文字数 1,089文字

 田中は、ぼくらに一目置かれたがっていた。
 けれども、成績もおしゃべりも並みだったから、田中は、いっぷう変わった行動をする人間、周りとは異なる視点をもつ人間に自分を見せようとした。
 そういうやつに対しては、おまえなんかどこにでもいるやつだ、という態度で接しようとするのが人間らしさというものだ。
 そんなわけで、田中はいつも空回りしていた。
 いまとなっては、具体的にどんなふうに空回りしていたのか、ほとんど思い出せない。卒業してからというもの、ぼくの脳みそのうち、かれとの思い出を保存している場所の大部分は、長いあいだ通電しなかったのだ。
 覚えていることもある。一度、かれと二人だけで遊んだことがあった。友達になってまだそれほどたっていなかった。かれはぼくを駅前のタクシーへ引っ張っていった。おれが払う、とかれはいった。ぼくはその日を後悔しはじめた。
 田中は運転手に話しかけた。「調子どうでっか?」
「はあ。」と運転手はバックミラー越しにいった。
「これからサウナ行きまんねん。」
「へえ。」
 ぼくはかれのことばを信じた。「サウナってなんぼするん?」
「サウナ?行くわけないやん。」
 そもそも、そんな心配はいらなかったのだ。田中の有り金はタクシー代でほとんど尽きていた。「ババアにせびりにいこう。」
 田中はぼくを薄暗いブティックに連れていった。田中の母親はそこで働いていた。田中がレジの前の母親と話しているあいだ、ぼくはせまい店の中をグルグルしていた。田中はショーケースにもたれながら話していた。油を売っている中年のようだった。ぼくは店を出た。
 すると、一分やそこらで田中も出てきた。「あかんかったわ。」

 覚えていることがもうひとつある。日曜日だったと思う。田中はぼくらを部屋に招きいれた。ぼくらはまるでグラスの中の氷のようにひしめきあって、かれの本棚から取ったマンガを読んだりした。
 かれの母親の存在が、部屋の壁から感じられた。テレビの音や冷蔵庫を開ける音、廊下を歩く音が、あたかも冬の風のように壁を揺すった。

 いまではぼくは、ぼくとタクシーに乗ったあの日、田中はお金をせびっていないのではないか、と考えている。ブティックは、タクシーを降りた交差点から目と鼻の先にあった。はじめからあのブティックが目的地だったのだ。だとしたら、タクシー代で消えたお金をせびりにいったというのは、論理的に破綻している。
 あの薄暗いブティックに、田中はぼくを母親に見せるために連れていったのではないか。彼女は魔女、田中はその使い魔であり、ぼくらは見定められていたのではないか。いまではそう考えている。


つづく
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