第5話 毒
文字数 1,569文字
女が覚えているのは、毎朝茶碗一杯の塩を欠かしてならないという、恐ろしい声だけだった。
町をさまよっているところを博徒に捕まり、麗という名を与えられる。まもなく男が死に、別の荒くれ者のものとなった。その男もすぐに骸となり、美貌を聞きつけた徴税人に囲われることとなった。しかし、屋敷に来て一日と経たずに徴税人が息は引き取った。
不吉さにおののくのも一瞬のこと、女の美しさに惹かれて、男たちは次々と所有者になりたがった。
あれよあれよという間に大臣の側女となる。大臣が斃れると、ついには献 王に召し出された。家臣らが翻意を促す中、王は身の潔白を主張する麗を信じた。あくる朝、献王は冷たくなって発見された。
献王の寵姫、玉蘭を筆頭に麗を糾弾する者たちは多かったが、献王の弟君、申のとりなしによって麗はことなきをえた。そのまま妾におさってしまう。
例のごとく、一晩で死体になった申。
ひとたび彼女のそばに行くと、男たちは皆、魂を抜かれたかのように彼女の虜となった。狐狸妖怪の類に違いない。玉蘭は侍女たちを引き連れて、麗を地下牢へと押し込めた。
王の後継者である玄王子に疎まれている玉蘭は献王の急死で立場を失っていた。
震え上がる麗に、玉蘭は恨みの限りをぶつけた。
「献王を弑虐 してなおしらを切ると申すか! 悪鬼のごとき淫婦め! 私がお前の本性を暴いてくれるわ!」
たちまちのうちに玉蘭と侍女たちが命を落としていった。
こうして誰もが口をつぐみ、麗は新王となった玄によって保護される身となった。妃にしたいと熱を上げる玄王を、腹心の忠が諌めたのである。忠は麗に心を動かされない稀な男であった。麗は軟禁され、誰かのものになるよりも良いと、玄王は渋々了承した。
一番安心したのは麗だった。
心を無くしてしまったかのような男たちの視線。化け物を見るかのように、憎しみ妬む女たちの言葉。そうした者たちから隔離され、まるで心が乱れることのない忠の姿に、麗は思いを募らせていった。
そしてある夜、麗は打ち明けた。
「わたくしは呪われているのです。わたくしが涙を流すと、周りにいるものは皆、帰らぬ人となるのです。わたくしとて、命を奪いたいわけではないのです。殿方が私を目にすると、人が変わってしまうのです。辱められようとする時、どうして涙を堪えることができましょうか」
何者かによって、男を幻惑し人を殺す妖術をかけられたのだと麗は嘆いた。
女は毎朝茶碗一杯の塩を所望する。
じっと話を聞いていた忠は口を開いた。
「そなたの涙を毒に変じせしめるのは、毎朝の塩が原因かも知れぬ。これより、余計な塩は口にしてはなりませぬ」
塩断ちをして様子を見ることとなった。
そして三日後、麗が死んだ。
麗の亡骸にすがって嘆く玄王に、忠は言った。
「例えるならば、塩は毒の素ではなく、薬。あの女の毒が自らの身体をも犯したのでありましょう」
「おのれ忠! こうなると知って、謀ったというのか!」
激昂する玄王を、忠は一喝した。
「目を覚まされよ! 先王が薨じられたのは断じて天命ではありませぬ! あの女は邪なる術で遣わされた刺客。玄王の暗殺も視野に入れていたのでありましょう。毎朝茶碗一杯の塩を貪る女は、よもや人間ではありますまい」
玄王はがっくりとうなだれた。
床に就いた忠は眠れずに身を起こした。
もとより信頼などしていないが、いかにも狡猾な妖術師だ。
『大願成就のおりまで、毎夜、五匙 の塩をお忘れなきように』
忠は水差しに手を伸ばした。水を茶碗に注ぎ、壺から塩を五匙すくって茶碗に入れた。よくかき混ぜると、忠は一気に飲み干した。すっかり辛さに慣れている。
このままでいずれ身体に障るだろう。
しかし、いつ何時、呪いと遭遇するかわかったものではない。
(抜かりのない奴め……)
忠は乱暴に口を拭った。
町をさまよっているところを博徒に捕まり、麗という名を与えられる。まもなく男が死に、別の荒くれ者のものとなった。その男もすぐに骸となり、美貌を聞きつけた徴税人に囲われることとなった。しかし、屋敷に来て一日と経たずに徴税人が息は引き取った。
不吉さにおののくのも一瞬のこと、女の美しさに惹かれて、男たちは次々と所有者になりたがった。
あれよあれよという間に大臣の側女となる。大臣が斃れると、ついには
献王の寵姫、玉蘭を筆頭に麗を糾弾する者たちは多かったが、献王の弟君、申のとりなしによって麗はことなきをえた。そのまま妾におさってしまう。
例のごとく、一晩で死体になった申。
ひとたび彼女のそばに行くと、男たちは皆、魂を抜かれたかのように彼女の虜となった。狐狸妖怪の類に違いない。玉蘭は侍女たちを引き連れて、麗を地下牢へと押し込めた。
王の後継者である玄王子に疎まれている玉蘭は献王の急死で立場を失っていた。
震え上がる麗に、玉蘭は恨みの限りをぶつけた。
「献王を
たちまちのうちに玉蘭と侍女たちが命を落としていった。
こうして誰もが口をつぐみ、麗は新王となった玄によって保護される身となった。妃にしたいと熱を上げる玄王を、腹心の忠が諌めたのである。忠は麗に心を動かされない稀な男であった。麗は軟禁され、誰かのものになるよりも良いと、玄王は渋々了承した。
一番安心したのは麗だった。
心を無くしてしまったかのような男たちの視線。化け物を見るかのように、憎しみ妬む女たちの言葉。そうした者たちから隔離され、まるで心が乱れることのない忠の姿に、麗は思いを募らせていった。
そしてある夜、麗は打ち明けた。
「わたくしは呪われているのです。わたくしが涙を流すと、周りにいるものは皆、帰らぬ人となるのです。わたくしとて、命を奪いたいわけではないのです。殿方が私を目にすると、人が変わってしまうのです。辱められようとする時、どうして涙を堪えることができましょうか」
何者かによって、男を幻惑し人を殺す妖術をかけられたのだと麗は嘆いた。
女は毎朝茶碗一杯の塩を所望する。
じっと話を聞いていた忠は口を開いた。
「そなたの涙を毒に変じせしめるのは、毎朝の塩が原因かも知れぬ。これより、余計な塩は口にしてはなりませぬ」
塩断ちをして様子を見ることとなった。
そして三日後、麗が死んだ。
麗の亡骸にすがって嘆く玄王に、忠は言った。
「例えるならば、塩は毒の素ではなく、薬。あの女の毒が自らの身体をも犯したのでありましょう」
「おのれ忠! こうなると知って、謀ったというのか!」
激昂する玄王を、忠は一喝した。
「目を覚まされよ! 先王が薨じられたのは断じて天命ではありませぬ! あの女は邪なる術で遣わされた刺客。玄王の暗殺も視野に入れていたのでありましょう。毎朝茶碗一杯の塩を貪る女は、よもや人間ではありますまい」
玄王はがっくりとうなだれた。
床に就いた忠は眠れずに身を起こした。
もとより信頼などしていないが、いかにも狡猾な妖術師だ。
『大願成就のおりまで、毎夜、
忠は水差しに手を伸ばした。水を茶碗に注ぎ、壺から塩を五匙すくって茶碗に入れた。よくかき混ぜると、忠は一気に飲み干した。すっかり辛さに慣れている。
このままでいずれ身体に障るだろう。
しかし、いつ何時、呪いと遭遇するかわかったものではない。
(抜かりのない奴め……)
忠は乱暴に口を拭った。