KIMORIハーベスト

文字数 2,363文字

 たのもーう! と元気な声が縁側から響いて、日浦(ひうら)は一つため息をついた。面倒臭そうに(ひろむ)、と声をかけると、台所の方から「はいよー」と軽い声が応じる。
 秋の日は釣瓶(つるべ)落としとはよく言ったもので、先程までは赤みの差した空だったのに、すっかり宵闇に染まり始めている。今日の夕飯は、離れの使用料として小日向(こひなた)の担当だ。おそらく、それを見込んでやってきたのだろう。奴の作る食事は、大体が酒に合うものばかりだ。
 板間の工房に散乱した木屑を手早く片付けて縁側へ面した居間へ向かうと、豊かな黒髪を無造作に束ねあげた気の強そうな女が、我が物顔で食卓を整えていた。
「またか、尾野(おの)
「ばんはー、良い夜だね? カナ」
 お仕事は順調かい? とにんまり笑い、ちょんちょんと自分の髪を指す。気づいて縁側で髪を無造作に払うと、はらりと木屑が庭へ落ちた。
「悪い、ありがと」
「今は木版作り?」
「ん、荒削り中」
 今抱えている仕事は、近々移住してくる住人の家の襖だ。こぢんまりとした古民家が今風に改装され、建具を整えているところでお呼びがかかった。
 どうやら新たな住人予定は小柄で可愛らしい女性らしく、工務店の自称一流建築士は張り切っているらしい。
 ……尾野移住時の二の舞いを踏まねばいいが、と思っているのは秘密である。
「いいよねぇ、カナの唐紙。うちの襖も可愛くて大好き」
「そりゃ良かった」
「そのお仕事終わったらさ、軸作ってよ。ちょっと雰囲気のいい布手に入れてさぁ」
 良い感じに飾りたいんだよね、とにんまり笑う。
 日浦が祖父の仕事を受け継いで、そろそろ五年になる。風光明美と言えば聞こえの良い田舎町の片隅で、代々経師屋(きょうじや)を営んでいた家系だ。祖父は自身を唐紙師と称しており、それもそのまま受け継いだ。
 昔は木版彫師も別にいたらしいが、現在は日浦が残された版木も譲り受けて、全てを一人で賄っている。都会では暮らしていくには厳しいが、自給自足がある程度適う田舎なら、なんとかやっていけるか。
 そんな侘びしい生活だったが、一昨年この豪快な女友達が越してきてから、少しだけ上向いている。
「お待たせー。万里矢(まりや)、運べ」
「あいあい、ゴチになりまーす!」
 どん、と卓袱台の真ん中に彩りの奇麗な寿司桶が置かれて、尾野が目を輝かせた。
「やった、手捏ね寿司! ヒナ素敵!」
「やっぱ鰹食わんと、鰹。それに、シードルだったら酸味だろ!」
 シードル? と胡乱に見遣った日浦に、小日向は尾野を指した。
「いやぁ、こいつが国産シードルの新酒手に入れたって言うから」
「無濾過非過熱の生だって。家でばっちり冷してきたぜい!」
 ただでさえ豊かな胸を、更に押し出すように胸を張り、古風に風呂敷包みされた瓶をお披露目する。ワインのフルボトルくらいの大きさが二本。どれだけうちで空ける気だ、と半眼になる日浦に、ばちこんと尾野はウインクした。それがまた、嫌味なくらいに似合う女だ。
「シードルなんてジュースみたいなもんじゃん。すぐ飲んじゃうってぇ」
「万里矢ー、働かざる者食うべからずだ。彼方(かなた)、茄子使ったからな。煮浸し、好きだろ」
 持ってくるね、と軽やかな足取りで台所へ向かった尾野に軽く笑って、小日向は風呂敷を解く。現れた緑色の瓶には、ピンクの可愛らしいラベルが貼られている。
「めっずらしいな、王冠で蓋してんじゃん」
「へぇ、限定品。酵母沈澱してるな」
 如何にも尾野が好きそうだ、と思っていると、軽い足音と共に大盆を抱えた尾野が戻ってくる。どうやら、取り皿や箸にグラスも揃えて小日向が置いていたらしい。本当に、食に関しては全力な男である。
「カナ、栓抜きある?」
 あぁ、と戸棚を振り返り、抽斗(ひきだし)から取り出して差し出す。友人たちがこうして度々酒盛りにやってくるため、必要な道具は一通り揃ってしまった。何なら、シャンパンオープナーなんて代物まで常備されている。それにしても、ソムリエナイフなんて誰が放り込んだのだろうか。
 抽斗を覗き込んで思わず遠い目になってしまった日浦を他所に、手早く食卓を整えた二人は、わいわいとシードルに群がっている。
「待って待って、ヒナ、酵母混ぜる前に一杯ちょうだい!」
「えええー、なんでだよ、薄くねぇ?」
「蔵出し生シードルだよ? 新酒だよ? 林檎の! 甘くて美味しい旨味が!」
 なるほど、と真顔で頷いて、一息で栓を抜いた小日向が、そっと尾野のグラスへシードルを注ぐ。ふわりと甘い香りが漂って、ほんのり濁った淡い色がとろりと揺れた。
()い香り。色もいいね」
「彼方、おまえどうする?」
「俺も最初は上澄みくれ」
 上澄みって、と苦笑しながらグラスに注ぎ入れ、こちらへサーブしてくれる。そうして瓶を置いた小日向は、「それでは!」とグラスを手に取った。
 かんぱぁい! とテンション高く唱和する二人に笑いながらグラスを口へ運ぶと、林檎の香りが心地良い。口へ含めば優しい甘さがまず感じられて、しゅわりと穏やかな炭酸が舌の上で弾ける。シードルと言えば独特なくせが気になるところだが、これは上澄みだからか飲みやすい。
 美味いな、と思わず呟くと、尾野が幸せそうに頬を緩めた。
「すんごいフルーティだね。酵母混ぜたら、もう少しシードルっぽいくせ出るかな?」
「あー、んまい。俺、シードルそんなに好きじゃなかったけど、旨味あるな、これ」
 よくもまぁいろんな酒を見つけてくるな、と半ば呆れたふうに視線を向けられて、尾野はにんまりと笑った。
「そりゃぁ、ね。美味しい御飯には美味しいお酒がなくっちゃ始まらないでしょ」

〈了〉
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