18. ウェスト・エンド・ストーリー

文字数 6,562文字

 

 東京の西端に位置する奥多摩。
 豊かな緑に囲まれた奥多摩湖、その湖畔に二軒の人気カレー専門店がある。
 一方はイギリス人のビルがオーナーシェフを務める欧風カレーの店『シークレット・ガーデン』
 もう一方はインド人のヴィハーンがオーナーシェフを務めるインドカレーの店『スパイス・マジック』
 二つの店は湖のほぼ反対側、周回道路沿いに位置している。
 観光客、行楽客向けの本格的でしゃれた食事処と言うだけでなく、青梅や立川、八王子、あきるの、そして山梨の上野原、埼玉の秩父、飯能と言った近隣からもクルマを飛ばしてやって来るリピーターも多い。

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 ビルが初めて日本にやって来たのは高校生の頃、交換留学生としてやって来た彼は日本でカレーに出会った……いや正確には再会した。
 彼が生まれ育ったイギリスはかつてインドを植民地にしていたこともあり、早くからカレーは食べられていたが、広く食されるようになったのは複数のスパイスをあらかじめ調合したカレー粉が考案されてからのこと。
 現在日本でよく食されているカレーの原型はイギリスにあり、ビルにもなじみがある料理だった、しかし、イギリスではそこからあまり進化することはなく、次第に廃れて行ってしまい、次第にカレーはインド料理店で食べるものになって行った。
 ところが日本に来て驚かされた、イギリス流のカレーは多様化しながら進化していたのだ、そしてそれはビルを虜にした……いわばビルは日本で美しい女性に成長していた幼なじみと恋に落ちたようなものだ。
 一年間の留学を終え、高校を卒業した彼は調理学校に入学、卒業後再び来日して『欧風カレー』を打ち出した店に就職し、その味を盗み、憶えるだけでなく、ヨーロッパ人の感性をもうひとつのスパイスとして加えたカレーを作り上げた。
『自分の店を持ちたい』と言うのは料理人誰もが願うこと、彼はその夢を奥多摩で実現させた、最初はたった一人で切り盛りする小さな店だったが、その味が評判となり、数年後、やはり料理の道に進んでいた弟のジムを呼び寄せて湖畔に映える落ち着いた店を開いた。
 そして近郊からもリピート客が押し寄せる人気店へと成長させた。

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 一方のヴィハーンはインドで調理人の修行をし、レストランの厨房で働いていた。
 日本との出会いは単なる旅行、しかし、その旅行ですっかり日本に魅せられてしまった彼はその後何度も日本を訪れ、遂には移住を決意する。
 幸い日本ではカレーの人気が高い、本場インドで修業した彼を雇いたがるレストランはいくつもあり、彼は望み通り日本で厨房の職を見つけることが出来た。
 彼が日本に強く惹かれたのは近代的な都市や美しい自然、独特の文化ばかりではない。
 旅行中に味わった料理の数々、インドとも欧米とも異なる独特の食文化に強い興味を抱いたのだ。
 彼が働く都内の店はあくまで本場の味を提供すると言うコンセプトだった。
 しかし彼の中では、軸足をあくまでインドに置きながらも日本人にも受け入れられやすい味、インド料理に日本料理のエッセンスを取り入れた味を追求してみたいと言う思いが蓄積して行った。
 そして、しばしば行楽に訪れていたお気に入りの奥多摩湖畔に、たった一人で小さな店『スパイス・マジック』を開いた。
『奥多摩で本場インドの味が楽しめる』とあって、スパイス・マジックはヴィハーンの予想以上に繁盛し、彼は母国から末の妹カイラを呼び寄せた。
 カイラは浅黒い肌にぱっちりとした大きな瞳が映えるエキゾチックな美人。
『奥多摩でインド美人に会える』魅力も相まって、スパイス・マジックはますます繁盛し、数年後には隣接する土地を買い取って大幅に店を拡張し、『スパイス・マジック』を『シークレット・ガーデン』に負けない人気店へと成長させたのだ。

 当初、ビルとヴィハーンの関係はまずまず良好で、互いの店を行き来しては良い所を学ぼうとする姿勢を保っていた。
 ビルはより複雑なスパイスの調合を、ヴィハーンはより複雑な出汁の味わいを学び合い、それぞれの店の味を向上させて行った。
 ひとくくりにカレーと呼ばれるが、両店の味の方向性は違う、人気カレー店が二軒あると言ってもお互いのお客さんを奪い合うようなことにはならず、むしろ奥多摩湖畔に多くの行楽客を呼び寄せるような好循環を生んでいたのだが……そんな良きライバルとも言うべき二人のオーナーシェフの関係にひびを入れたのは無責任なマスコミだった。
 
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 きっかけはとあるグルメ番組、5分間の帯番組で『シークレット・ガーデン』が取り上げられると、翌日にライバル局の同様な番組で『スパイス・マジック』が取り上げられた。
 すると、今度はゴールデンタイムの30分番組で『シークレット・ガーデン』が取り上げられ、負けじとライバル局からも『スパイス・マジック』を特集した番組を放送された。
 TVで大きく取り上げられて売り上げがグンと伸びた『シークレット・ガーデン』が店舗を拡張すると、『スパイス・マジック』も負けじと店を大きくした。
 すると新装なった両店には再びTVカメラが入った。

 最初の5分番組が一日違いで放送されたのは単なる偶然に過ぎなかった、だが、30分番組での競合はTV局同士が張り合った結果だった、そしてそれに乗っかるように両店のオーナーが店を大きくすると、TV局ははっきりと『シークレット・ガーデン推し』と『スパイス・マジック推し』に分かれた。
 それぞれの番組のメインキャストも、自分こそがグルメタレントの第一人者だという自負がある。
 番組が競合するように、グルメタレントもライバル心を燃やしてそれぞれが推す店をほめちぎり、『欧風カレーこそ日本が誇る食文化』、『インドカレーこそ本来のカレー』と主張し始めた。
 ここに至って、両店オーナーシェフの間の良いライバル関係が薄れ、あからさまに競合するようになり、それぞれの店はより欧風に、よりインド風にと舵を切った。
 その結果、『シークレット・ガーデン』からはスパイス調合の妙が、『スパイス・マジック』からは味の深みが薄れ、客足が徐々に遠のき始めた。

 だが、二人は自店の客が減ったのを、味のせいだと考えずに互いのせいだと考え始めたのだ。
 そうなると冷静な判断が難しくなる。
『ヴィハーンめ……』
『ビルめ……』
 二人ははっきりと反目し合うようになった。

 そんな状況を冷静に受け止めて憂いていたのはビルの弟・ジムとヴィハーンの妹・カイラだった。
「兄貴、どうしてスパイスの種類を減らすんだよ、これじゃまるでカレー風味のシチューだよ」
「うるさい、スープの滋味を際立たせるにはこの方が良いんだ」
「僕にはそうは思えない、スパイスとスープが互いの味を引き立たせてこそウチのカレーだと言えるんじゃないか?」
「スパイスばかりのインドカレーとは別の道を行く、それが俺のやり方だ、文句を言うな」

「兄さん、どうしてスープの材料を減らしたの? 確かにインドカレーに近いかも知れないけど、兄さんの目指していたカレーとは違う気がするんだけど」
「うるさい、スパイス配合の妙味こそカレーの王道だ」
「あたしにはそうは思えないわ、スパイスの味をスープが下支えしてこそウチのカレーだと思うの」
「スープになど頼らない、そもそもイギリス人が作るカレーなど本物のカレーではない、あれはカレーとは別のものだ」

 それぞれの箴言は、ライバル憎しで頭が一杯の兄たちには届かない。
 そして、事態は最悪の方向へ向かってしまった。

 奥多摩に近い青梅で毎年催される夏まつり。
 二人の店主はその会場で『決着をつけよう』と言い出したのだ。
 会場でミニカレーを振る舞い、美味いと思った方へ一票を投じてもらう、その得票で勝負をつけ、負けた方は奥多摩から撤退すると言うとんでもないものだった。

「兄貴、負けたら撤退だなんて、従業員はどうするんだ」
「うるさい、負けるはずがないだろうが、勝ては向こうの客もこっちのものだ、店をもっと広げるぞ、あっちの店を買い取って支店にしても良いな」

「兄さん、勝ったらお客さんが全部こっちに来てくれるなんて幻想よ、二つの人気店があるからお客さんが来てくれるの、片一方だけなら奥多摩までカレーを食べにこようなんてお客さんは減っちゃうわ」
「バカな、そんなことはない、俺は俺の味に絶対の自信がある、負けるはずがない、目障りなビルが居なくなればどんなに良いか、想像しただけで気分が晴れやかになる」

 二人の気持ちも頭に血が上った兄たちには届かなかった。

「あ……」
「え……」
 青梅まつりの開催に当たって、出店する店舗の場所決めや衛生管理を徹底させるための会議が持たれ、互いに兄の代理で出席したジムとカイラはその席上で顔を合わせた。
「カイラ……負けた方が撤退なんて勝負はばかげていると思うんだ」
「あたしもよ、ジム……二店揃っているから奥多摩がカレーの聖地と言われるまでになったのに……」
「その通りだと思う、同じカレーを提供するにしても、それぞれの持ち味は全く違うんだからね」
「その通りよ、あなたの店のカレー、あたしは好き」
「僕も君の店のカレーを食べると、その度に発見があるよ」
「あなたの店のカレーが食べられなくなるなんて……」
「ウチが負けるとでも?」
「そんなこと言ってないわ、ただ,どちらが勝っても負けても一方は撤退することになるんでしょう?」
「そうか、そうだったね……なんとか止めさせられないかな」
「無理よ……もうすっかり頭に血が上っちゃってるもの」
「ウチの兄貴もだよ……でもなんとか……」
 夏まつりまでの間、二人は何度も顔を合わせて頭をひねり合ったが、決定的なアイデアが浮かばないままに夏まつりの当日を迎えてしまった。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 意気揚々と、闘争心をみなぎらせて会場に乗り込んだビルとヴィハーン、ジムも自分の店の為に厨房で汗を流し、カイラは呼び込みに声を枯らす。

 予定の皿は101枚、両方を味わい、よりおいしいと感じた方の店の前にだけ皿を積んで行くと言うルール、そしてそれぞれの店の前に空いた皿が次々と積み上げられて行くが、勝負は互角に進んで行った。
 99皿を終えて『シークレット・ガーデン』50皿に対して『スパイス・マジック』49皿。
 固唾を飲んで見守られた100皿目が『スパイス・マジック』に積まれて50対50のイーブンになった。
 
 その時進み出た一人の老紳士。
「ワシにも一皿づつ貰えるかね?」
「あ……あなたは……」
「料理評論家の至高極先生……」
 くしくも、最後の審判は著名な料理評論家に託されることになった。
「うむ……」
『スパイス・マジック』の皿を味わった至高極は『シークレット・ガーデン』の皿に手を伸ばす。
「ふむ……」
 固唾を飲んでいるのはビルとヴィハーン、ジムとカイラだけではない、夏まつりに参加している誰もがその判定を見守る中……至高極は重々しく口を開いた。

「引き分けじゃ……」

「え? そんなはずは……」
「ウチの方が上でしょう? どうなんですか?」
 詰め寄る店主たち、だが、至高極は重々しく言った。
「正確に言えば、どちらも負けじゃ」
「え?」
「それはどういう……」
「ワシはどちらの店にも伺ったことがある、だがこのカレーは明らかに以前より味が落ちているのじゃよ……何故だかわかるかね?」
 ビルとヴィハーンはドキリとした。
「つまらぬ対抗心など料理には必要ない、必要なのは手間を惜しまず味を守ること、そしてたゆまぬ研究心をもって味の進化を図ること、それに尽きるのではないか? 元々方向性が真逆と言っても良い味じゃ、味に優劣などつけられるはずもない、ただ、どちらも味が落ちているのは名声に溺れて手間を省こうとしたこと、そしてつまらぬ意地を張り合って互いの良い所を学ぼうとする研究心を忘れたこと、それが味を落としたのじゃ……違うかね?」
 ビルとヴィハーンはうなだれるばかり。
「マスコミに踊らされてはいかん、TVに味は映らんのじゃよ、マスコミにもてはやされて一時的に繁盛し、その後評判を落としていった店をワシはいくつも知っておる、お客さんが来なくなってもマスコミは責任など取ってはくれぬぞ、彼らが興味を持つのは視聴率にだけじゃ、そこのところはよく肝に命じておいた方が良い……では、ワシは失礼するとしよう」
 至高極が席を立とうとする、すると……。
「待ってください、仰ることは一々身に覚えがあります、私は初心を忘れていました」
「私もです、目先の繁盛に舞い上がって自分を見失ったことが恥ずかしいです」
 ビルとヴィハーンが深々と頭を下げると、至高極は満足げに頷いた。
「わかってくれたか、それでこそワシもここへ来た甲斐があったと言うものじゃ、これからも美味いカレーを食わせてくれ」
「はい」
「喜んで」
 二人が握手を求めて至高極に手を差し出すと、彼はその両方の手を取り、互いに握らせた。
 はっとして顔を見合わせるビルとヴィハーン……だがどちらからともなく左手を添えて、二人は両手を握り合う固い握手を交わした。

「良かったわ……」
「本当に……」
 ジムとカイラもホッとして見つめ合った。
「ジム……」
「カイラ……」
「ジム!」
「カイラ!」
「ジム!!!」
「カイラ!!!」
 名前を呼び合って駆け寄る二人……。
 お互いの店を思い、対決を何とか回避しようと何度も話し合った二人、その間にいつしか芽生えていた愛の蕾……。
 店の存亡と言う大事を前にしてその気持ちを表に出すことは出来なかった、だが、理想的な結末を迎えて安堵すると、つぼみが一気に花を開いたのだ。
 互いを離さぬように固く抱き合う二人……。

 するとここぞとばかりにバンドがボリウッド・ナンバー『Gola Gola』を奏で始めると二人は踊り始め、ダンスコンテストに参加していた各チームが大挙して参加して、絢爛豪華な大ダンスシーンが繰り広げられた。
(参考URL https://www.youtube.com/watch?v=Rdj5cIbGftU )
 それを見ていた二人の兄はあっけにとられたが、夏まつりの会場全体が大いに沸きあがったのは言うまでもない。



 それから三年後……。
『シークレット・ガーデン』と『スパイス・マジック』は今も良きライバル店として共に繁盛している。
 ビルとヴィハーンも定期的に互いに行き来してはカレー談議に花を咲かせている、時には過熱することもあるが……それも熱意の表れだ。
 そして……。
 昨年、三軒目のカレー専門店がオープンした、店名は『シークレット・スパイス』。
 ジムとカイラの店だ。
 まだまだ兄たちの店と比べればごく小さい店だが、夫婦二人で切り盛りしている温かい雰囲気が魅力の店だ。
 欧風カレーとインドカレーの『良いとこ取り』を謳っているが、兄たちの店にはない風味があり、それが店名の由来になっている。
 どんなスパイスが使われているのかは文字通り『シークレット』、だが、常連たちの間では、その秘密のスパイスは夫婦仲の良さ、愛情ではないかと噂されている……。
 
 東京の西端に位置する奥多摩。
 豊かな緑に囲まれた奥多摩湖、その湖畔に建つ三軒のカレー専門店はこれからも人々に足を運ばせるだろう。
 奥多摩と言えばカレー、そう言われるようになるのもそう遠い日のことではないかもしれない。
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