第15話 両国界隈の夜の探検

文字数 2,399文字

夜の両国寮の周囲を探検することにした。
まずは両国駅の駅前から歩き始めた。


病院、料理屋、料亭、ラーメン屋、パチンコ屋、学習塾が並んでいた。
まだこうこうと電気がついている。サラリーマン風の人たちが賑やかに歩いている。
両国の夜はまだ宵の口だ。両国駅の駅前通りを一つ路地に入ると辺りがほの暗い。
少し恐かったので自然に足が速くなる。
銭湯があった。看板には「梅の湯」と書いてあった。
両国劇場があった。日活ロマンポルノのポスターが貼ってあった。
入口の左右にはストリップショーの案内看板も出ていた。
赤提灯もあった。焼鳥を焼いている芳ばしい香りが外まで漂っていた。
銭湯に入ったあと焼鳥で一杯を妄想しながら歩いた。
まだ、今の私にはできない。


隅田川に架かる両国橋に向かった。
京葉道路の車の往来は少なくなり始めていた。
道を歩く人も殆どいなくなっていた。
向こう岸には大きな建物が立ち並び、ビルの屋上にはネオンが輝いている。
企業の宣伝広告のネオンが多かった。
そのネオンの灯りが隅田川に映えきれいな夜景を作っていた。
両岸には桜の花が咲き、桜には提灯の灯りも付いていた。
橋の上からしばらく夜景を眺めていた。
少し蒸し暑い夜だった。川面からは時々涼しい風が流れてきた。


両国橋の北の方には蔵前橋が見えた。向こうが浅草になる。
南のほうには新大橋が見えた。浜町公園の近くには明治座があると聞いていた。
隅田川には何艘かの屋形船がゆっくりと流れて浮かんでいた。
船の中で宴会をしている姿が見えた。別世界のようだった。
両国橋の手前には交番があった。交番の中ではお巡りさんが煙草をくゆらせていた。

久しぶりのゆったりした夜だった。
玄関の鍵は持っているがやはり門限が気になった。
門限の10分前には両国の寮に着いた。
隣の宮田さんの部屋の電気は点いていなかった。
今日はゆっくり寝られそうだ。ドアを開けて部屋の電気をつけた。
部屋の真ん中に布団を敷いた。押入れの中にはゴキブリが一匹いた。
今度の日曜日には部屋の掃除と害虫の駆除をしようと思った。
南側の窓を開けて外を見た。両国講堂のドームが薄暗い光にぽっかり浮かんでいた。
眼下に見える隣の染物屋は、黒いトタン板の屋根だった。
その先は2階建ての麻雀屋さんの赤黒い瓦屋根が見えた。
麻雀屋さんの先には、細長い3階建てのアパートのような建物があった。


その時に、隣の部屋から壁を叩く音が聞こえてきた。
意外だった。隣の部屋の電気は消えていたのに音がする。
宮田さんの声がする。
「おお、部屋の電気を消してこっちへ来いよ」
「どうしたんですか、何かあったんですか?」
「いいから、静かにしてこっちへこいよ」
宮田さんの部屋は薄暗かった。宮田さんと佐伯さんが窓の近くに座っている。
手には缶ビールを持っている。
「こっちに来いよ」
「なんですか?」
「大きな声を出すなよ」
「え、はい・・・・」
「あのアパートの3階、左から2番目、窓が開いているだろ~」
「武蔵屋の女子寮って言っていましたね?」
「よく覚えているな、すけべ~、おめえ、もう見たんだろ」
「何をですか?」
「この~、とぼけて。トトカマ」
「なんですか、トトカマって?」
「小さな声でしゃべれよ、カマトトは純情ぶっている女だろ、男はその反対だよ」
「まいったな、何も見ていませんよ、純情ぶってもいませんよ」
「さっきな、女が帰ってきたんだよ、見ていろ、着替えが始まるから」
「俺はいいですよ」
「そこに缶ビールがあるから、一本飲んでいいよ」

佐伯さんもビールを片手に窓から首を出してアパートの3階を見ている。
暗い部屋の中で、窓から首を出している二人の男の姿は不気味だった。
佐伯さんがニヤニヤしながら私に話しかけてきた。
「今帰ってきた女が、武蔵屋の中ではいいほうなんだよ」
「覗いちゃまずいでしょう、佐伯さん」
「気がつきゃしないよ、ほれ着替えが始まるぞ」
「俺はいいですよ、部屋に帰って寝ますよ」
「一度位は見て置けよ、それでつまんなけりゃ、後は見なけりゃいいだんべ」
「なんか、犯罪みたいでドキドキしますよ」
「それがいんじゃねえか、本当に女の裸がみたけりゃ、両国劇場だよ」
「ああ、両国劇場で土曜日にストリップショーがあるって看板がありましたよ」
「あんたも好きね、両国劇場に行ってきたんだ。やっぱり裸が好きなんじゃん」
「いいえ、さっき夜の散歩に行って通りかかったんです」
「あんなのもう飽きちゃったよ。やっぱり素人のほうが興奮するよ」
「ちょっと異常じゃないですか?」
「ば~か、男なら当たり前だろ、無理に抑えると体にわりーど」
北海道生まれの佐伯さんは殆ど群馬弁になってしまったようだ。

「しっ、ほれ、着替え始めたぞ」
「まずいですよ。これ覗きですよ」
心臓がなり始めた。初めて罪を犯すような気持ちになっていた。
3人いるので心強かった。気がつくとビール片手に私も暗い窓辺に首を並べていた。
暗い部屋の窓で、10分くらいアパートの3階を見ていた。
最初は興奮したがそのうちに飽きてきた。
武蔵屋の女の子がパジャマに着替え終わった所でひと段落となった。
私もだんだん悪に染まっていく。こんな事でも3人の連帯感が高まっていく。

隣の大須磨さん一人で寂しくないだろうかと思っていた。
宮田さんが音をしないようガラス窓を締めたあと部屋の電気をつけた。
「この頃、あんまり決定的な場面がないな、前はもっとすごかったけどな」
「もう、見ているのを知っているんじゃないですか?」
「そうかもしんねえな、早川君残念だったな」
「俺はいいですよ。それより宮田さん、運転の練習をお願いできませんか」
「うん、じゃあ俺を6時になったら起こしてくれよな」
「はい、6時ごろに呼びに来ます」

部屋に帰ると畳の上に一匹のゴキブリが遊んでいた。
追いかけて捕まえて、手に持っていた缶ビールの中に入れた。
今日は誰も来なかった。小汚い6帖の部屋が広く感じた。
今夜こそは一人でゆっくり寝られそうだ。
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