矛盾のないタイムトラベルについて

文字数 1,415文字

 去年までぶちねこにとって夏休みといえば、涼しい図書館だった。ブラインドのついた窓沿いにカウンター席が並んでい、午前中に行けば空席を見つけられた。トイレ前にウォータークーラーが二台あった。表にはナナカマドの木陰にあまり目立たないベンチもあり、そこに腰かけ、車の往来でも眺めながら、家から持ってきた菓子パンをかじることもできた。一日いても困ることはなかった。
 それに比べてぶちねこの自宅では、ウインドエアコンが効かなくなってい、麦茶は廊下状の小さな台所で汗をかきかき沸かさなければならないし、スーパーに行くためだけに日差しの強い外へ出るのが億劫に思えるときもあった。
 にもかかわらず、その夏休み、ぶちねこは図書館へ行くのがむずかしくなった。ぼくのせいだ。
 ぶちねこは宿題を詰めたカバンを持って出かけるところだった。十一時を回っていた。これはぶちねこにとって非常に遅い時間だった。そのとき、ぼくから電話がかかってきたのだ。ぼくらは午後に駅前で待ち合わせ、古本屋で二紙袋分のぼくのマンガを返してもらって、それらを抱えてぼくらはぶちねこのうちへ行った。ぶちねこは冷たい麦茶を何杯も出してくれた。ぼくらは扇風機の強風を奪い合った。
 ぶちねこが一人暮らしだったことに、両親の揃った家庭で育ったぼくは戸惑った。ぶちねこは親と暮らしていなかった。かれがそういったわけじゃないけれど、かれの暮らしぶりを眺めるうち、じわじわとぼくの身体に染み込むように、そうだとわかってきた。ぼくらはたくさん話した。そしてぶちねこはカバンから宿題を出し、次の日からぶちねこは図書館へ行くのをためらうようになったのだ。またぼくからの電話があるかもしれないと思って。
 ぼくは何日も電話しなかった。
 ぼくは父に内緒でまたマンガを買いはじめた。相変わらず立読みもした。音楽やテレビにも夢中で、冷凍庫にはぼくの好みを熟知している母さんが買っておいてくれるアイスキャンデーがいつもあった。そういうことに忙しくて、ぶちねこに電話しなかった。
 というのは理由の半分で、残りの半分は、ぶちねこが図書館の話をしたので、ぼくの出る幕はない、そうでないならぶちねこから電話をかけてくるべきだ、と意地にも卑屈にもなっていた。ぼくらは別れ際に明日の約束をするべきだった。ぼくはちょっとした外出から帰ってくるたび、ぼく宛に電話があったことを忘れてやしないか、母さんに確認したものだった。お互い何日も電話をしなかった。夏休みは一日一日失われていった。もう二度と戻らない。
 お墓参りから戻った後、ぼくはとうとう電話した。なぜ図書館の話なんかしたのだろうとぶちねこは自分を責めた。自分から電話する勇気のなさを白状した。ぼくは図書館に連れてってもらうことを提案しなかった自分を馬鹿だと思った。たぶんぼくは図書館にヤキモチを焼いていた。そんなことにようやく気づいたのだ。
 そこでぼくらはタイムトラベルをした。新しい時間線のぼくはもっと素直で、ぼくらは別れ際に明日も会うことを確認しあい、新しい時間線のぶちねこはヘラクレスのように勇敢で、ちょっとでもぼくがいつも電話する時間を過ぎるとただちに電話をかけてきた。ぼくらは夏休みまるまる一個分いっしょに過ごした。図書館へ行ったり、お互いの家を行き来したりした。そんなふうに過去を書き換えた。そうじゃないと辻褄が合わないくらい仲良くなったのだ。そうとしか思えない。
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