第6話:七郎商会が稼働とチェルノブイリ原子力事故

文字数 1,823文字

 七郎商会には、新しくコンピュータの入力、管理スタッフを七郎を含め男性4名と、パーソナル・コンピューターを使える秘書兼、受付嬢、女性2名の合計6名で会社を立ち上げた。そして、3交代制で、日本、欧州、米国の経済状況を24時間態勢で見ていき、ジュネーブのピクテのロスチャイルド家のプライベートバンクと情報を共有した。

 そして、金「ゴールド」、原油、通貨、株を初めとした商品市場、米ドル、ポンド、日本円、スイスフランなど為替、先進国の株価の変動を見逃さないようにして24時間、最高の状態で投資活動をして行く。この仕事で、七郎商会には、年間2億円の利益がもたらされた。次に、七郎が、今後、日本円が、強くなるのではないかと言うと、その意見にリチャードも同意した。

 日本の優秀な電機製品、車などが、売れてるし品質も良いので、ソニー、パナソニック、トヨタ、ホンダなどの株を買っても良いかも知れないと言った。1979年ソニーを2万株、1600万円で購入した。トヨタ株2万株、1600万円で購入。残り資産が1600万円となった。そこで、スイスのピクテに連絡して、七郎の金地金144kgを日本円に変えたいと話した。

 そこで、金価格を注視する様に指示。1982年末に金1g4300円の高値となり、金地金144kgを6億円で売却。1982年末、七郎が、30歳の資産が6億1600万円。1985年の9月22日のプラザ合意で急激な円高と日本株高で日本株を買うか1日かけて考え、株の変化の方が大きいと考えた。

 その後、ソニー株を30万株で3億円とトヨタ株30万株3億円の合計6億円で購入。残金1600万円を残しておいた。予想通り1986年から日本株が一気に上昇してきた。日本株上昇と共に日本円も高くなった。その年の4月26日、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号機で発生した史上最大の原子炉事故。 原子炉が暴走し炉心溶融に続いて水蒸気爆発が起きた。

 そして、原子炉や原子炉建屋が破壊され、大量の放射性物質が国境を越えて拡散。 爆発や急性放射線障害などで31人が死亡、11万6千人が避難を強いられた。当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を内外に公表せず、施設周辺住民の避難措置も取られなかった。そのため、彼らは、数日間、事実を知らぬまま通常の生活を送った。

 そして、高線量の放射性物質を浴び被曝。しかし、翌4月27日にスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所にて、この事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が検出され、近隣国からも同様の報告があったためスウェーデン当局が調査を開始。この調査結果について事実確認を受けたソ連は4月28日に、その内容を認め、事故が世界中に発覚。

 当初、フォルスマルク原発の技術者は、自分たちの原子力発電所内からの漏洩、あるいは核戦争が起こったのではないかと考えた時期もあったと言う。爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。アメリカの軍事衛星からも、赤く燃える原子炉中心部の様子が観察された様だ。ソ連当局は応急措置として次の作業を実行した。

 火災の鎮火と、放射線の遮断のためにホウ素を混入させた砂5千トンを4号原子炉の真上からヘリコプターで投下。水蒸気爆発「2次爆発」を防ぐため下部水槽「圧力抑制プール」の排水。後日、一部の溶融燃料の水槽到達を確認したが水蒸気爆発という規模の現象は起きなかった。減速材として炉心内へ鉛の大量投入。「実際には炉心には、ほとんど到達しなかった。」

 液体窒素を注入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる。「注入した時には、既に、炉心から燃料が流出していた。」この策が功を奏したのか、一時制御不能に陥っていた炉心内の核燃料の活動も次第に落ち着き、5月6日迄に大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解をソ連政府は発表した。

 砂の投下作業に使用されたヘリコプターと乗員には、特別な防護措置は施されず、砂は乗員が、砂袋をキャビンから直接手で、投下した。作業員は大量の放射線を直接浴びたものと思われるが。真実か、どうかは、不明。

 下部水槽「サプレッション・プール」の排水は、放射性物質を多く含んだ水中へとソ連陸軍特殊部隊員数名が潜水し、手動でバルブを開栓し排水に成功した。爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺と呼ばれている。
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