1. 惜春

文字数 1,246文字

 風光(かぜひか)る四月の末、大型連休を目前にした午後の職場には、ドンヨリとした空気が漂っていた。

 新年度ということもあり、この一ヵ月またたく間に過ぎ去った気がする。前任地の名古屋から、ここ京都に引越してきたのが三月の末、それがもう遠い昔の出来事のようだ。
 新任地での業務は新たに覚えることも多く、数倍も忙しく感じた。でもバタバタと残業しているくらいのほうが、今のボクにとっては丁度いい。どうせ家に帰っても誰もいない単身生活、そしてまだ心の傷が癒えていないボクにとって。

 実は先月末、四年半一緒に暮らした妻と離婚したばかりだった。

「じゃぁ転勤を機に別れようか」

 そんな話をしていた今年のバレンタインディ。それは実にあっさりとしたものだった。そう決めた瞬間、頭を覆っていた霧がスッと晴れたことだけが心に残っている。

 離婚を決めた当初は心の重荷も取れ、妙に穏やかな日々を過ごしていた。だが最近になって、本当にこれでよかったのか……なんてウジウジ考えている。
 今もこうして月末の事務処理をこなしながら、別れを決めた時の情景を思い返しているし…… でもこのモヤモヤは、いつしか時間が解決してくれるだろう。時間ってヤツは、本当に不思議な力を持っているんだから…… それはそうと、いま何時だろう……

──あ、あと一時間で終業時刻だ。ちょっと休憩しよう。腹減ったし……


 同僚の女子の目を盗むようにして、ボクは事務所の冷蔵庫の中を漁った。

──あれ、手土産(てみやげ)で買ってきた名古屋銘菓カエル饅頭、最後の一個じゃん。賞味期限も切れてるし……まぁいいや、食っちゃおっ

 静まりかえった職場内で、ひとり饅頭なんか食べている姿が見つかっちゃうのもカッコ悪い。ボクは細心の注意を払い、最後に残った饅頭の包装を開けた。
 ウィーン、カタ カタ カタ…… 
 少し離れた場所に置かれた事務所のファックスが、何かを受信している音が響いている。その音で女子所員が顔を上げた。あっヤバッ、目が合ってしまった。
 頬を膨らませ、口をモグモグしているボク。その姿はまるでカエルのようだったに違いない。カエルのツマミ食いがバレちゃった。

「主任、なに食べてますのん。ほら、ファックス来てはりますよ」

 女子所員が出力されたばかりの紙を手に取る。

「え!えぇぇ……」

 驚愕(きょうがく)し、今にも泣きそうな顔をしながら、紙を渡される。
 ファックスには、こう記されていた。

「逝去通知。松本事務所○○達也(たつや)様の通夜・告別式は、下記のとおり執り行われます…」

 何なに、親族の葬儀で達也が喪主か……あっ違う…… えっ達也……達也が死んだ……
 達也はボクが本社勤務だった頃、同じ職場の後輩だった。ボクにとって唯一の、アウトドアと酒が好きな無二の相棒…… その達也が、死んだ……

 つい二ヵ月ほど前、お互いの転勤が分かったとき、電話で話したばかりなのに。
 
「じゃぁ今度、お互いの中間地点あたりで思いっきりアウトドアしましょうよ。星空の下で焚火して……」

 いつもと変わらずアイツは、そう言っていたのに……
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