醜刻ノ鐘

文字数 6,823文字



「お母さん!! この音は、何!?」

セレーネの声が部屋を走り回る。それは、あの一件から三日が過ぎた朝方。

それはまだ、陽も完璧に顔を出していない状況の時間帯だった。

「……セレーネも聴こえているのね……」

自分の娘の声に起こされた様な雰囲気は無く。
その前から、自分の力のみで起きていた様な赴きをリュカはしていた。

寝室のダブルベットに腰を掛けながら不穏な表情を作り上げるリュカには、何か思い当たる節があるのだろうか。徐に、割れた空を眺める。

その、何か良からぬ事を思わせる表情を見て、セレーネは何も言わずにリュカの胸元に抱きつく。

「何か、頭に響くの……暖かくて……でも何故か怖い鐘の音が……」

涙ぐみ、啜り震える声に、リュカはそっと頭を撫でる。

リュカやセレーネが先程から口にする『鐘』の音。それは、威風堂々としたものだ。全てを優しく包み込むような暖かい音色を出しながらも、堂々たる物を感じざるを得ない。

しかし、何故か、その『鐘』にはノイズの様な物を感じる。それに言葉を付けるなら、不快・不穏・不審と言った。先程の威風堂々のマイナスな何かを働き掛けているようなもの。

神秘的であって、神秘的じゃないもの。その曖昧不確かな音。

「──大丈夫よ、私がついているもの……今はゆっくりおやすみ。愛しいの我が娘、セレーネ」

「おか……ん……何処……にも……い……」

頭に置いた手から、微かに光が灯る。
それは、さながら、蛍の光。

セレーネは、その光に導かれる様に穏やかな表情をしたまま、力が抜けたように寄り掛かる。

「……何が迎の鐘よ……笑わせるわ。今と昔とじゃ全く意味合いが違うじゃないの」

リュカの薄茶色をした眉が目元に寄り。怒りに満ちている様な殺気立った瞳で空を睨み穿つ。

──次第に空は晴れ渡るのでは無く……。雲も天の青い海も黄昏に染まり始め。
そして、朝を知らせる鳥の歌も虫の調べも止まる。
それどころか、カーテンを靡かせていた暖かい風すら止まり、靡いていた全てが静止した。

まるで、鐘の音の邪魔をしてはいけないと決まっているかのように、その音を邪魔する喧騒は一切無い。
それは、神々しいくも。ネットリと纒わり付く不自然で不可解な出来事。
しかし、リュカは一切表情を変えることなく。いや、体制すら微動だにしない。

「ディーバも居ない。此処は私が何としても……まだ、あの子達に託すのは時期早々すぎるわ……」

リュカは、セレーネを自分の一人じゃ有り余るベッドに寝かせ、額に柔らかいキスをした。
それは、愛に満ちた音を奏で。その感触を感じているかのようにセレーネは微笑み寝返りを打つ。

その姿を瞳に写しリュカは“ヒシヒシ”と、音を立てながら歩き出す。

「……この嫌な感覚──久々だわ……って久々もなにも、当たり前よね。あれ以来なんだから……」


階段脇に立て掛けてある、埃がかぶった剣、煌華を握り、リュカは玄関を出た。


その足音は、何処か急ぐように忙しないもの。

だが。その度に作り起す風は緊迫感に満ち満ちているように感じる。

そして、リュカが迷いもせずに向かった場所。辿り着いた場所は以前、セレーネとイロアスが共にいた場所。そう、あの美しい原っぱだった。

「……っえ?!」

リュカの怖々とした表情が一気に変わる。
そして、その表情があるべくしてあるものじゃない。つまりは、予想外のものだと言うのも一瞬にして把握出来てしまう。

何故なら、リュカの瞳に写るのは魔族でも何でもない自分の大事な息子なのだから。

「……なんで、イロアスここに居るのよ!?」

その、問に対し些か困ったような。いや、この場合は少し照れている様な感じだろうか。

鼻を“ポリポリ”と掻きながら、言いにくそうに小さく口を開く。

「……いや、ほら……俺も早く強くなりてぇなーって思って……。だから、朝早くバレないように此処で鍛錬を──」


「早く帰りなさい!!」

イロアスの声を掻き消す程の大きい声を出すリュカ。

しかし、その表情をみて、イロアスは反感するような表情を一切浮かべなかった。

それどころか理由も聞かずに、頷く。

「……分かった。でも、母さん。後で理由を聞かせてくれよ??」

「なーんの、理由をかなあ?? えーっっと……僕は君を、君達を知っているんだよー。名前はぁ……そう……確か……イロアス!! そう! イロアスさ!!」


その、独特な揶揄うような口調に地に居る二人は空を見上げた。

それは、本来ならば不自然な事。だが、今回に関してそれは極自然なもの。

空には蒼白した顔を気味悪い程に崩しニヤける、白い羽と黒い羽を持つ神──ロキがいたのだから。

「かっ……母さん!! この人……一体誰ッ!? なんで、俺の名前を!?」

「ぁあーいーね!! その驚いた表情。強弱があり過ぎる声!! それに、僕の正体は僕に聞いて貰わなきゃー困るよっ!!」

狂気と狂騒に塗れながらロキは言った。

しかし、その表情を見ても尚、変えないイロアスの冷めきった表情は、きっとそれ以上のものが無いのだろう。

「コイツは……ロキ。愉悦した堕神」

「ロキって、あの前に話──」

「だぁぁあから!! 君達で、勝手に話を……物語を進めないでくれるかな!? 主役は僕なんだからさ??」

憎悪を、表した様な声を出すリュカ。それに対し、距離を縮めまるで道を塞ぐかのように両手を広げ立ちはだかる。

声は笑っていても、ロキから放たれ続けている臭い熱気のようなものは殺気。

それを感じてなのだろうか。リュカは、その殺気すら切裂く程に鋭く睨みつける。そして、半歩後ずさりをながら、柄に手を伸ばし身構えた。

しかし、その光景を見て尚、ロキは眉を顰めながら、空を見上げ大いにほくそ笑む。その矛盾が、ロキの怪異さを引き立ててゆく。


「なんだよなんだよっ!! そーんなに警戒しなくたって良いんだよ? 少しお話をしようじゃないかッ」

「……随分と余裕じゃないの。それに、お連れの方も見えないわね」

「──お連れ? ぁあ、居ない居ない! 今日は僕一人だけさ。いつまで経っても来ないから、僕が態々! わざわーざ!! プロローグを始めに来てあげたんじゃないかッ」

この息も詰まる様な感覚に陥り、全てが静止したと思える程静かな場所。そこで安く軽く喧しい程に声高らかにロキは言った。

しかし、それと相反し、ディーバに対する口調と変わらないリュカの頬には汗が光る。

「プロローグ?? この人は、何を言っているの??」

「……やれやれ……やれやーれ。神様相手に『この人』って、君には敬う心がないのかなっ!? って、そんな事を言う権利が僕には無いって? いやぁー痛い所を突いてくるね君達わっ!!」


状況把握が全く出来ていない様なイロアス。その安定しない態度をも呑み込みロキは息を荒らげながら歪に笑う。そして、空を見上げたまま、片手で額を押さえイロアスを指差しロキは口にした。


リュカは、その狂気の沙汰とも言える堕神から我が子を護るように手を引っ張り己の背中へと身を隠れさせる。


「イロアス、アンタは私の後ろ──」

「なぁにをやっているのさ!? 今! たった今!! 僕は、その子に話しかけているのに!! なーんで、そうやって邪魔をするのっ? ねぇねぇ!! なんで邪魔をするかなぁ?」

リュカの優しさに、ゆっくりと姿勢を正したロキは笑いをピタリと止る。そして、無表情というもので不服そうな表情を作り上げた。自分勝手な反駁を垂れながら……。

その、好き放題な態度と対応は、この場に居る誰よりも幼児だ。

自我を制御できず、理性も持たず自分の全てを優先させようとするワガママな子供。


「……っと。そんな事は、どーでもいいんだよ!! どうして僕が来たか分かる??」

「──それは……」

リュカは表情を雲らし口を紡ぐ。
その、明らかに何かを隠している様な仕草にイロアスは不安を感じたかのように母の名前を呼ぶ。

そのギクシャクした雰囲気すら楽しむかの様にロキは何も言わずニヤケ面で二人を凝視する。が、何も答えず無言を選んだリュカに痺れを切らしたのか。
口元はそのままに開く。

「──今からだと……。そう、五年前かなッ?? この過去は君達にとっては……非常に残念だったよね……」

「──ロキぃいッ!! 貴様ッ!!」

表情が笑っているにも関わらず。不気味な程、感傷に浸っているような声を出す。
その彼を目の前に、リュカは煮えくり返ったような声と圧力感のある視線をぶつける。

しかし『五年前』と言う発言に対して誰よりも反応を示したのはイロアスだった。

「母さん……五年前って。もしかして……親父の事と何か関わりがあるの??」

「……何を言っているの?? 関係ある訳無いじゃないのっ」

一歩下がった場所に居るイロアス。その物憂げそうな態度を肌で感じたかのように、リュカは呆れ混じりに口にする。

しかし、それが演技である事が。矛盾したリュカの歯を食いしばり・眉を寄せ、ロキを恨めしいそうに穿つ表情から見て取れた。

だが、その表情を背後に居るイロアスは分からない為。肩をなで下ろしサッパリとした表情に戻る。

「……だよねッ。関係がある訳な──」

「だーめだって!! 何で、君達が勝手に物語を作っていくのッ? そんな、嘘を付いたら何も始まらないし!! 僕が来た意味だって無くなるじゃないか!!」

綺麗に生い茂る草花を潰しながら、その場で思い切り足踏みをするロキ。

その激しい剣幕と、目を見開き唇から血を出す程食いしばった凄まじい形相にイロアスは肩を竦ませた。

「この子達には関係がな──」

「くないでしょっ? 何の為に、僕があんな大舞台を用意したと思ってるのかな?? それは、単に君達の為じゃないかッ!! 僕は悲しいよ……。いつまでたっても放置ばかりされて……。遊び飽きちゃったんだよ? なのにさ……」

「母さん? それって……どう言う事? ねえ、母さん!!」

「どーやら。お母さんは黙ってしまったようだねッ……。いいよ、なら僕が代わりに話してあげるよ。包み隠さず、嘘か誠かは伏せながら。僕が知っている話をッ……」

壮大なスケール。と言うのを表現するかのように、両腕を一杯に広げ、その白い顔一杯に黄昏の光を浴びながらロキは言った。

「おっと、その前に。こうして……っと」

我に返ったかのように、無表情を作り指を鳴らした。
すると、黄昏の空が目を覚ましたように。時が動いたかのように、青々しい空へと戻る。

「これは、たんなる演出さっ! 本来、この鐘は神々の会合の時に鳴らすんだけど。雰囲気でるかなと思ってねっ!!」

片目を瞑りながら独りで和気あいあいとした様な雰囲気で語る。その表情は誰が見ても、満足そうだと思うに違いない。

しかし、イロアスは一切ロキを見ようとはせず。何を考えているのか、俯き、足元にある白い花だけを瞳に写していた。

「……ふうむ……気に食わないなぁ……。まぁ、いいか。じゃあ、話してあげる。──そうだね、君達は神と人のハーフ。それは、分かっているよね??」

イロアスは、自然と頷く。

「んじゃー、魔族を放ったのが僕だと言う事は知っているかなッ??」

──魔族を放ったのが、この目の前に居る神。何てことは初めて聞いたし知らされた。

と、言う事は今のレース・アルカーナがこんな危険で悪い状況と言うのは全てロキが作り上げたって事なのか。

母さんも、母さんで目の前で黙り込むだけだし。

「おやおやぁ? その思い悩みながらも、向ける鋭い視線から考えるにー知らなかったようだね?? そうさ。僕がこの大陸に、混沌・恐怖と言った災厄にして最高の負を撒き散らした元凶なのさっ!! 違うなら否定をして良いんだよ? リュカ!」


「……ロキの言う通りよ──そして、それは私達の敗北を意味する言葉」

母さん達が、戦いに負けた。と言う話は聞いていた。
代償として片羽を失った事も。

だけど、その件と魔族にどう行き着くのか。それが俺にはさっぱり理解が出来ない。

「だからって……」

「なーぁにかなっ??」

「だからって魔族を解き放つ必要があるのかよ!!」

俺は、怒りに任せ口にした。
にも関わらず何故かロキはそれすら笑う。正直気味が悪いし、生理的に受け付けない。

全く思考が読めないと言うのはこの事を言うのだろう。

笑ってたと思えば、豹変し怒り出す。コイツは一体なんなんだ。

「──必要あるから、やったんだよ?? 無意味な事をしても、何も、何もかも面白くないじゃないか!!」

「それは、どう言った意味……」

「簡単な話だよ? 人々が恐れをなしたり、赦しを乞う時。何に願う??」

それは、俺も何度かしたことあるし。きっと、俺だけじゃなく殆どの人がしたに違いない。『神様』にだろう。

「まぁ、言わなくてもわかってるよね? でもねぇ人と言う生き物は不思議で。事がうまく運ばなきゃ次は逆恨みをするんだよ。面白いだろっ?? 魔族に恐れた人々は神に助けを求める為に祈りを捧げる。

しかし、しかーし!! その祈りも虚しく、犠牲者が増えるばかりだと……。どうなると思うかな?? 次は、神は何もしてくれない。と見切りをつけて逆恨みをするのさ! 神としての威厳も尊厳も失われちゃー、力もなくなってしまう」

俺は、力を失う云々について、分かるはずもない。が、他ならぬ神が言っているのなら、間違いではないのだろうか。

母さんは、一体何を今考えているのだろう。
この、良く分からない神に、どんな感情を抱いているのか。

おれは、ロキの言葉より正直。そっちの方が気になっていた、

「……まぁ、力が無くなろうが、僕は関係無いんだけど。──でも、それじゃ面白くないじゃないか!!」

「面白くない?」

コイツは一体何を言っているんだ。

「そう、面白くない。だって、それじゃーそこで終わりじゃないか!! そこで考えたんだよ。思考を巡らし、思い苦しみながら! そう! 救世主の生誕!! なーんて素晴らしい事なんだろうか! 何て希望に満ちた言葉なんだろうか!!」

全く理解したくないし、その考えに近づきたくもない。その良く分からない考えに人々は動かされ続けて来たのか。

「そして、それに選ばれたのが君達ハーフ。僕は悪魔と神のハーフ。君達は、人と神のハーフ。良いじゃないか!! ドラマチックじゃないか!! だけどねー。君達の親はそれを拒んだんだよ……ぁあー、何て悲しいかな……」

ロキは、本物の涙を嘘のように流しながら口にする。

そして、まるっきり感情が、篭っていない。というのも分かった。だからこそ思う。コイツは何も演じてなんかいない。

目の前に居るロキという神が、ありのままなんだと。

そう考えると、この狂ったような喜怒哀楽の激しさは尋常ではない。

起こること全てに、言われること全てに対し悦を得ているこのような表情。
それは、神とは思いたくても思えない。これが堕神と言われる理由なのか。

俺は、目の前に居るロキを見て。初めて本当の意味で、堕神という存在を納得した。
別に得した気分にはならない。だから、この場合は、腑に落ちた。が正解かもしれない。

「──だから、五年前。僕は、君達のお父さんを殺した。魔族を操ってね?? 簡単な、事さ。そして、操れるという事を知らしめ。最後に僕は君達の母に伝えた『五年は、待つ。もし、
いい結果が生まれなかったのなら世界を闇に葬りさる』ってね!! どうだい?? 悪役らしいだろ!? 魔族を操り神が創りし世界を蹂躙するなんて!!」

──嘘だろ……。って事は、あの中で死んだのは親父だけ。と言うのは、そうなるべくしてそうなった。と言う事なのか……。

そして、そんな大事な事を母さんは何も教えてくれなかった。

この湧き上がる感情は一体なんなんだ。

絶望・怒り・悲しみ。グルグル頭を回りすぎて、もはや何なのかも分からない。

親父を殺した張本人が目の前に居て。そして、揶揄するように怪しく笑う。その明らかに馬鹿にしている態度を目の当たりにして……。それで、俺は何も出来ないのか……。

「まって……まだ、私達は──」

「だーめだめだめ!! もう、待つ事は出来ません!! まぁ、幾つか条件を出そう。君達が僕を楽しませる事が出来たなら、世界の掌握はまだ、先延ばしにしても構わない。やっぱり、楽しみは多い方がいいからねっ」

先程の威圧する表情は無く。どちらかと言えば赦しを乞うているかのような、弱々しい声と表情をするリュカに対しロキは対応を変えることなく嘲笑う。

イロアスは、何も言えず、ただただだまり込み。
何かを考えているのだろうか。ただただ、悔しいそうに顔を顰めていた。

「さぁ!! 僕を楽しませてくれたまえ!! このロキ様、自ら見届けよう!!」

「…………ッ!! 結界がッ!!」

ロキが、羽を羽ばたかせ空に舞い両手を上に上げるた途端。
リュカは、辺りを見渡し煌華の柄を携える。

その、血の気も引いたかの、何かを危惧するような表情からは、不安感というものが滲み出ていた。

そして、鳥達が騒ぎ飛び立ち、代わりに現れた物。

それは──様々な形をなした魔族。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色