その４ メリーゴーラウンドの憂鬱
文字数 1,979文字
失敗した。大失敗。きっとめちゃくちゃ傷つけたよね。怒ってた、あの顔。どうしよう。だって「タケルくん」って呼びそうになっちゃって、まずいまずい下の名前なし！と思って、頭真っ白になっちゃって、苗字が出てこなかった。
忘れるわけないじゃない。健くんだよ。そう、柏木くんでした。だめだ、忘れてた。ごめんなさい。本当に本当にごめんなさい。
ついでにごめんね、つつじ。この植え込み、つつじだよね。アイスティー飲ませちゃった。
何やってるんだろう、あたし。
東京からUターンで地元に就職できて、いまどき超ラッキーと思わなきゃいけないのはわかってるけど、やっぱり面倒。広沢さんとこのお嬢さん25にもなって彼氏もいないのとか、昨夜も２時まで電気ついてたけど大丈夫なのとか、ほっといてください。ええ、２時まで起きてましたし彼氏いませんけど、それが何か？ ストレスたまるとこうして一人で遊園地にふらふら来る変な女ですけど、誰にも迷惑かけてませんよね？ ってあたしも堂々としてればいいのに、教え子に見つかったくらいでパニクって、デートのふりなんかしてしまった。ほんとバカ。
そもそもこんなあたしが教師なんかやってて、ごめんなさい。
こうして時々、メリーゴーラウンドに乗りに来るのです。いけませんか？ 馬にはまたがらなくて、馬車の箱の中に座るのです。人から見られないから、落ちつく。
音楽スタート。数分間の旅です。
学校でひいきは厳禁、ミリも出さないのが鉄則。それでも、心に少しだけ多めに響いてくる子はいます、どうしても。あたしなんて新米で、まにあわないよーって毎晩泣きながら予習して、まちがえませんようにって毎日冷や汗だらだらかきながら授業して、こんなにがんばってたってみんな寝てて、むなしいじゃない、けっこう死にたくなるよ？ そんな中で、起きてこっちを見ててくれる子がいたらそれだけで目が合うの、当たり前でしょ？ 救われるの。励みになるの。
スマホでマンガ読んでて（ええ国語教師なのに深夜にマンガ読んでますけど何か？）学校が舞台だとつい、チェックしちゃう。廊下でラブラブ、昇降口でラブラブ、あのね、学校には休み時間と放課後しかないの？ 忘れてませんか？ 授業ってものを！ 授業のシーン、本当ないんだな。あたしたち教師の存在理由って何。まして保健室や理科室で先生とラブラブとかやめて、ないない絶対ないあり得ない。現実と違いすぎる。少なくとも、あたしの現実とは。もっとハードボイルドなのですよ。索漠とも言う。そっちかな。
何だっけ、この曲。八十日間世界一周？ ターラン、ターラン、タラララン。世界一周か、いいな。行きたいな。でもいま乗ってるの、あたしの他に親子連れ一組しかいないよね。大丈夫かな、この遊園地。大丈夫じゃないな。たぶん。
今年は卒業式なくなっちゃって、かわいそうだったな、三年生。あたしも手持ちぶさたで、春休み、駅ビルを歩いてたら、私服のあの子たちとエスカレーターですれ違った。
「あ、先生だ」
その「だ」っていうのやめて、「だ」っていうの。サファリパークでライオン見つけたんじゃないんだから。下りていくあたしと上がってくる男の子たち、四、五人の中に健くんがいた。きみだな、「だ」って言ったのは。笑いながらハイタッチした。
「先生、先生、おれ、」
健くん、昇りエスカレーターを駆け降りてこようとして、仲間に止められて、笑われてる。手を振ったら、みんなそろって振り返してきた。いい子たちだよ。「二年間ありがとうございましたー」なんて言ってる。「先生！」健くんだけが、まだ叫んでる。
「おれ、先生の授業が、よかったです！ いちばんよかった！」
そうなんだよね。最後、90点取ってくれたよね。
うつむいて、ちょっと泣きました。しみた。あの一言でこの半年、生きてこられたよ。ありがとう、少年。お礼を言うのはあたしのほうです。やっぱりお見合い、断ろう、と思ったのです。結婚に逃げちゃだめだ。もう少し教職、がんばってみようって。その後このコロナ騒ぎになって、いま激しく後悔してますけど！ ええ！ しとけばよかったよお見合い！ まあ、いいか。顔写真、好みじゃなかったし。
メリーゴーラウンドって、風景は流れていくけど、けっきょく同じ景色。当たり前か。同じ場所に戻ってくる。
馬車の斜め前で、誰も乗ってない白いお馬さんのおしりが上下してます。白馬の王子さまなんて、いないってことよね。ごめんね、健くん。きみのこと忘れたわけじゃないの。でも正直、わからなかった、半年会わないあいだにすごく大人になっちゃってたから。なんか、哀しいな。いますぐ打ち出の小づちで一気に十歳年取ってくれるか、それとも永遠にあのエスカレーターで天に昇っていったきみのままでいてくれるか、どっちかにしてくれればいいのに。
忘れるわけないじゃない。健くんだよ。そう、柏木くんでした。だめだ、忘れてた。ごめんなさい。本当に本当にごめんなさい。
ついでにごめんね、つつじ。この植え込み、つつじだよね。アイスティー飲ませちゃった。
何やってるんだろう、あたし。
東京からUターンで地元に就職できて、いまどき超ラッキーと思わなきゃいけないのはわかってるけど、やっぱり面倒。広沢さんとこのお嬢さん25にもなって彼氏もいないのとか、昨夜も２時まで電気ついてたけど大丈夫なのとか、ほっといてください。ええ、２時まで起きてましたし彼氏いませんけど、それが何か？ ストレスたまるとこうして一人で遊園地にふらふら来る変な女ですけど、誰にも迷惑かけてませんよね？ ってあたしも堂々としてればいいのに、教え子に見つかったくらいでパニクって、デートのふりなんかしてしまった。ほんとバカ。
そもそもこんなあたしが教師なんかやってて、ごめんなさい。
こうして時々、メリーゴーラウンドに乗りに来るのです。いけませんか？ 馬にはまたがらなくて、馬車の箱の中に座るのです。人から見られないから、落ちつく。
音楽スタート。数分間の旅です。
学校でひいきは厳禁、ミリも出さないのが鉄則。それでも、心に少しだけ多めに響いてくる子はいます、どうしても。あたしなんて新米で、まにあわないよーって毎晩泣きながら予習して、まちがえませんようにって毎日冷や汗だらだらかきながら授業して、こんなにがんばってたってみんな寝てて、むなしいじゃない、けっこう死にたくなるよ？ そんな中で、起きてこっちを見ててくれる子がいたらそれだけで目が合うの、当たり前でしょ？ 救われるの。励みになるの。
スマホでマンガ読んでて（ええ国語教師なのに深夜にマンガ読んでますけど何か？）学校が舞台だとつい、チェックしちゃう。廊下でラブラブ、昇降口でラブラブ、あのね、学校には休み時間と放課後しかないの？ 忘れてませんか？ 授業ってものを！ 授業のシーン、本当ないんだな。あたしたち教師の存在理由って何。まして保健室や理科室で先生とラブラブとかやめて、ないない絶対ないあり得ない。現実と違いすぎる。少なくとも、あたしの現実とは。もっとハードボイルドなのですよ。索漠とも言う。そっちかな。
何だっけ、この曲。八十日間世界一周？ ターラン、ターラン、タラララン。世界一周か、いいな。行きたいな。でもいま乗ってるの、あたしの他に親子連れ一組しかいないよね。大丈夫かな、この遊園地。大丈夫じゃないな。たぶん。
今年は卒業式なくなっちゃって、かわいそうだったな、三年生。あたしも手持ちぶさたで、春休み、駅ビルを歩いてたら、私服のあの子たちとエスカレーターですれ違った。
「あ、先生だ」
その「だ」っていうのやめて、「だ」っていうの。サファリパークでライオン見つけたんじゃないんだから。下りていくあたしと上がってくる男の子たち、四、五人の中に健くんがいた。きみだな、「だ」って言ったのは。笑いながらハイタッチした。
「先生、先生、おれ、」
健くん、昇りエスカレーターを駆け降りてこようとして、仲間に止められて、笑われてる。手を振ったら、みんなそろって振り返してきた。いい子たちだよ。「二年間ありがとうございましたー」なんて言ってる。「先生！」健くんだけが、まだ叫んでる。
「おれ、先生の授業が、よかったです！ いちばんよかった！」
そうなんだよね。最後、90点取ってくれたよね。
うつむいて、ちょっと泣きました。しみた。あの一言でこの半年、生きてこられたよ。ありがとう、少年。お礼を言うのはあたしのほうです。やっぱりお見合い、断ろう、と思ったのです。結婚に逃げちゃだめだ。もう少し教職、がんばってみようって。その後このコロナ騒ぎになって、いま激しく後悔してますけど！ ええ！ しとけばよかったよお見合い！ まあ、いいか。顔写真、好みじゃなかったし。
メリーゴーラウンドって、風景は流れていくけど、けっきょく同じ景色。当たり前か。同じ場所に戻ってくる。
馬車の斜め前で、誰も乗ってない白いお馬さんのおしりが上下してます。白馬の王子さまなんて、いないってことよね。ごめんね、健くん。きみのこと忘れたわけじゃないの。でも正直、わからなかった、半年会わないあいだにすごく大人になっちゃってたから。なんか、哀しいな。いますぐ打ち出の小づちで一気に十歳年取ってくれるか、それとも永遠にあのエスカレーターで天に昇っていったきみのままでいてくれるか、どっちかにしてくれればいいのに。
