文字数 1,172文字

 一度はさよならをいったマンガたちが、ぼくをぶちねこの部屋に連れていった。どういうことか話そう。
 一学期末のテストの結果は惨憺たるものだった。二つの出来事が連続で起こったとき、はじめの出来事が次の出来事を引き起こしたものとひとは考えがちだ。テストの前のこと、ぼくの厳格な父は、ぼくが居間やドアが半開きになった自分の部屋でマンガを読んでいるところをしばしば見かけた。そしてテストの結果がわかると、かれはマンガがその元凶であると考えた。
 かれは一冊の例外も認めなかった。ぼくは胸が引き裂かれる思いでマンガたちを紙袋に詰めた。せめてほかのだれかに読んでもらえるよう、古本屋に売ることをぼくは懇願し、かれもそれだけは認めてくれた。魂を半分抜かれた本棚の前に紙袋を二つ並べた、その前でぼくは眠りについた。いい人に買ってもらえるといいのだけれど、という思いを抱えながら。
 当時、ぼくの家からそう遠くないところに一軒の古本屋があった。二階に暮らしている老婆が一人でやっている、昔ながらの小さな古本屋で、ぼくもときにはお客さんとして、しかし大抵は立読みだけして去る者として、たいへん世話になっていた。老婆はいつも奥の階段の上り口に腰かけていて、話しかけてくることはなかった。ぼくは紙袋を両手に携えて、というより、実感としてはほとんど引きずりながら、蝉のうるさい日に彼女の前にやってきた。
「三十円やな。」
「一冊?」
「全部でや。」
 ぼくは戦慄した。こんなにおそろしい人間だとは知らなかった。ぼくが汗だくで立ち尽くしていても、彼女は顔色ひとつ変えず、ぼくの目の前に広げた節くれだった手を引っ込めなかった。
 店内の雑然としたかんじ、大きい本を小さい本に乗せることも厭わない本の積まれ方や、本棚への本の無茶な詰め込まれ具合など、これまで客としてきたときにはさほど気にならなかったことが、いまやぼくの胸を苛むものとなっていた。店の前で日光を浴びるままになっている、ワゴンの中の本たちについては、いうまでもなく。
 家に帰ると、ぼくはぶちねこに電話した。傷ついたぼくならば一時間くらい廊下の電話を占領することも許されるだろう、そう考えた。願わくばぶちねこ側の事情もそれを許すことを。
 買い戻そう、とぶちねこはいった。買い戻したマンガは自分がすべて預かる、と約束してくれた。
 ぼくらは駅前で待ち合わせ、古本屋へ向かった。
「あかんっていわれたら、どうする?」とぼくはいった。
「そんときは、」とぶちねこの顔が険しくなった。「力ずくしかないな。」
 しかし老婆はあっさり返品に応じてくれ、ぼくらは一人一袋を抱え、ぶちねこの家までマンガを運んだ。この結果は、ぶちねこともっと仲良くなりたいと考えながら夏休みを迎えてしまった、そしてこれからも立読みする者であるぼくとしては、とてもよかった。
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