第20話 桜子-8

文字数 2,033文字

 金曜日の夜、綾女(あやめ)から「ちょっと遅くなる。食事は済ませてくる」とLINEがきた。
「まさかデート?」
「給料日後だし、1人飲みだろ。知らんけど」
 里見(さとみ)は、綾女デート説を即座に否定した。つまらん。
 でも、あたしもそんな気はした。パパからは真面目なしっかり者だと聞かされていたが、一緒に住んでみると、綾女はかなりの酒飲みだった。友達も、雪菜(ゆきな)さん以外聞いたことがない。
 ふたりきり♡と浮かれる間もなく、里見は「なんか頭痛い」と言って、夕食後部屋にこもってしまった。
 後片付けを済ませると、あたしは近所のドラッグストアに行って頭痛薬とポカリを買ってきた。里見は常備薬なんて用意してないはずだ。
 里見の部屋をノックしたが、返事がない。ドアノブを回すと開いた。鍵をかけ忘れたようだ。
「里見、具合どう?」
 声をかけたが、返事がない。のぞいてみると、里見は明かりをつけたまま、ベッドの上で寝ていた。服もそのままで、毛布もかけていない。ちょっと休むつもりで寝転がったのが、そのまま眠り込んでしまったのだろう。
 あたしは部屋に入り、ドアを閉めた。薬や水を載せたトレイを机の上に置き、そっと里見の額に手を当ててみる。熱はなかった。
 そのまま枕元に座って、里見の寝顔を見ていた。少しだけ苦しそうに寄せられた眉、高い鼻、大きい口。
 里見の唇を見ているうちに、あたしの喉が鳴った。
 やっぱり、キスしたいな。
 ここで里見にキスしたら、おとぎ話みたいに目を覚まさないかな。目を覚ました里見が優しく抱きしめてくれたら、もうどうなってもいいのに。
 可能性がないわけじゃない。あたしは(あおい)ちゃんにそっくりなんだから、寝ぼけた里見は喜んであたしを抱きしめるかもしれない。あの日のように、泣き崩れるかもしれない——。
 そう思ったとき、あたしはもう里見にキスをしていた。唇と唇が触れるだけの軽いキス、だけど。
「う……ん……」
 思っていた通り、里見は目を覚ました。最初はぼんやりしていたが、あたしに気づくと、腕を強い力でつかまれた。
(いた)っ」
 そのまま、あたしはベッドに押し倒された。馬乗りになった里見が、あたしの首筋をじろじろと見ている。
「さ、里見?」
 なんか思ってたのと違う。怖い。里見の表情には、愛しさなんてかけらもない。それは、あたしが桜子(さくらこ)だから? それとも、葵ちゃんと勘違いして?
 ふっと、あたしを押さえつけている里見の力が弱まった。はっきりと目が覚めたらしい。あたしから降りると、怒ったように言った。
「あんまり、男を舐めてんじゃねーぞ」
 そのまま、あたしをベッドから立たせて、部屋から押出そうとする。
「待って、待って、里見!」
 あたしは里見の手を振りほどくと、真正面から抱きついた。
「里見が好きなの! お願い、葵ちゃんの代わりでもいいから、あたしとつきあって」
 里見は、あたしの両肩をつかんで、自分から引きはがした。
「勘違いするな。俺は……俺は、葵のことが大嫌いだったんだ」
「嘘! あんなに泣いてたじゃない!」
「あれは、瑛士(えいじ)が死んだからだ!」
 里見はうつむき、苦しそうに言った。
「江口のいとこだからと思って遠慮してたけど、はっきり言うぞ。葵は気に入った男なら、誰とでも寝るような女だった。それが、友達の恋人でも、彼女持ちの男でもな。そのためなら、手段は選ばなかった。そんな女が瑛士の婚約者だなんて、認めたくなかった。あげく、葵の親に挨拶に行く途中で事故って、あいつは」
 里見の握った拳が震えている。
「——死んだんだ」
 ……超ウケる。
 葵ちゃんが、そういう「男好き」な女だったことは、小学生の頃からなんとなく理解していた。「男に好かれている自分」が大好きな、自己中女だって。
 それなのに、里見に好かれたくて葵ちゃんの真似をして、そのせいで、あたしは里見に嫌われていたんだろう。バッカみたい。
 それでも、里見に確認したいことがあった。
「ね、教えて。里見も葵ちゃんと寝たの?」
 里見は青い顔をして、それでもしっかりと頷いた。
 あの日の涙をピュアだと思ったのは、幻想だった。
 葵ちゃんは誰とでも寝るような尻軽女だったけど、里見だって親友の彼女と寝るような最低男だった。全然ピュアじゃなかった。
 自分の顔の横に垂れている黒髪に、ふと気づく。里見に気に入ってもらえるよう、葵ちゃんに近づくために気をつけて手入れをしていた日々が、マジで馬鹿みたいだ。
 あたしは里見の机の上にあったハサミをつかむと、衝動的に自分の髪を切った。
「馬鹿、危ない!」
 里見があたしの手からハサミを取り上げようとして、もみ合いになった。
「痛ってー」
 里見の手の甲から流れる血を見て、あたしは固まってしまった。
「ちょっとー、なに騒いでんのさ」
 いつの間にか帰ってきていた綾女が、ドアを開けて入ってきた。
 あたしの手に握られたハサミと、血を流している里見を見ると、問答無用でハサミを取り上げた。
 そして、あたしと里見はふたりとも、綾女に平手打ちされた。

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