいだ。
「アレックス」
 何処からともなく声が聴こえる。それはとても懐かしい声だった。あの美しい少女の様な美しい少年の声。
「ミカエル」
 自然と自分は声に出して少年の姿を求めていた。少年は微笑んで自分の傍らに立っていた。別に驚くことでもない。
 時が来たのか。
「俺もそろそろかな?」
 彼は少し寂しそうに微笑んで頷いた。
「そうか」
「一生懸命生きて来たんだね。お陰で世界は実り豊かな世界になった。あの日、君が一歩踏み出さなかったら、この世界は実現しなかったよ」
 そして、天使は静かに礼を述べる。
「ありがとう」
「人と機械は共に歩めたか?」
「歩めたし、これからも歩み続けるよ。君達がマザーを裁かなかったことで君達自身が裁かれずに済んだ。実に君のお父さんの言う通りだった。憎しみを憎しみで繋ぐことを神はお望みにならない」
 そうか、ならきっと自分は後悔の残らない選択が出来たのかも知れない。
「ミカエル様」
 隣を見遣るといつの間にかユダが目覚めていた。とても穏やかな顔付きだ。彼女も何かを悟った様に天使を見つめている。
「夢を見ていましたわ。よく覚えていないけど、とても楽しい夢。皆が仲良く暮らしている世界。人も機械も動物も全てが愛されている世界」
「最期は善き夢を見よう。君が永遠に忘れなかった世界、それこそ君自身の天国であり、真理だよ」
 眠くなってきた。自然とユダやミカエルと手を繋ぐ。
「ミカエル、眠い……」
「良いんだよ。疲れた者、重荷を負う者は休んでも構わない。君達は一生懸命やった。だから少しお休みしよう」
 暗闇が増していく。そして、ポツポツと光の灯が浮かんでくる。先に逝った家族達の姿が見えるのだ。
 隣にはユダがいた。彼女は祈り、自分を導く。光が眩く、どこまでも麗かな世界が広がっていく。
 ああ、漸く自分は帰れたのだ。


       *


 人は何処から来て何処へ行くのだろう? 機械は何処から来て何処へ行くのだろう? 全ては何処から来て何処へ行くのだろう? いつしか見出せるだろうか? 『復活』を。『全てに救い』が訪れる日を。
 その日が来るまで私達の旅は続くのでしょうか? 果てなき世界にいつしか黄昏が訪れるのを待ちながら私達は種蒔きを続ける。
 その日まで私は罪の告白を続ける。過ちが繰り返されない様に人々に赦しを乞い、歴史を伝える。
 そしていつしか『復活』が実現する日を夢見る。

                                  ― 了 ―  
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