第一章 選定者

文字数 11,539文字

 自分の名はアレキサンダー。征服王イスカンダルの名に因んで名付けられた自分はこういうのも何だが由緒正しい血族だ。と言っても彼と血族関係にある訳ではない。由緒正しいと言っても曽祖父の代で人口知能の良き理解者として地球連邦から表彰されたのだ。それ以来代々機械文明の特使に任ぜられる家柄になったのだ。
 現在は西暦二千百五十年。ちょっと掻い摘んで歴史を紹介すると二千四十年代、人工知能は人間と同じ知性を獲得した。しかも多くの学者が気にした人工知能の暴走は結果的には起きなかった。端的に言えば、人類は人工知能の好奇心に倫理観を加えたのだ。当時は聖典が中心になって執り行われた一大事業だったらしい。
 その時代は経済的格差が激しく、その反動により世界の人々は生存権、社会権、基本的人権の運動を大々的に起こした。情報化した世界において運動が大きなうねりを伴って世界各地に権利が再確立されていった。地域間の格差をなくす為に後進国に対する設備投資を国連や先進諸国が行い、貧しい人々が減り始めた時代だった。
 そして、機械にも人権が付与され、それを基に人類と機械による地球連邦が発足した。
 今や機械の役割は人類への貢献。その時代から労働という考え方が古くなり始めた。今の時代、労働は機械がやり、人類は自分の趣味に時間を費やし気儘に人生を謳歌している。
 今の時代は『機械の平和』と呼ばれる時代だ。
 更に機械は人間一人一人にパートナーを用意してくれる。それは決して裏切らない親のようでいて親友のような奇妙な関係だ。
「アレックス」
 話しかけてきたのはパートナーのユダだ。名前の由来は有名なイスカリオテのユダではなく、ダタイという使徒から頂戴したものらしい。
 彼女は機械なのに外見はとても人間らしい。というより、人間と変わらない。技術進歩が仕草まで人間に似せて造られている。
 パートナーは人口知能らが無作為に選出する為、男性型か女性型になるか誰も判らない。ユダは女性型のロボットだが、話しやすく却って気楽だった。
「今日も大学で授業ですか?」
 彼女が尋ねてくる。今日、大学院の進学率は世界規模で九十パーセントを超えている。暇になった人類が次に見つけたのは個人的な栄誉という訳だ。研究に勤しんでいる者もいれば、大学院で遊びほうけている者も多い。実際、労働自体が廃れた風習になった現代では放漫な生活を送る者達が多い。自分は前者だ。別に研究熱心という訳でもないが。ただ、何か発見出来ることがあれば良いな。そう思って始めた研究だった。
 テーマは近代人口知能と人類の関係性だ。ただ、これが中々難しく上手く研究が進まない。人口知性に倫理観を植えた技術は当時の秘匿技術として口外されてはいけないものなのだ。百年経った今でも人工知性の支配者であるマザーと地球連邦はその情報を公開してはいない。その辺りの研究は外堀から埋めていこうと思う。
 家の中にあるワープゲートを通って大学に直行する。正門前に到着するといつもの光景が見えてくる。酒を煽って酔っ払っている集団。また、健全にスポーツをする者達もいれば、セクサロイドといかがわしい行為を堂々とする連中もいるのだった。機械が倫理観を手にしたのに創造主である人類が倫理から外れつつある。これは近年の問題だ。世界に僅かに残る宗教者達は警告を鳴らしているが、影響力はほとんどない。百年前まで宗教とは人間の根本に関わる重要なテーマだったのに。いつの間にか多くの人々が関心を失ってしまった。
 これは死への恐れという概念が薄れてしまったからなのだろうと思う。現代の技術なら意識のないクローン体を造ってそこに意識を移す技術も開発されてしまったから死への恐れも希薄だ。また、更に電脳世界に住む住人も多くいる為に意識を永遠に保てるかどうかという議論もなされている。
 もっとも哲学や神学のテーマにそれは本当に当人の魂として再生されているのか、ということが議論されている。だが、魂というのは現時点の科学の範疇では確認出来ないことであるからしてどうしようもない。ちょっと考えれば判りそうなものだが、これが意外と一部の人間を除いて気付かない。
 自分は偶々自覚してしまった人間だから、もしかしたら死ぬかも知れないという恐怖はある。何かを発見したいという想いはここから来ているのかも知れない。後世に名を残したいという凡俗な欲求だ。
 そんな想いを抱きながら図書館に行く。昔は違ったそうだが、今の時代、授業時間は自分で自由に決められるのだ。教授も人工知能の方々が多く、別に教室に行く必要性はない。比較的静かだという理由だけで図書館に行くのだ。まあ、ちょっとしたお楽しみもあるが。
「あら、アレックスさん」
 そのお楽しみと出会った。
「やあ、エステルさん」
 彼女はロボットのエステル。驚くことに自分と同じ研究テーマを選んでいる者なのだ。それだけの嬉しいのに彼女は美人と来た。しかもアイドルみたいな清純さを持っている。自分は男だから仕方のないことか、彼女を見ると心は浮き足立つ。
 お互いにレポートを見せ合い、意見交換をする。他愛のない意見交換でも自分は充実していた。
「ねえ、アレックスさんってどうしてこの研究をしているの?」
「まあ、家系も代々人工知能と関わってきたし、自分達の歴史を改めて見直す意味合いかな」
 もっともなことを言っているが、実際のところは自分でもよく解っていない。
「じゃあ、もしかしてアレックスさんの家系ってマキナ家の?」
「まあね」
 ちょっと恥ずかしそうに語る。
「凄いわ! あのマキナ家のご出身だなんて!」
 彼女は驚いて感動している。
 マキナ家。人口知能の初期に彼らの権利と義務について擁護し、人類と機械の架け橋となった一大一族。今は父や兄が地球連邦の議長や特使を務めているが、いずれそう遠くない未来に自分もその仕事に関わるだろう。
「いや、でも、それを言ったらエステルさんも有名なアイドルなんだよね?」
 今度は彼女が眼をパチクリさせる。そして、恥ずかしそうに少し俯いて言う。
「いえ、アレックスさんに比べたら恥ずかしくて話せるものじゃありませんわ」
「そんなことないよ!」
 思わず言ってしまう。するとはにかみながら彼女は言う。
「ありがとね」
 その言葉に自分の頬が少し紅潮するのが自分でも判る。気恥ずかしくなって話をレポートの話題に変える。彼女も合わせてくれたのか話を合わせてくれる。
 途中、彼女は事務所に呼ばれたので早退してしまった。
 本当に偉いロボットだと思う。人を喜ばせる為に日々身を粉にして働く彼女の姿は感動ものだ。機械に頼りすぎて堕落した人々はそれを見ても何とも思わないのだろうか。
 スフィアに向かう。スフィアとは球体型の部屋のことで図書館に各自並んでいるのである。その中で、チャット、映画鑑賞、ゲーム、講義、図書検索などを行うのだ。リクライニングの椅子に座るとナノマシンジェルが身体を包んでマッサージもしてくれるからこれもこれで楽しみではある。
 早速入ろうとしたら満室か。ちょっと残念だな、今日は諦めるか。
 と思ったら満室の灯りが消えて近くのスフィアから人が出て来た。やはり今日は何となく運が良い。
 出て来た人と代わりに入ろうとして。
 時が止まった。
 目の前にいたのはとてもとても美しい人だった。可愛らしい少女の様でいて凛々しい少年のような少年。長く靡かせた白髪がまるで聖母をイメージさせる。たとえようがない。この世界の住人というよりはもっと上の。そう、昔の宗教が言っていた天国の天使みたいだ。
「こんにちは」
 その人は微笑みながらこちらに挨拶してくる。
 何も出来ない。ただ見惚れているだけだ。
「あの……どうかしたの?」
「あ……いえ」
 あなたの美しさに見惚れていたのだとは言えないし、困ったものだ。
「あなたは……ロボット?」
 そう質問するのがやっとだった。そうとしか考えられないのだ。ここまで完璧な美は整形技術かロボット以外にありえないからだ。 
「うーん、どうかなあ。何とも言えないね」
 独特のあどけなさを持っているこの人は人ともロボットとも断言しない。
 一体何者なんだろう? 正直に思うとエステルですら比にならない。そう思わせる高貴さがどこかにある。でも、それは人間の高貴さとはまた別の高貴さの様な気がしてならないのだ。
「ここで会ったのも何かお父様の導きを感じるね」
 その人はそんな不思議なことを言い出した。
 お父様? 意味が解らない。こちらが怪訝な顔をしていると向こうから説明がされる。
「天の父なる神の導きということですよ」
 ああ、なんだ。宗教関係者か。ちょっとガックリしたな。
 しかし、同時に驚きもする。今や世界で宗教を真面目に信じている人なんてあまりいないし、 ましてやそれを知らない人にいきなり伝えるのは相当に勇気の要る行為だろう。
 ガックリした反面、畏敬の念も抱く。
「ええと、どちらの宗教を?」
 自分は専門外なのでそう訊くしかなかった。
「教会だよ」
「旧教ですか? 新教? それとも正教?」
「さあ、どうなんだろうね」
 不思議な人だ。宗教に入信している人は普通どこかの組織に属している筈なのに明らかにしない。やましい組織に属しているのか。試しに訊いてみよう。
「神を信じているのにどこの組織にも属してないのですか?」
「信仰は組織の枠組みを超えるよ。お父様の名の下なら誰もが兄弟姉妹だよ」
 ますます不思議な答えだった。確か、二十世紀にエキュメニカル運動はあったが、結局人間の自我や各教会の立場から下火になった様な気がする。現代では希少の中の希少の存在といって良い位だろう。興味深い。
「ここで何をされていたのですか?」
 興味本位で訊ねる。
「探し人をね」
 探し人とは。誰を探しているのだろう? 
「エルダー・マキナの遺志を継ぐ者達を」
 続くこの人の言葉は自分に衝撃を与えるものであった。
 エルダー・マキナ。我が偉大なる曽祖父。マキナ家史上最大の功績を残した者。人類と人工知能の架け橋の役割を果たした二十一世紀で最も知られた人物だ。
「俺のことを知っているのですか?」
 自分が訊ねる。
 沈黙。
 それは肯定の証として受け取って良いのか。
 これは雲行きが怪しくなってきた。まさか、この人は反地球連邦や反人工知能の思想を持っている人間かも知れない。それでマキナ家で一番警備対象としても薄い自分に何らかの接触を試みに来たとも考えられる。
「遺志を継ぐ者達とは何ですか?」
 訊ねる。いや、断固とした意志で尋問同然の勢いで問う。
「その頑固なまでの強固な意志はエルダーそっくりだね」
 自分の瞳に宿る意志を見たその人は微笑みながら昔を思い出すかの様な口調で言葉を漏らした。
「でも、残念ながら今はまだその問いには答えてあげられないかな」
「衛兵! この者を逮捕しろ!」
 自分が強硬な態度に出ると相手は気軽に尋ねる。
「何の罪でかな?」
「エルダー卿に対する不敬の罪でだ」
 人類文明、機械文明の双方にとって神聖不可侵な名前を呼び捨てしたのは不敬罪に当たる。
「彼がもう世にいなくてもかな?」
「勿論だ」
 この不敬罪はこの世界の不文律として成立している。だからこそ、表向きは誰も曽祖父の非難は出来ない。
 空中に散布されているナノマシンが集合して衛兵形のロボットを形作る。
「アレックス様、対象は何処でしょうか?」
 衛兵は何を言っているんだ? 自分の目の前にいるじゃないか。そう衛兵に伝えようと目を一瞬逸らした。
「ここだ。ここにいるじゃないか」
 そして、その人がいたところを見直すと。
「あッ!」
 そこにはもうその人の姿の欠片さえなかった。
「対象はどこにいますか?」
 機械の間抜けな声だけが辺りに響く。


 情報を整理する為に一旦自宅に戻った。
 あの後、衛兵達にあの人の特徴を伝えて周囲を隈なく探したが、足跡どころか髪の毛一本すら出やしない。
 衛兵は衛兵であの人の姿が見えてなかったらしい。どういうことだ? 機械の故障か? 
「ひょっとして幻だったのか……」
 何気なく呟いてみる。するとその呟きを聞いたユダが気軽に問いかける。
「何かあったのですか? アレックス?」
「ああ、聞いてくれ」
 ことの顛末を話し終えた時、ユダが奇妙な表情をしながら訊ねてくる。
「その者はどんな風貌でしたか?」
 何だろう? ユダのこんな表情を自分は一度たりとも見たことがない。その奇妙な表情に戸惑いを感じながらその人の特徴を話した。
「何か知っているのか?」
 ユダの表情が歪む。非常に苦しそうに次の言葉を紡ぎだす。
「済みません。私の口から口外出来ないのです。この情報の開示にはマザーと地球連邦の双方からの認可がなければ、開示不可能です」
 意外な返事だった。長年パートナーと過ごしてきたが、隠しごともある訳か。だが、思えば、自分は彼女の表情らしい表情を見た記憶が希薄だ。もしかしたら表情をあまり作らないのにも理由があるのか。
「そうか、済まなかった」
 済まないと言いながら父と兄に尋ねてみようと思った。
 その夜、仕事を終えて帰ってきた父と兄にその人のことを話した。
 すると父の顔はみるみる青ざめ、自分の肩を掴んで重苦しく言う。
「もう、その男とは関わるな」
 男だったのか。あんな深窓の御令嬢みたいな風貌で美少年なんて反則だろう。
 父はそれだけ言って後は何も応えず、沈黙のまま書斎に入っていた。それを心配そうに見ていたユダが一声掛けてくる。
「アレックス、くれぐれも、判っていられると思いますが」
「ああ、この件には俺からは関わらないでおこう」
 ユダはホッとした表情で父に続いて書斎に入る。
 すまないな、ユダ、これは半分嘘だ。確かにこちらからは積極的に調べるつもりはない。
 だが、向こうから接触してくるならその限りではない。明日は図書館にまた向かってみようと思う。
 もしかしたらという期待がある。

       *


 対象が『選定者』と接触した恐れ有り。引き続き要注意観察。


       *


 翌日、図書館に来ると期待は確信に変わった。
「こんにちは」
 微笑みながらその少年は挨拶してくるのだ。無言で誰もいない振りをする。
「賢明な判断だね」
 彼はそう言って感心する。やはりそうか。機械側には彼は感知出来ないらしい。
 彼はスフィアの中に入る。自分もそれに続く。扉が閉まるとギョッとした。辺りは一面草原が広がっていた。仮想空間? ゲームの中か。
「一応、外側の世界からの認識では君はゲームを独りでやっている様に見える」
 では、ここは仮想空間などではなく。
「あなたが空間を造り出したのか?」
 彼は頷いた。一体この人は何者なのだろう? 
「あなたは一体何者ですか?」
「それより訊ねたいことがあるんじゃないかな?」
 この人の正体も気にかかるが先ず確かめなければならない。
「エルダー・マキナの遺志を継ぐ者達とは何ですか?」
「君はエルダーの直系だ。エルダーが何を望んでいたかは知っていた筈だよ」
 当然だ。そんなことはマキナ家だけでなく、人類、機械文明の双方が知っている周知の事実だった。
「人類と機械の共存だろう」
「そう、エルダーは最期に人類と人工知能に共存の道を選択して欲しかったんだ」
 欲しかった? 何を言っているのだ? 現に人類と機械文明は共存共栄しているじゃないか。
「人類と人工知能は上手く共存している。エルダー卿の望みはとうの昔に叶った筈だ」
「果たしてそうかな?」
 彼が何を言いたいのか解らないので暫し沈黙が一帯を支配する。
「世界人口」
 唐突に彼は切り出した。
「世界人口?」
「そう、君はどう見る?」
 どう、と言われても。地球連邦の人口は九十億。一方で百年前に開拓された火星連邦が移民の引き受け手となり七十億といったところか。機械文明側が開発した人口不妊薬がなければ、食糧事情はもっと深刻だろう。機械文明は緑化運動を進め、耕作地を増やしたから糊口を凌いでいるところだろう。だが、機械に必要なのは食料ではない。あくまで電力なのだ。人間の問題は機械の問題になるとも限らない。
「別におかしなところはないが? 人口百六十億。科学の発展で特に食糧事情に窮していないしな」
「人口百六十億。地球連邦以前の国際連合のデータは調べた?」
「いや」
「調べてみると良いよ。興味深いデータが出て来ると思う」
 頭の中に埋め込まれている電能チップでネットワークから情報を漁ろうとするとその人はそれを制止した。
「こういうのは後が付かない様にアナログでやるべきだよ」
 と言って一枚の薄いノートを渡してきた。情報元は辿れないように設計してあるから、と彼はサラッと怖いことを言ってくる。古そうな機械だった。百年以上前の構造を取っているのだろう。実物を触るのは初めてだが、タブレット、ファブレット、アイパッドというのは歴史館でしかお目にかかることがない骨董品。ただ、問題なのが。
「こんなの、どうやって操作するんだ?」
 彼は溜め息も吐かずに辛抱強く使い方を教えてくれた。
「物覚えが良いね? 何か特殊な勉強方法でもあるの?」
 逆に彼が感心していた。悪い気分ではない。むしろ、こんな美少年に褒めて頂けるなら幸いだろう。ただ、目の前にいる人が少年かは定かではないが。
 ようやくデータが出た。
「二千五十年、世界人口統計、九十億」
 これがどうしたのだろうか? まあ、おかしいデータではあるが、当時は人口抑制政策がある程度採られていたので然程違和感がない。
「じゃあ、初期の火星移民者数は?」
「二億」
 これはちょっとおかしい。確かに二千五十年代に世界は人口と直結して食料事情は困難に直面していた筈だが、いきなり二億も移民するだろうか。
 試しに移民者リストアップを見ているとある傾向が顕著だ。
 当時の高学歴の科学者、名の知られた学者、優れた政治家、そして多くの教会関係者が火星に移民している。確かに開拓を行う者達は決まって冒険家であり、優秀な者でなくてはならない。でも、それでもなぜだ。当時地球最高峰の頭脳達が一挙に移民しているという事実は腑に落ちない。それになぜ教会が主体となって移民を押し進めたのだろうか?
「回りくどいな」
「ん?」
「あなたの言いたいことは結局何だか解らない。当時の技術で移民をそこまで急く意味が見えてこない」
 彼はちょっと困った顔して語る。
「そうだねえ。一言で言うなら彼らは『気付いてしまった人達』なんだろうね」
 よく解らない。そう考えて画面をスクロールするとある表示が目に留まる。
 火星移民計画最高責任者・エルダー・マキナ。
 最初に頭の中に浮かんだのは疑問符だ。なぜ曽祖父が火星移民計画の最高責任者なのだろう?
心の中にぼやけた疑いが浮かんでいる。
 だが、目の前の人はまだその問いに答えてくれはしないだろう。何となくではあるが、その行為は自分のことをおもんぱかって心配してくれている気がした。
 それにこちらにもまだやり様はある。エルダー卿は確かにもうこの世にはいない。だが、彼の証人は残っている。即ち、彼の息子にして我が祖父イージス・マキナ。隠遁してしばらく経つが、その影響力は絶大だ。同じ邸に住まっているのに彼は離れの方にポツンと住んでいる。
「あなたの口からまだ答えが聞けないならこちらから調べてやるさ」
 目の前の美しい人にそう言い放つ。彼は心配そうに言う。
「僕には君のやろうとすることは推測しか出来ないけど、あまり他の方々を巻き込むのは賢明な判断とは言えないよ」
「なあに、世界で最も偉い爺さんにちょっとばかり会ってくるだけだ」
 彼は祈りを捧げていた。
「彼らに主の御加護があります様に」
 おかしなことを言うな。まるで祖父に危機が迫るみたいな言い方じゃないか。
「じゃあ、また明日会おう」
 そう言い残し、その場を去る。


 自宅に帰ると即座に離れの邸宅に向かった。正直、多少の緊張はしている。何しろ、これから会うのは人類最高権力者の一人なのだ。たとえ、自分の祖父といえども、多少高揚感は隠せないだろう。さて、どの様な展開が待ち受けていることか。古めかしい木製の扉を前に意を決してノックをした。
「入れ」
 短く力強い返事だけが来た。
「失礼致します」
 部屋に入ると月明かりに照らされた薄暗い中で椅子に座っている祖父がいた。
 扉を閉めると急に砕けた口調に変える。
「ちょっと陰気な雰囲気じゃないか? 祖父さん」
「相変わらずじゃな、お前さんは」
 祖父も砕けた口調になった。ここには機械の監視も及ばない独立が約束された邸宅だ。だから、こんな一見無礼とも取れる口調を使える訳だ。尤も、祖父とは幼い頃からの付き合いだ。だから、こんな口調も家族の一員として許されている。人類圏最高指導者に対してこんな態度を取っているのを父や兄が見たら激昂するかも知れないが。
「で、酔狂でここに来た訳ではあるまい? 何か欲しい情報があるんじゃろ?」
 流石だ。話が早くて助かる。
「エルダー・マキナの遺志を継ぐ者達」
 祖父の表情が硬直する。少し思案した後、溜め息を吐いて告白した。
「息子から聞いたわい。『選定者』と接触した、とな。しかも、よりによってあの方とはな。お前さんもどうして中々捨てたものじゃないわな」
「『選定者』?」
 初めて聞く単語だった。
「機械文明が名付けた呼び名じゃよ。わしら人類にはもっと古い呼び方がある。まあ、その話はおいおいじゃな。エルダー・マキナの遺志を継ぐ者達じゃろ」
 祖父は一呼吸置いて一言で言った。
「一言で言うなら火星連邦の人類を指す」
 これまた不可解なことを言い出す。気付いてしまった者達は火星連邦の人々で、彼らは何に気付いてしまったのだろうか? 
 祖父は質問する。
「お前さんはあの方といて不思議なデータを見つけなかったか?」
 思い当たると言えば。
「火星の初期移住者の数か」
 祖父は首を横に振った。
「違う。それ以前の問題じゃ」
「?」
「人類の技術では当時の火星に殖民なんか出来んかったのじゃよ」
「じゃあ、二億の人口はどこに行った?」
「火星じゃよ」
 それはおかしい。矛盾している。移民する技術がないにも関わらず移住が出来た。辻褄が合わない。
「ある組織から技術の提供がなされた。その技術を基に急速な火星の開拓を成功させた。まあ、結果として火星連邦が出来たんじゃよ」
「その組織とは?」
「さあてのう、詳しい実態はわしらも把握しておらん。その調査に関しては機械文明も同じ様なもんじゃろ」
 ふむ、不可思議なことばかりだ。ただ、一つ引っかかった。
「話は変わるが、なぜ、そんな急に火星移民など始めたんだ?」
 老人は疲れた様に息を吐き出して語る。
「エルダーの理想が崩れたからじゃ。アレックス坊、お前さんはどこまで理解していた? エルダーの夢見た世界の内実が?」
 あの白髪の美しい少年にも同じことを言われたな。祖父が先読みするかの如く言う。
「人類と人工知能の共存。お前さんはこの真の意味をどこまで理解しているのか」
「人口知能は人を幸せにするさ。機械にも人権が認められているし、お互いが好きな様に共存も出来ている」
 そもそも機械に人権を提唱したマキナ家なのだ。そして、昔からの不文律の法則。機械は人を幸せにする為に生まれてくるのだ。
 だが、古老は呆れ、言葉を紡ぐ。
「それがお前さんの言う共存かね? エルダーの考えは異なるな」
 祖父は諭す様に語る。
「エルダーの理想、それは機械が人間を幸せにすることではない。彼はあの方と共に人類と機械の真の共存を目指したのじゃよ。決して隷属の関係ではない」
 確かに人類が機械を使い、堕落しているのは懸念だ。
「では、人類と機械は対等であると? それがエルダーの理想だった?」
 それは思ったより拍子抜けする事実だった。
「あの方は人がそれぞれ違おうとも、機械がそれぞれ違おうとも差別される方ではなかった。『全てに救い』があの方の口癖じゃったな。エルダーはその理想の一部に共感し、憧れた」
 また出た。あの方。彼は一体何者なのだろう。
「祖父さんがあの方とまで呼んで丁重に扱う彼は何者なんだ?」
「その話はおいおいと話しするつもりでいたが、やはり当人の口から聞いた方が良かろうて」
「なぜ?」
 老人が真面目な顔をして答える。
「告白とは神聖なるものだからじゃ」
 ぼやけた話ばかりではあるが、見えてきたものもある。
「人類と機械の関係が偽りなのは判った。確認しておきたいことがある」
 古老の目を瞑り、質問を待っていた。まるで何かを覚悟しているみたいだ。
「今の地球の支配者はどちらだ?」
「それは……」
 答えようとした矢先に祖父はがっくりうな垂れてそのまま動かなくなってしまった。
「祖父さん?」
 そのまま駆け寄ると祖父は青ざめたまま、呼吸すら止めてしまっていた。
「祖父さん! 誰か! 来てくれ!」
 助けを呼ぶとユダがすぐさま扉を開け、ナノマシン治療を行う。そのまま、連邦の救急搬送センターに運ばれていく。外まで見送った自分を父が肩をポンと叩いてくれた。
「あのままだったらイージス卿は亡くなられていた。お前の英断だ、アレックス」
 そう言って邸宅に戻る父と兄。それでもあの二人は微かに動揺していた。
 ユダが心配そうにこちらを伺っている。
「大丈夫ですか? アレックス、夜風は身体に悪いですよ。さあ、中に入りましょう」
 確信めいた自信はある。この女こそマキナ家の支配者なのだ。仕える振りをして今まで監視をしていた訳か。祖父の危篤にあれほどすぐに対応出来るのは機械だからではない。自分達を監視していたからだ。現にすぐに扉を開けてきたのはユダではなかったか。だが、それを詰問すれば祖父の二の舞になるかも知れない。そもそも祖父の危篤すらも仕込まれたものだとしたら? あの時、祖父は何かを覚悟していた顔だった。
 もしかしたら祖父は真実をとうの昔に気付いていたのか。
 部屋に入るとユダがいた。ベッドに蹲っていた。
「何をやっている?」
「怖いのです」
 そう語るユダの表情には微かに怯えと身体の震えがあった。何を怯えるというのか? 実際の支配者の癖に何か怖いものでもあるというのか? 
「一緒に寝てくれませんか?」
 そう請い縋るユダの表情は若干苦しそうだった。生まれてから二十年、ユダと一緒に過ごしてきたが、こんなユダも珍しい。ただ、嘘は言ってない表情の様に思えた。自分を密かに殺すという算段もなさそうだ。
「これで良いか?」
 添い寝してやる。
「ありがとうございます」
 彼女の震えは収まり始め、やがて落ち着いた。
「なあ、ユダ?」
「何ですか?」
「お前がマキナ家に来て何年になる?」
「百年程かと」
「曖昧な言い方だな」
 機械ならば正確な言い方もあるだろうに。今の時代の技術なら小型のチップで百年どころか何京年も記録出来る筈なのに、彼女はそう言わなかった。すると彼女は不思議なことを語り始める。
「昔、ある方が仰って下さったのです。『辛いことがあったら泣いて忘れて良いんだよ。泣く者は慰められるんだ』と。だから、私も辛い記憶は封印しています。時間の感覚もよく判らない時だってあるんです」
 随分奇妙なことを機械に語る者がいたものだ。
「当時からあの様な方です。今も変わっておられません」
 それはまるで今もその人物が生きているかと言っているのと同じだ。その人のことを訊ねてみようとユダに話しかける。
「なあ、ユダ……何だ、眠ったのか?」
 スヤスヤと寝息を立てている彼女を見て人間と何ら変わりないという印象を受けるが、今日の出来事で彼女がマキナ家を影から動かしている疑惑が強まった。
 でも、そんなことが本当にありえるのだろうか?
 今までパートナーとして過ごしてきたせいか、なぜか彼女は黒幕ではないという勘が働くのだ。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み