その2 アフォガート・アル・カフェ

文字数 1,944文字

「アッフォガードってマジうける、それ美羽姉ちゃんだろ、アホのガード」
とバカ弟が笑うので、おへそに一発お見舞いした。グーで。
「ガードじゃないもんねガートだね。DOじゃなくてTO」
「だから?」
 二発めはかわされた。見てろ(たける)。後で。
 この夏はまったデザート、アフォガート・アル・カフェ。本当はエスプレッソをかけるらしいけど、知らんがな。あたしはふつうにインスタントコーヒーを倍の濃さでといてかけてる。バニラアイスもコンビニで調達。冷え冷えのアイスに熱あつのコーヒーをかけてじゅわっとなったところを速攻で食べる、このスリルがいいのだ。くぅー。子どもにゃわかるめえ。ざまあ健。
「せめてもっときれいな皿に移すとかしたら、パン祭りの景品じゃなくて? 色気ねえの」なぜにこの世には弟なんていう下等生物が生息するのか。「そんなんだから陸兄ちゃん他の女に()られんだよ」
「は? 関係ないし。てかあたし好きな人いるし」
「マジで?」健の目が一瞬カパッと大きくなって、それからフフンと笑った。「ウソだな」
 はい。ウソです。覚悟しろよ弟、あたしがこれ食べ終わったら。
 そもそも好きとか嫌いとか言ってる場合じゃないのだ。あたしはいま将来を真剣に考えるだけで頭がぱんぱんなのだ。修学旅行も文化祭も全部なしってどういうこと。学校も政府も官公庁も国連もまとめて信じられない。問題は来年だよ。どうするよ、進路。1こ下に健もひかえてるのに。ストレスがすごすぎてあたしはこの夏アイスを怒涛のように消費した。で、結果、体重計に一か月乗れてない、怖すぎて。こないだ彩香があたしの顔を見て何か言いかけてやめたけど、あたしもたぶん同じこと言いかけてやめたからわかる、あたしたち絶対——膨張してるわ輪郭! ビッグバン! 許すまじコロナウイルス! この状況で男に行くあーやんの勇気をあたしは心からほめたたえるよ?「だっていつ死ぬかわかんないし」ってそれも極端だと思うけど理解するよ。エールを送るよ。
 しかし本当に陸でいいのか、そこは親友として心配ではある。
「あのいつも遠くを見ている目が好き、何考えてるのか知りたいっ」
 あーやん、もだえてもむだだよ、あいつはね、陸はね、なーんも考えちゃいないの。授業、一言も聞いちゃいないの。天下無敵の馬耳東風(ばじとうふう)男なの。あいつが考えてることなんてわかってる、午前中は「昼メシ何だろ」、午後は「晩メシ何だろ」、その他の時間帯は「眠みい」、その三択だから。興味のないことはいっさいやらない。「絵が超絶うまくて世界史いつも学年五位以内って素敵すぎ」ってあーやんお目々ハートになってるけど、他の科目ほぼほぼ赤点だからね? 体育だって球技のとき見てみ、ひたすら後ろのほうでだらだらしてるから。たしかにね、障害物競走、あれはあたしも驚いた、他の男子たちがハードルをぴょこぴょこ跳んでるあいだに、陸だけ何て言うの、スライドするように風を横に切っていってあっというまにゴールしてて、ついたあだ名がガゼル、ってつけたのあたしだけどね。まあ、かっこよかったよ。あーやんが惚れるのもわかる。その他おおぜいがきゃあきゃあ言い出したのもわかる。
 だけど。ね。いまさら無理じゃない。だってパンツ一丁でビニールプールで水かけあった仲よ? まちがいなくあたし女の部類に入ってない、陸にとって。だいたいあたし性格キツすぎだから、あーやんみたいないい子とつきあったほうが、陸の幸せのためだもん。いいの、それは。あたしには小説がある。めざせデビュー! まだ一文字も書いてないけど。
「姉ちゃんは性格悪いけど顔はまあまあだからさ」健うるさい。「胸ももろスーパーAカップ超バニラだけど、男はそこはあんがい気にしないもんだしさ」マジうるさい。「だからそのアホガード。アホみたいに固い『ガード』、なんとかしなよ。全身からオーラ出しまくり、『オラオラ近づくんじゃねえ!』って。このままだと負け犬街道まっしぐらだよ?」
 にやにやしてた健は、あたしが反撃しないので、ちょっと〈しまった〉って顔になった。そうだよひどいよ。そんな本当のこと言わないでよ。わかってる、自分でも。だけどどうしようもないじゃない。クラスの女子たちみたいにエロエロなって陸に気持ち悪がられたら、あたし死んで宇宙塵になっても浮かばれない。だから無理なんだって。未来永劫。
 ほんのちょっとぼんやりしてたら、目の前でアイスがコーヒーにとけて、ぬるくてとろんとした意味不明の物体になってしまった。なさけないな、中途半端。熱いか冷たいかどっちかにしろ、自分。アッフォガートって「溺れる」って意味なんだって、なんかいいよね。あたしだって溺れてみたいけど、しょうがないよ。浅すぎるもの。ビニールプールじゃね。

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