第1話

文字数 1,790文字

 体育館と見まごう規模の建物の中で、大学生の古峰(ふるみね)はモップで床を磨いていた。
 神保(じんぼ)ロボット工学研究所の所長である神保恭介(きょうすけ)は、この日の為に特別に用意したであろうビンテージのワインを開けると、2つのグラスに注ぎ、古峰に声を掛けた。
「ついに完成したよ古峰くん。君も一緒に乾杯しようじゃないか」
 押され気味にグラスを渡された古峰は、眉根をよせながら奥を指さす。
「博士。あれは一体なんですか?」
 古峰の言葉が意外だったらしく、神保はあからさまに顔を歪めた。
「今まで一緒に研究しておいて、今さら何を言っておる。それでも助手として恥ずかしくないのかね」
 だが、それでも納得がいかない。助手と言っても、この研究所に来てからまだ半年も経っていない。それに大学に通う学費を稼ぐためのアルバイトなので、実際には週に2日ほどしか通っていなかった。その上、肝心なところは全て神保が作業をしていたのだから、一緒に研究していたという自覚は全くない。古峰がやったことといえば、お茶くみや資料の整理、後は神保へのマッサージくらいだった。
 これでは研究の詳細を知らなくても当然である。
 古峰は完成したという機体を見上げながら、「判らないから訊いているんです。自分にはただのロボットにしか見えませんけれど」と、感想を正直に述べる。
 二人の目の前には、天井に届きそうな、高さ十メートルばかりの巨大な人型のロボットがそびえ立っていた。
 研究所自体が体育館のような大きさなのは、まさにこのロボットを開発せんがために建設された模様である。神保博士は古峰の通う大学の元教授であり、機械工学においては国内でもトップクラス。そのため、研究に没頭するため、三年前にこの研究所を設立し、それ以来ずっと籠りきりだと、ゼミの講師から聞いていた。
 だが実際のところ、それほど大した成果は上げておらず、人を寄せ付けない特異な性格から、神保博士は大学からうとがまれ、仕方なしにこの研究所をあてがわれたらしい。

 神保は満足そうな笑顔を浮かべると、うやうやしく咳払いをしながらグラスを掲げ、ひと口すすった。
「これは万能ロボットJF03号だ。幼いころからガンダムのような巨大ロボットに憧れを抱いておってな。いつかは自分の手で作り上げるという夢を抱いていた。そのために敢えて独身を貫き、人生を犠牲にしてまで、心血を注いできた……これでもう何の悔いもない」
 だが、その割には鉄人28号のようないでたちで、ガンダムとは似ても似つかない。それに神保が独身なのは、彼自身の容姿や性格に問題があるわけで、実は婚活サイトに登録しているのを古峰は知っていた。
「博士、JFとは何の略ですか?」さして興味もなかったが、神保の顔を見ると訊かずにはいられない。
 すると古峰の予想通り、神保は自慢げに顔を向けると、よくぞ訊いてくれたとばかりに顎の髭をさすった。
「もちろんJは私の頭文字からだ。本当はもっとカッコいい名を考えていたんだが、まだ試作品だからな」
「ですが、博士の下の名前は恭介ですよね。Fはどこから来たんです?」
 そんな事も判らんのかと、神保の目つきが鈍色に変わり、奥歯を鳴らす。これが彼の癖であり、古峰はいつもこの音に辟易していた。
「……まさか、私の?」神保の顔色から何となく察しがついた。
 間髪を入れずに、神保はこっくりと頷く。
 古峰は慌てて両手を振った。
「そんな。滅相もありません。自分ごときが博士の発明品の名前に使われるなんて……」
「謙遜するでない。きみがいなければ、このロボットは完成する事は無かった。今までずいぶん苦労しただろう? 私が知らないと思っているのか。朝早くから深夜遅くまで、文句ひとつ言わず、懸命に尽くしてくれた。せめてもの感謝の気持ちだよ」
「博士……」古峰は言葉が続かなかった。まさか神保がそれほどまでに自分の事を見てくれていたとは、夢にも思わなかったのだ。
 しかし、正直なところ、自分の名が刻まれることは勘弁して欲しい。このロボットがどれだけ万能なのかは判らないが、こんな不格好なロボットが世に出たところで、どうせ恥をかくに決まっている。自分が共同開発者だとは死んでも思われたくはない。
 だが、神保はそんな古峰の気持ちなど微塵も感じていないらしく、悦に入った様子でJF03号の左足首を丁寧に磨いていた……。
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