第9話
文字数 3,090文字
外へ出ると雨だった。
細かい雨だが、サラサラと絶え間なく降っている。
河嶋が傘を差して和子の方へ差しだした。和子は頬を染めて微笑みながら中に入った。
「おう、行くぞー」
河嶋が後を振り向いてそう言うと、先に歩き出した。
「みんなに知れたからって、露骨にベタベタしなくてもいいのにね」
「まぁまぁ、いいじゃない。変によそよそしくするのも、どうかと思うし、第一、恩田さんが可哀想じゃない」
「そうだけどさぁー」
そう話している二人に、工藤と結城が傘を二人に差しだしてきた。
睦子の方に差しだしたのは結城だった。見上げると微笑んでいる精悍な顔と目が合った。歯を見せずに微笑んでいる表情がなぜか胸に沁みた。
(入ってもいいのかな……。)
戸惑っていたら、京子に腕を引っ張られた。
「結構です!あたし達は二人で相合傘するから。ねぇ~?むっちゃん!」
(ええ~?そんな勝手に……。)
睦子は京子に腕を引っ張られながら、結城の方を見た。彼は苦笑している。
なんだか、がっかりだ。
ドキドキしていた胸に、いきなり冷や水を浴びせられたような気がした。
先に到着して店先で待っていた河嶋が、睦子と京子の相合傘を見て、「やっぱりレズダチだな」とニヤけた。その顔がやけにムナクソ悪く感じる。
結城と工藤は小走りに二人を追ってやってきて、ゲームセンターの前に全員が揃った。
「じゃぁ、揃ったことだし、入るか」
河嶋が先頭を切る。
中は思いのほか空いていた。平日だからだろう。
休みの日もそうだが、仕事柄遊びに行くのは平日のせいか、いつも空いている。空いているのは有難いが、空き過ぎているのも案外面白くないものだ。遊興場所は、閑散としていると、かえって盛り上がらないものなのだと、サービス業に従事するようになってから気づいた。
薄暗い店内ではゲーム機のカラフルな電飾が浮き出るように目立っている。人が少ない割には、音が氾濫していて煙草の匂いが鼻につく。睦子の家では誰も吸わないので、煙草の匂いには敏感だった。
だが、懐かしい匂いでもある。
富樫がヘビースモーカーだったからだ。一緒に店に入った時には、必ず睦子に煙が行かないように配慮してくれていたし、車内では窓を開けていた。
無愛想な男だったが、そういう何気ない気遣いを嬉しく思っていた。
大事にされているような気になっていたが、単なるマナーに過ぎず、睦子の勘違いだったのかもしれない。
(あ~、やだな。)
(今日は二回も思い出しちゃった。)
富樫の事を思い出すと気が滅入って来る。
睦子は気を取り直すように、自ら進んでレースゲームのピットに座った。
「おっ!やる気満々じゃん」
河嶋が楽しそうな顔をした。機嫌が良い時は魅力的な顔だ。
「俺、先に対戦してもいいすか?」
工藤の言葉に結城が「いいよ」と答えると、工藤は嬉々とした顔をして、隣のピットに座った。
「じゃぁ、いきますか」
闘争心がありありと浮かんだ顔つきに、睦子も負けん気が湧いてきて、「いいわよ」と、笑顔で答える。
河嶋がコインを入れて、画面が変わった。
コース選択は工藤に任せた。睦子はどのコースでも自信がある。
工藤が選んだのは、比較的中難度のコースだった。それを見て睦子は鼻で笑う。
画面がスタート画面に変わり、ランプが点き始めた。アクセルを踏む足に軽く力を入れて、肩の力は抜く。集中した。
5・・、4・・、3・・、2・・
タイミング良くアクセルを踏み込み、すぐに相手の前に出る。
ハンドルを小刻みに揺らしながら、相手が前へ出るのを防ぎ、コーナーを考えてコース取りをした。そうしてブレーキとハンドルを巧みに操作しながらコーナーを曲がってすぐにギアをチェンジし、再加速して引き離す。
睦子はただひたすらに集中した。僅かのミスが命取りになる。
最初にある程度引き離せたら、後は比較的楽だった。その調子でミスに気をつけて走れば楽勝だ。レースは睦子の目論見通りに進み、睦子が勝った。
おおぉ~!と男子はどよめき、女子はキャァーっと歓声を上げた。
はっはっは!どんなもんだい。
との思いで隣の工藤を見ると、工藤はハンドルに突っ伏して悔しそうにしていた。
(あぁ、勝つって気持ちイイ!)
対戦ものの醍醐味だろう。
「よし!じゃぁ、今度は俺やるから、工藤君、変わって」
結城がやる気満々な様子でピットに乗り込んで来た。
もしかして、自信あるのかな。
好敵手に出会って喜んでいるような、そんな様子である。
再び、河嶋がコインを入れた。
「コースはアユちゃんが選んでよ」
結城がそう言ったので、睦子は一番難しいコースを選択した。その睦子の選択を見て、「おおっ!」と結城は声を上げたが、顔を見ると嬉しそうだ。どうやら自信があるらしい。
ランプの点滅が始まった。意識を集中させる。
スタートした瞬間、“速い!”と睦子は思った。
危うく抜かれそうになり、スタート直後から緊迫した。
睦子はレースゲームは好きだから、随分と走り込んでいる。全コース、一応制覇はしている。だが、他人との対戦はあまり無い。
ネット対戦をする事はあるが、見ず知らずの人間と対戦する事をあまり好まないので、場数は少なかった。それに対し、結城は馴れているように感じる。
(ヤバイ……。)
最初のコーナーで先に入られた。
ここで焦るとミスをしかねないので、睦子は自分を落ち着かせた。
ヘアピンの多い、高難度のコースである。だがチャンスはまだある筈だ。
幾つもの難所を手堅く押さえたが、差が少しずつ開きつつある。
このレースの状況に、周囲も沸いた。
「むっちゃん、頑張れー!!」
横で京子が興奮した声を出した。
他車のお尻を見ながら走るのは久しぶりだ。なんだか屈辱的な気がする。悔しい気持ちのまま、チャンスを窺いながら慎重にハンドルを捌 く。
最後のヘアピンにさしかかった時、異変が起きた。
結城のブレーキのタイミングが微妙にズレて、内側のボディを擦り、スピードが落ちたのだ。睦子はそれを外側から抜いた。
焦った結城はハンドル操作をミスし、危うく壁に激突する所を、何とか回避したのだった。
睦子は完全に結城を追い越し、悠々とゴールした。
「やったぁー!」と、京子と和子は手を取り合い、両手を合わせて大喝采した。
睦子はホッと息を吐く。
汗をかき、心臓がバクバクしていた。
ゲーム中、かなり緊張していたのだろう。その緊張から解放されて、止められていた血液が一気に流れ出したように、ドクンドクンと音を立てている。
「あ~!失敗した~」
結城の言葉に顔をそちらへ向けると、ハンドルの上に突っ伏していた。
「すげーな、アユちゃん」
河嶋が感嘆の声を上げた。
「本当、すごいっすよ。結城さんも凄かったですねー。惜しかったですよ。勝ってたのに」
工藤の言葉に、結城は顔を上げると、笑顔になった。
「しょうがないよ。ホント、勝負は最後までわからないよな。だけどアユちゃん、凄い!」
確かに勝負は最後までわからないものだが、実力は結城の方が上だと思った。
「そんな事無いって。あたしなんて、まだまだだよ。なんか、凄い疲れちゃった。結城さん、強いんだもん。負けると思ってた」
「でも最後まで諦めずに運転してたじゃん。いつチャンスが巡ってくるかわからないもんな。諦めなかったから、アユちゃんが勝ったんだよ」
そう言って笑う結城の顔に、睦子の胸は高鳴った。
なんて、人懐っこい笑顔なんだろう。
けれど睦子は、ドキドキするのは、レースでの興奮が尾を引いているからなんだと、自分に言い聞かせるのだった。
細かい雨だが、サラサラと絶え間なく降っている。
河嶋が傘を差して和子の方へ差しだした。和子は頬を染めて微笑みながら中に入った。
「おう、行くぞー」
河嶋が後を振り向いてそう言うと、先に歩き出した。
「みんなに知れたからって、露骨にベタベタしなくてもいいのにね」
「まぁまぁ、いいじゃない。変によそよそしくするのも、どうかと思うし、第一、恩田さんが可哀想じゃない」
「そうだけどさぁー」
そう話している二人に、工藤と結城が傘を二人に差しだしてきた。
睦子の方に差しだしたのは結城だった。見上げると微笑んでいる精悍な顔と目が合った。歯を見せずに微笑んでいる表情がなぜか胸に沁みた。
(入ってもいいのかな……。)
戸惑っていたら、京子に腕を引っ張られた。
「結構です!あたし達は二人で相合傘するから。ねぇ~?むっちゃん!」
(ええ~?そんな勝手に……。)
睦子は京子に腕を引っ張られながら、結城の方を見た。彼は苦笑している。
なんだか、がっかりだ。
ドキドキしていた胸に、いきなり冷や水を浴びせられたような気がした。
先に到着して店先で待っていた河嶋が、睦子と京子の相合傘を見て、「やっぱりレズダチだな」とニヤけた。その顔がやけにムナクソ悪く感じる。
結城と工藤は小走りに二人を追ってやってきて、ゲームセンターの前に全員が揃った。
「じゃぁ、揃ったことだし、入るか」
河嶋が先頭を切る。
中は思いのほか空いていた。平日だからだろう。
休みの日もそうだが、仕事柄遊びに行くのは平日のせいか、いつも空いている。空いているのは有難いが、空き過ぎているのも案外面白くないものだ。遊興場所は、閑散としていると、かえって盛り上がらないものなのだと、サービス業に従事するようになってから気づいた。
薄暗い店内ではゲーム機のカラフルな電飾が浮き出るように目立っている。人が少ない割には、音が氾濫していて煙草の匂いが鼻につく。睦子の家では誰も吸わないので、煙草の匂いには敏感だった。
だが、懐かしい匂いでもある。
富樫がヘビースモーカーだったからだ。一緒に店に入った時には、必ず睦子に煙が行かないように配慮してくれていたし、車内では窓を開けていた。
無愛想な男だったが、そういう何気ない気遣いを嬉しく思っていた。
大事にされているような気になっていたが、単なるマナーに過ぎず、睦子の勘違いだったのかもしれない。
(あ~、やだな。)
(今日は二回も思い出しちゃった。)
富樫の事を思い出すと気が滅入って来る。
睦子は気を取り直すように、自ら進んでレースゲームのピットに座った。
「おっ!やる気満々じゃん」
河嶋が楽しそうな顔をした。機嫌が良い時は魅力的な顔だ。
「俺、先に対戦してもいいすか?」
工藤の言葉に結城が「いいよ」と答えると、工藤は嬉々とした顔をして、隣のピットに座った。
「じゃぁ、いきますか」
闘争心がありありと浮かんだ顔つきに、睦子も負けん気が湧いてきて、「いいわよ」と、笑顔で答える。
河嶋がコインを入れて、画面が変わった。
コース選択は工藤に任せた。睦子はどのコースでも自信がある。
工藤が選んだのは、比較的中難度のコースだった。それを見て睦子は鼻で笑う。
画面がスタート画面に変わり、ランプが点き始めた。アクセルを踏む足に軽く力を入れて、肩の力は抜く。集中した。
5・・、4・・、3・・、2・・
タイミング良くアクセルを踏み込み、すぐに相手の前に出る。
ハンドルを小刻みに揺らしながら、相手が前へ出るのを防ぎ、コーナーを考えてコース取りをした。そうしてブレーキとハンドルを巧みに操作しながらコーナーを曲がってすぐにギアをチェンジし、再加速して引き離す。
睦子はただひたすらに集中した。僅かのミスが命取りになる。
最初にある程度引き離せたら、後は比較的楽だった。その調子でミスに気をつけて走れば楽勝だ。レースは睦子の目論見通りに進み、睦子が勝った。
おおぉ~!と男子はどよめき、女子はキャァーっと歓声を上げた。
はっはっは!どんなもんだい。
との思いで隣の工藤を見ると、工藤はハンドルに突っ伏して悔しそうにしていた。
(あぁ、勝つって気持ちイイ!)
対戦ものの醍醐味だろう。
「よし!じゃぁ、今度は俺やるから、工藤君、変わって」
結城がやる気満々な様子でピットに乗り込んで来た。
もしかして、自信あるのかな。
好敵手に出会って喜んでいるような、そんな様子である。
再び、河嶋がコインを入れた。
「コースはアユちゃんが選んでよ」
結城がそう言ったので、睦子は一番難しいコースを選択した。その睦子の選択を見て、「おおっ!」と結城は声を上げたが、顔を見ると嬉しそうだ。どうやら自信があるらしい。
ランプの点滅が始まった。意識を集中させる。
スタートした瞬間、“速い!”と睦子は思った。
危うく抜かれそうになり、スタート直後から緊迫した。
睦子はレースゲームは好きだから、随分と走り込んでいる。全コース、一応制覇はしている。だが、他人との対戦はあまり無い。
ネット対戦をする事はあるが、見ず知らずの人間と対戦する事をあまり好まないので、場数は少なかった。それに対し、結城は馴れているように感じる。
(ヤバイ……。)
最初のコーナーで先に入られた。
ここで焦るとミスをしかねないので、睦子は自分を落ち着かせた。
ヘアピンの多い、高難度のコースである。だがチャンスはまだある筈だ。
幾つもの難所を手堅く押さえたが、差が少しずつ開きつつある。
このレースの状況に、周囲も沸いた。
「むっちゃん、頑張れー!!」
横で京子が興奮した声を出した。
他車のお尻を見ながら走るのは久しぶりだ。なんだか屈辱的な気がする。悔しい気持ちのまま、チャンスを窺いながら慎重にハンドルを
最後のヘアピンにさしかかった時、異変が起きた。
結城のブレーキのタイミングが微妙にズレて、内側のボディを擦り、スピードが落ちたのだ。睦子はそれを外側から抜いた。
焦った結城はハンドル操作をミスし、危うく壁に激突する所を、何とか回避したのだった。
睦子は完全に結城を追い越し、悠々とゴールした。
「やったぁー!」と、京子と和子は手を取り合い、両手を合わせて大喝采した。
睦子はホッと息を吐く。
汗をかき、心臓がバクバクしていた。
ゲーム中、かなり緊張していたのだろう。その緊張から解放されて、止められていた血液が一気に流れ出したように、ドクンドクンと音を立てている。
「あ~!失敗した~」
結城の言葉に顔をそちらへ向けると、ハンドルの上に突っ伏していた。
「すげーな、アユちゃん」
河嶋が感嘆の声を上げた。
「本当、すごいっすよ。結城さんも凄かったですねー。惜しかったですよ。勝ってたのに」
工藤の言葉に、結城は顔を上げると、笑顔になった。
「しょうがないよ。ホント、勝負は最後までわからないよな。だけどアユちゃん、凄い!」
確かに勝負は最後までわからないものだが、実力は結城の方が上だと思った。
「そんな事無いって。あたしなんて、まだまだだよ。なんか、凄い疲れちゃった。結城さん、強いんだもん。負けると思ってた」
「でも最後まで諦めずに運転してたじゃん。いつチャンスが巡ってくるかわからないもんな。諦めなかったから、アユちゃんが勝ったんだよ」
そう言って笑う結城の顔に、睦子の胸は高鳴った。
なんて、人懐っこい笑顔なんだろう。
けれど睦子は、ドキドキするのは、レースでの興奮が尾を引いているからなんだと、自分に言い聞かせるのだった。