第四章 帰国

文字数 8,853文字

第四章 帰国

   Ⅰ

「未開の阿呆共には分からないでしょうけれど一応説明しといてやるわ。この救難艇の屋根に装着されているソーラーパネルから供給される電力で、昼間は航行できる輪。夜間は係留すれば波力発電でバッテリーに蓄電できる。日数はかかるけれど行きたいところには行けるわ」
 揺れる狭い船内で、エリザベスは小さい体を無理に伸ばそうともせずにそう言い放った。
「くっ、悔しい。世界の全てを知るはずの竜たるこの私が、答えられないなんてっ」
「なんだかよくわからないけれど悔しいミャ。ヴァディル、任せたミャ」
「まぁ何だ、要するに太陽の力をゼンマイみたいに蓄えられるって理屈かな?」
 エリザベスが、意外そうな顔を一瞬見せ、小さく舌打ちした。
「まぁそんなところね」
 大雑把でも原理が理解できたのは想定外でもあり、悔しかったようだ。
〔救難艇〕と称する小型の船の中には簡素だがトイレもあり、屋根に受けた雨水を濾過できる装置もあった。尾部には、エリザベスがいた船と同様の捻れた鰭もあり、晴天時にはこれを回して航行できた。
「猪でも泳いでないものかねえ」
 曇天だったので、ヴァディルたちは海面に突き出た岩に係留し、食料を釣っていた。
「確かに猪は泳ぐけど、その釣り竿でも釣れないし、お前さんの杖でも無理だミャ」
 もっとも、居合わせれば仕留めるのはやぶさかでないと、リンナァは岩で爪を研いだ。
「しょせんは野蛮な獣。それほど飽和脂肪酸を摂取したいの? 不飽和脂肪酸の方が健康にはいいのに」
 エリザベスは餌に飢えた豚のように鳥人と獣人を見た。
「親友三人で力を合わせれば不可能はないんだミャ」
「図々しい。たかだか一月ほど、寝食をともにしただけですわ」
 竜人は馴れ馴れしく回された手を、肩から振りほどいた。
「賃貸ならいっしょに家賃払ったようなもんだ。いささか狭い部屋だけどね」
「文句があるなら出ていったら、居候?」
「クレームには謙虚に耳を傾けるのが、商売繁盛の心得だよ」
「金なんか払ってないでしょ」
「金のやりとりだけが経済活動じゃないさ。君の背中を開いて締めてやったネジの回数、家賃の代わりとしては妥当だと思うけどね?」
「ぐぬぬ」
「いったいぜんたいどういう構造なのか、一週間前に突然倒れた時には、本当に慌てたよ。君に言われるまま、背中の扉を開いて、緩んだゼンマイを回したらまたいつもどおり、元気な憎まれ口の復活だ」
「そういう仕様なんだから、しょうがないっ!」
「いいね、洒落まで言うようになったのかい? ボクにだってわかるさ。君の力の源は手で回せるネジなんかじゃなく、もっと深くにある炉みたいなものだ。でも君の作り主は、あえてそういう装置を君に組み込んだ。君が人のそばから決して離れられないように――。君が人と共にいなければならないような仕掛けをね」
「あんたが一番気に食わないわ。三人の中じゃあ一番ひ弱で、一番文明の水準も低いのに、減らず口と物事を見通す能力だけは認めざるを得ない」
「天才だからね」
「いつか、あんたのこれ以上ないってくらいの泣きっ面を、思いっきり笑ってやる」
「はいはい、君の素敵な笑顔が拝めるなら、ボクの涙など安いものさ」
「……」
「……」
「……」
「なんだよ、三人揃って『お前が男だったら、いつか女に刺されるぞ』といいたげな目線は」
「自覚はあるんだミャ」
「女心の前に、男心を知りなさいな」
「あんたらがそれ言いますか」
「ほら、浮きが弾んでる。どうせ外道だろうけど」
 横並びの三人を見て、エリザベスは三倍大のため息を吐いた。

 暁の空に、チカチカと灯りが灯る島大陸が見え出した。
「帰ってきた」
「島大陸なんて皆同じに見えるミャ」
 早起きして、一人屋根に登っていたつもりが、いつの間にか隣にはリンナァがいた。
 アウェーダは十日間の長い眠り〔睡眠期〕に入っていた。一年眠り一年間目を冷ましていた頃の名残だという。それで今は、眠りの周期は短くなっているそうだ。
「見間違うものかよ。あの島の形、稜線、灯りの散りかた。我が故郷さ」
「お前の本当の生まれ故郷じゃないミャ。翼も生えずに、随分と虐められたはずミャ」
「それでもね。あの地で暮らしていたことは間違ない。――ほら、早速お迎えがきた」
 別にヴァディルたちを迎えに来たわけではないだろうが、烏の群れのように、義翅を操り、大きな魚籠を引っさげて飛来してくるのは、漁師の一団だった。
「さて、お互い暫くの辛抱だ。お互い、暫くはいい子でいようじゃないか」
 ヴァディルは、ディカオンを懐にしまった。

 ヴァディルたちを発見した漁師たちは一旦彼女たちを留め置き、スリサズに遣いを出して指示を仰いだ。結果、彼女たちは四人別々の籠に乗せられた。
「魚臭い。もっとマシな輸送手段はなかったの?」とでも、エリザベスは言っているのだろうか。遠目に不満そうな顔が確認できる。文句はあっても実力行使しないのは「戦闘用じゃないもの」だからだという。アウェーダに至っては、寝たままだった。

「故郷」に戻ったというのに、ヴァディルが通されたのは、外国からの客人を通すための建物だった。
 リンナァにあてがわれたような客人用の離れではなく、奥の部屋だ。窓には急ごしらえの格子がはめられている。パッヘルベル家に遣いは出したと言っていたが、本当かどうか。
 身の回りの世話は陰気な女中頭がしてくれるが、窮屈で息苦しいことこの上ない。四人顔を合わせてバカ話ができた救難艇の方が、百倍ましだった。
 食事には鶏肉が出た。いかにも食欲をそそるよう、高価な香辛料が使われている。念の為、ディカオンに毒味をしてもらった。
「仕方ないかね。送り返すどころかお土産を連れて帰ってきたんだから。ガキの遣いもできないってね」
 それでも、戻ってこなければならなかった。伝えなければならなかった。
 スリサズを凌ぐ経済と交易の規模を有するアルギス。国家という体をなさなくとも、それをさらに上回るラグズ。
 そして、いずれをも圧倒的に上回る「武力」をもって、ラグズを滅ぼし、最強の生物である竜でさえ「難民」にしてしまった存在。
 本当にパッヘルベル家やアイアスのもとには伝わっているのか。そもそも「いったい何を見てきたのか」と、誰かが尋ねに来るわけでもない。
 嫌な予感というやつに、利息がついていくばかりである。
「疑わしいなどとまってるだけじゃ、らちが明かないか。出番だよ、ディカオン」
 ヴァディルは、隠し持っていたディカオンを懐から取り出した。
 その襟首に、財布といっしょにしまっていた、ルーグの籠手布を巻きつける。
「お前に投資するよ。臭いだろうけど、我慢しておくれ。ボクでさえわかる独特の臭いだ。その汗と脂の持ち主を探して伝えておくれよ、親友が帰ってきたってね」
 ヴァディルは、そう言ってディカオンを窓から逃した。
「奥様は言っていた。『たとえわずかな儲けでも、疎かにするな』と」
 どうせ儲からないからと事業に手を出さなければ、いつまでも収入は0のままだ。だがわずかでも利益を得られれば、元手になるし利息もつく。僅かなる可能性でも、賭けないよりははるかに生産的なのだ。

 はたして、ディカオンはルーグのもとにたどり着けたのか。答えが返ってこないまま、ヴァディルにもとを見知らぬ官吏が訪れ、指示を伝えた。
「明朝、アイアスを訪ねるように」

   Ⅱ

 朝とは言いながら、実際に指示された時間は午前の二時。まだパン屋も、漁師たちも目を覚まさない時間だ。
 無人の道を、まるで葬送の列のように四方を固められ、ヴァディルは歩かされた。むろんリンナァたちの姿はそこにはない。
(子供の頃、ルーグと二人で抜け出して、夜の街を『探検』したっけ)
 五歳の二人にしてみれば大冒険だったが、無人の街で大した戦果があるはずもなく、ただ疲れて、翌日が眠いだけだった。しかも誰が見ていたのか、とっくにパッヘルベル夫妻の知るところとなっており、ふたりとも夕食は抜きであった。
 予め告げていたためか、アイアスの道場の扉に閂はかかっておらず、手で押しただけで開いた。
 あとは一人で会うように言い渡され、ヴァディルは道場に向かった。申し訳程度に杖を渡された他はディカオンもおらず、本当の一人きりだった。
 真夜中の道場は、巨人のようにぽっかりと黒い口を開いていた。それでも習慣がヴァディルに頭を下げさせた。
 この奥に、師匠が待っているのか。
「師匠、入ります。ヴァディルが戻ってまいりました」
「常在戦場」の心構えに従い、杖を構えて道場に足を踏み入れる。果たしてアイアスは歓迎してくれるのか、厳しく問い質されるのか。
 答えは、いずれでもなかった。
 彼女を待っていたのは、床に伏せたアイアスだった。
 その背中は鋭利な刃で貫かれ、床にはおびただしい量の鮮血が流れ出ていた。右手には、先端に刃物を仕込んだ杖が握られている。
 正面からの立ち会いのものではない。背後から、無防備なところを刺されたのだ。
 駆け寄って抱き起こすか? いや、道場に満ちる血の臭いは本物。すでに彼は絶命している。選択肢どころか、答案用紙の枠外の事態に遭遇し、さしものヴァディルも言葉と、自分がとるべき行動を見失った。
 そこへ――。
 道場の暗がりから、すうっと現れる人物がいた。
「シークア……」
 アイアスの妹、シークア・イェークストロム。
「殺したのは、ルーグよ」
 まるで精気を失ってしまった亡霊のごとく現れ、兄の仇の名を告げた。
「殺したのは、ルーグよ」
「どうして――。降参するよ、シークア。経緯を教えてくれ!」
「私だって、いえ、誰もが、薄々感づいていたのよ。スリサズの外には、ずっと大きな世界が広がっている。正真正銘、この島大陸が盆栽か水槽に見えるほどのね。元老たちにとっては、それが分かってしまっては困るのよ。この小さな島大陸で権威を保つには、自分たちより偉大な存在がいては困る」
「だから、これまで、外に出た者は二度と帰ってこなかったのか」
 むしろヴァディルは、自分の仮説を確かめるように、言った。
「島の外で殺されたか、戻ってきても幽閉されているのか。いずれにしても最初、その役まわりはルーグだった。元老たちにとっては堅実に業績を収め、防衛でも功績のあるパッヘルベル家に、地位を脅かされると思ったのでしょう。だからその後継ぎたるルーグに名誉な役割を担わせ、葬ろうとした。あなたが邪魔しなければ、うまくいくはずだった」
「それで、今度はボクが目障りになったわけか」
「兄は、取引に応じたんでしょうね。元老ほどではないにせよ、あなたを始末するご褒美として、要職を鼻先にちらつかされたのよ。でもその動きをいち早く、ルーグが知った。あなたのお遣いのおかげで、あなたに『何かが起きた』ことを知った。だから……こつこつ貯めていた小遣いをはたいて、官邸の情報を集めさせた。そしてこともあろうに、イェークストロム家に妙な動きがあると知ったのよ」
「じゃあ、ルーグは」
「あなたを待ち伏せして暗殺しようとした兄を、逆に待ち構え、背後から刺した。他の誰でもないあんたのためにね」
 二人は、重く、真っ黒い沈黙を言葉代わりに交わした。
「ルーグを助けたかったら、ヴァディル、スリサズの外に逃げなさい。漁師から義翅を買い取って、用意してあるわ。見張りも買収してあるから、あんたのお友達も向かっているはずよ」
「君以外は誰にも会えずに、また旅か。慌ただしい帰国だったな」
 ヴァディルは、その場で踵を返したが、すぐに足を止め、振り返った。
「これで最後かもしれない。いや、確実に最後だろうな。だからシークア、ちゃんと君には言っておきたい。照れくさいけどね」
 ヴァディルは、頭をちょっと掻いてシークアに向き直った。
「ありがと、シークア。亡命者の子供という理由で、誰もが無条件に虐めてくるなかで、君とルーグだけが公正にボクと向き合ってくれた」
「礼なんか言わないでよ。分かっているでしょう? あたしは、あなたを体よく利用しようとしているだけよ」
 ルーグを助けるためには、アイアスを殺した「犯人」が必要だ。今度こそ、その役割はヴァディルの他にない。ルーグへの疑惑は、パッヘルベル夫妻が金をはたいて躱すだろう。
「構うものか。最初から、ボクの居場所はここには無かった。図々しいけど、最後に、ルーグのやつを頼むよ。不器用な上にそそっかしいことこの上ない。およそ商人の後継ぎとしては不出来だけどね。裏表というものがまったくない、最後の最後に、誰かが手助けしてくれるんだ」
「わかってるわよ。さっさと行きなさいな」
 何故か苛立たしげに、シークアは答えた。
「じゃ」、と、軽く片手を上げ、ヴァディルは今度こそ振り返らず、シークアの元を去った。

 シークアの手筈どおり、軟禁場所から案内されてきたリンナァ、アウェーダ、エリザベスたちが、漁師小屋に集まってきた。漁に使う大型の義翅に乗りこみ、黎明の空へと飛び立った。

 その翼を目で追いながら、シークアは一人、呟いた。

 なにが「よろしく頼む」よ。ヴァディル、知らないのはあんただけよ。ルーグの目玉は出会ったときから、あんたしか見ていなかった。あんたが女の子なんて、最初からあいつにも、あたしにもバレバレなのよ。キールのおばさんもアーグのおじさんも、あいつの気持ちを察してから、あんたをいずれは嫁に迎えるつもりで育てていたんでしょうよ。
 いずれあいつも、あんたの後を追って、スリサズを出るわ。一人になるのはあたしの方。「ルーグのやつを頼む」っていうのもあたしの方。悩みはしたけれど、あんたの暗殺の企てを知って、ルーグは兄さんを殺すことを選んだ。そしてあたしも、それを選ばざるを得なかった。
 だって仕方ないじゃない。
 あんたが殺されたら、ルーグはどんな手段を使ってでも仇をとるでしょうよ。
 そして、ルーグはバカ正直に自首して、処刑されるつもり――。あたしとしては、あいつを失うくらいなら、生き延びさせて、あんたにあげる方を選ぶしか無いじゃない。家と故郷を失っても、あいつにとってはそれが幸せなのよ。

「二回だけにしたいもんだね。故郷を離れて見知らぬ土地に落ち延びる、この心細さは」
「……お前、それ言うなら三度目だミャ。やせ我慢は時と場合を選べミャ」
「あんたたち、本当に漫才コンビになってきましたわね」
 大人五人はゆうに乗れるはずの義翅だったが、飛行は不安定だ。
「参ったね。一番ちっこいのが一番重たいおかげで、バランス取りづらい」
 ごう、と突風が吹き、義翅をきりもみさせた。
「底意地の悪い風だ。感傷にも浸らせないってか」
「ヴァディル!」
 と、いつもヴァディルをお前と呼ぶリンナァが、まことに珍しく彼女の名を呼び、袖を引っ張った。
「島大陸?」
 振り向けば、別の島大陸が、スリサズの近くに見える。島大陸同士の邂逅は珍しくはないのだが、客人のリンナァでさえ異常さを感じていたのだ。
(早すぎる?)
 スリサズを出たときには、その島大陸は島影すら見えなかった。
(しかも、近くないか?)
 通常島大陸は接近しても接触はしない。磁石の同極がしこまれているかのよに、一定の距離が近づくと反発し、たがいに離れていく。しかし今回は、ヴァディルが知るどの「接近」よりも距離が近い。
 やがて、一方の島大陸から、無数の人影が飛び立った。ヴァディルと同じ鳥人だが、手ぶらではない。蹴球に使うボールほどの球体を、両手に抱えている。
「十、二十……。だめだ数え切れない」
 一人ではない。ヴァディルが視認できるだけでも数十人いる。
「いったいあれは何だミャ。使節や交易の用で来たわけじゃないミャ。大人だけじゃなく、子供も、年寄りまでいるミャ」
遠目の利くリンナァは、もっと多くを視認できているようだった。
「飛び方もなってないわね。ふらふらと風に振り回されて、まるで着地なんて考えていないみたいな……」
 アウェーダが訝った、次の瞬間。
 人影のひとつが、急降下した。
 閃光が走り、黒い煙が拡散した。二十秒間をおいて、「ぽん」という間抜けな、爆発音がヴァディルたちの元に届いた。
 爆弾!?
 一つ、一人だけではない。それを合図として、鳥人たちは次々と落下していく、朝の喧騒に包まれた市街が地獄に変わるさまが、映像となってヴァディルの脳裏に届いた。
 スリサズもただちに応戦する。が、自殺覚悟で突っ込んでくる相手に、弓矢での牽制がいかほどの効果を持つだろうか。数人は島大陸に到達できずに落ちていったが、大半はスリサズへの爆撃という目的を遂げている。
 あのような攻撃を仕掛けさせる存在を、ヴァディルは一通りしか知らない。
「イズライール? そんな、壊滅したと思ったのに」
 スリサズでは今頃、大急ぎでパッヘルベル・カノンを準備しているに違いない。だが、市街が焼き尽くされるまで間に合うかどうか。
「戻らなくては」
「戻ってどうする気だミャ。翅がないお前さんが戻ってみたところで、役には立たない。一段落したあとで、捕まって死刑だミャ」
「不本意ですが、今の私たちはあなたに命運を託すしかありません」
 リンナァとアウェーダが、当たり前の正論を告げた。自分と他三名が助かるには、この場を離れる以外の選択肢がない。
「離れるんだミャ、ヴァディル」
「離れなさい!」
 二人は必死に彼女を戻らせまいとしている。単に、自分が助かりたいからというだけではない。
 ヴァディルは、はっと理由に思い当たった。「起こりえる」はずがないと思っていただけに、無意識のうちに予測していなかったのか。
 しかし、ヴァディルは目を背けられずにいた。棹を握った手が固まり、旋回できなかった。
「見るんじゃないミャ、ヴァディル!」
「もう……遅い」
 あたかもスリサズに、引き寄せられるように――。心中するかのように。
 イズライールに支配された島大陸は、スリサズに衝突した。
 乗せている住民たち、もろとも。
「あ……」
 ヴァディルが、くわっと両目を見開き、血を吐くほどに口を開き、叫んだ。
「ああああああああああああーッ!?」
 衝突した点は線に、そして面に。家もそれを支える岩盤も砕けて瓦礫になり、中空に舞い散る。互いの神霊樹の根が剥き出しになる。
 弾薬庫が潰されたのか。一箇所で、凄まじい爆発が起きた。
 火薬と、神霊樹の根を枯らす薬物が詰まった弾薬庫が暴発したのだ。
 互いを緩衝するように張っていた根が、枝が、たちまち力を失い、へし折れていく。それまで浮遊していた市民たちが、神霊樹の加護を失い、飛ぶ力を失って海面に落下していく。
 アウェーダがたまらず、耳を塞いだ。音によらずとも声を聞けるという竜は、押し寄せてくる無言の断末魔に耐えかねている。
 やがて。
 大地も崩れ、神霊樹は巨大な、ただの枯れ木となって落下していき。
 最初から他には何も無かったかのように、夜明けの空が残された。

 半日後。
 スリサズが崩落した名残の、無数の木片、無数の死骸が浮かぶ海。そこにぽつんと浮かぶ小島に、男たちの一団が漂着した。
 島大陸同士の衝突からいち早く逃れていた、イズライールの幹部たちである。
 その首魁である中年の男は、部下に用意させた煙草を一服し、呟いた。
「作戦は大成功だ。〔天啓〕のおかげだ。やはり、我々には神の後ろ盾がある」
「一般市民を戦闘員に仕立て、洗脳するだけでなく、家族を人質に自爆攻撃を仕掛ける」。それが、彼が受けた天啓だった。
「その混乱と同時に、汚れた市民は共に天罰を受け、地獄に落ちる。まさに天啓どおりだ

 その天啓のおかげで、彼らはいち早く、義翅で脱出できたのである。
「水と食料を用意しろ。私と、そして神の使いの分をいち早くだ」
 奴隷に命じ、首魁の男はパラソル付きの椅子に座った。膝には、茶色い毛を持つ小動物を乗せている。
 奴隷が水場を探し、食料を調達するまで、彼ら幹部はここでくつろいでいる。島大陸のアジトでも同じ生活だった。殺戮の指示だけ出し、自分たち「神に選ばれた者」は美食と美酒に酔っていた。
 ところが、である。
 一時間が経つというのに、奴隷たちは戻ってこない。水場が無ければ途中で経過を報告しに来るはずである。
 日が沈んでしまうと、彼らはすっかり不機嫌になった。これほど長く放置されるのは初めてだった。
「帰ってきたら、見せしめに一人殺すか」
 具合が悪くなった家禽を処分するような口ぶりで、首魁が呟いたのだが――。
「む……」
 黄昏の砂浜を、こちらに歩いてくる人影がある。
「可愛そうだがな、お前の手下なら皆殺しにしてきたぜ。騒がれると困るんでな」
 杖を――先端に、師匠アイアスを殺した時と同様の刃物をつけた杖を携えた、ルーグだった。
 服は、返り血で染まっている。刃についた血と脂は、きちんと洗い、拭き取ってあった。
「間一髪ってやつか。シークアが……まるであいつが身代わりになったみたいに、俺を義翅につけて追い出してくれたおかげで、命拾いした。彼女も、親父もおふくろの分も、まとめて仇をとらせてもらうぜ。抵抗する権利と猶予だけは与えてやる」
 首魁たちは懐から短刀を取り出し、ルーグに襲いかかった。
「なんて贅沢な連中だ。お前らが兵隊に仕立て上げたり、殺してきた連中は、抵抗する時間すら与えられなかった。安心して感謝しな。一瞬で殺してやるよ。それしかやり方を知らないんでな」


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登場人物紹介

ヴァディル・イストリア

浮遊大陸スリサズで〔神騎士〕になるべく修行する少女だが、性別を男と偽っている。本来、自在に空を飛べる〔鳥人〕だが、幼い頃に両親と亡命してきて以来、背中の翅は失われている。身を寄せる商会の一人息子であるルーグとは修行仲間。想いを寄せられていることも、とっくに女性だとばれていることにも全く気づいていない。ネーミングは〔クォ・ヴァディス〕から。

シークア・イェークストルム

ヴァディルが師事する師匠の妹。幼い頃かルーグに想いを寄せているが、彼の扱いはぞんざい極まりない。ちなみにネーミングは某北欧女子マンガ家から。

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