#06-02  心の平和

文字数 3,444文字

 



 歩道を歩き、不法侵入をせず、運賃を支払う──これらの行動様式は、我が産方のベクトルだった。そして、私は幽体となり、うちの7割が緩和されてしまった。むろん、ベクトルを意識しながら生きてきたわけではないので、どれとどれが緩和されたのかと結論づけることは難しい。ただ、産方には気になっていたのに、いまや気にもならなくなってしまった感覚や行動というものがあり、この発見をもって緩和されたのだと判断している。私だけじゃない、みんな、そうやって1度は自分の産方を顧みるのだそう。

 グリーンのころの話だ。券売機に立ち寄らず、私はダイレクトに改札へと進んでいた。しかし、先行する生体の女性がチャージ不足で立ち往生、不意を討たれた私は彼女を透過し、閉じたゲートに激突、慌てて後退するも、後続のサラリーマンにも透過、透けた気持ち悪さに大パニック、まわりの生体に透けまくり、このうちのひとりが落としたICカードによってリペル、斜め下方へとフッ飛ばされ、あわやラストしそうになったことがある。幽体のくせに厄日を迎えるという本末転倒を味わったわけだけれど、なにはともあれ、この日、産方の私には「運賃を支払って電車に乗る」というベクトルが宿っていたことを知り、同時に、このベクトルが完全に緩和されていたという事実を知るきっかけにもなった。

 なんの躊躇もなく手ぶらで改札を抜けようとしていた自分に驚いたものだ。そして、こんな自分のことを情けないと思ったものだ。いわずもがな、踏んだり蹴ったりの自損事故による憐れな心的外傷があってのことだけれど。

 こうして、私には「生体の歩んでいるレールに沿わなくては気分が落ち着かない」という新たなベクトルが芽生えた。死ぬことによって「運賃を支払う」というベクトルが緩和され、そして新たに「運賃を支払う」というベクトルが芽生えたんだ。自分で言うのもナンだけど、もはや珍事。

 珍事のせいで面倒事も増えた。どんなに機械は反応しなくても、だから切符は出てこなくても、必要なだけのお金を券売機に投入しなくては心がいたたまれない性格になってしまった。160円ならば160円、きっちりと。

 だって、目のまえに広がるこの世界は、生体のために建設されてあるのだから。幽体の都合なんて少しも配慮していないのだから。ならば、郷に入っては郷に従えで、幽体の特性にあぐらをかかず、悪用せず、レールに忠実であったほうが美しいと思う。私は、そう思う。

 これは、戒律のためではない。教養のためでもない。ましてや正義のためでもない。あくまでも、()()()のため。

 悪用しようと思えばできるからこそ、あえて慎みにこだわってみる。すると、私の心は静かに落ち着いていく。美しい庭園を徒然なる脚にゆだねる散歩のように。野良猫にまぎれる昼寝のように。栞を挟まなくても読み進められる読書のように。

 この美意識のことを、私は「心の平和」と呼んでいる。深く慕っている。

 だから、できれば電車やバスには頼りたくない。特に、今日のように仕事が突発したときには。だって、運賃を支払わなくてはならない。せっかくお金を用意していても、必要運賃と一致しないことなんてザラなのに。

 崩せばいいって?

 それは不可能。そもそもこの世では紙幣も貨幣も価値がない。アンティークとしての価値しか。だから両替機も存在しない。つまり崩せない。もちろんあの世の両替機で崩すことも不可能。そりゃそうだ、この世のお金はどれも()()()()なのだから。この世の物体とあの世の物体は絶対に相容れない。

 ちなみに、物の幽体の入手には、生体からのプレゼントや幽体同士の物々交換、ポイントカード『ライヴ』を消費しての購入など、いくつかの手段がある。私の場合、生活用品は物々交換で、それ以外のものはライヴでの購入をよしとしている。他者に恩義を感じたくないし、それがもとでプレッシャーを感じるのもイヤなんだもん。



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ライヴ
【 LIVE 】

 あの世の物体とは異なり、この世の物体が無になることはない。物体とはいえ、幽体なのだから。霊魂のようなものなのだから。

 欠損・損傷・切断することはある。この現象を『リルーズ』という。しかし、焼失・腐敗・風化などによって無に還ることはない。だから、生体からのプレゼントに依存しすぎると、この世が物の幽体であふれかえってしまう。こっそりとあの世に捨ててくるという裏技(チート)もあるけれど、幽協の互恵部(ごけいぶ)が曰く「道義的によろしくない」とのこと。罰せられることはないにせよ、見つかれば口頭注意を受けることもある。そうはいっても、代案を立てなくては遅かれ早かれ物の幽体の飽和状態となり、マーケットは混乱、やがて未曾有のデフレーションに陥ることも想定される。

 ということで、この世では、まずは幽体同士の物々交換が優遇されている。この手法を使えば、すくなくとも物の幽体が増えることはない。

 とはいえ、物々交換をするばかりではさすがに儲けが生まれない。いずれどこかで不満が爆発することになるだろう。肉体が死滅したところで()()まで死滅するとはかぎらないのだから。

 そこで、物々交換するごとにポイントの貯まるシステムが同時導入されている。物々交換を持ちかけたほうにも、持ちかけられたほうにも、恨みっこなしに貯められるように。

 その内訳は、物々交換を持ちかけたほうに原価(げんか)の25%が、持ちかけられたほうに75%が加点計上される。例えば原価が5千円の品物を交換した場合、持ちかけたほうには1250ポイントが、持ちかけられたほうには3750ポイントが計上。

 では、どこに計上されるのかというと、ライヴというポイントカードに。

『Living Innovation Vice Engine』──それぞれの単語の頭文字を取って『LIVE』。

 ちなみに「原価」とは、物々交換の対象品目が物の幽体となる直前まで有していた値段のこと。幽協の下請機関である鑑定屋(かんていや)によってチェックが為され、偽りのないタグをつけたうえで市場へと流すシステムとなっている。生体からプレゼントされた品物も、もしも物々交換の対象にしたいのであれば、あらかじめ鑑定屋に依頼して原価を割りだしておかなくてはならない。これを怠ったまま取引すると、弁解も虚しく『非換価流通罪(ひかんかりゅうつうざい)』という不名誉な商標(タグ)をつけられることになる。

 ライヴ──物々交換の次点に優遇されている経済システムだ。ポイントはそのまま円に換算され、消費して品物を入手することができ、また、一定残高を越えると割引などのサービスを受けられる特典がつく。ただし、もちろんライヴを使っての購入でポイントが貯まることはない。売った側に原価の75%が計上されるのみ。

 数年前までは、ライヴの所有は任意だったのだそう。ところが、なにやらトラブルが多発したとのことで、いまでは、幽体になったら必ず役場で手続きをし、カードを発行してもらうルールになっている。利用するのは自由だけど所有する義務はあるというわけで、じつはグリーンを役場へ連れていくまでが紹介屋のファーストミッションだったりする。

 余談として、ポイントの残高が1千万になるとシルバーカードに、5千万でゴールドカードに、1億でブラックカードに、デザインまで変わる。

 私はノーマルカード。表には、青地に白文字で「幽体協同組合發行」と大きく記されてある。裏には、白地に黒文字で氏名や節年(せつねん)や登録役場番号などの個人情報、そして寝惚けた顔写真が載っている。ちゃんとお粧ししたのにな。
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 私にとって、お金とは、心の平和を守るための必需品。だから、定期的に専門店を訪れ、ライヴを(はた)いて購入している。

 でも、物の幽体である以上、あの世においては単なる霊魂でしかない。エレメントとしての存在意義さえもない。あの世の両替機に所持金を投入したところで絶対にカウントされない。ウンともスンともいわない。

 心の平和がもたらした、まさかのジレンマ。

 でも、でもでも、私には心の平和が必要だ。どんなに機械は反応しなくとも、だから切符は出てこなくとも、必要なだけのお金を券売機に投入しなくては心がいたたまれない。道義的な是非は理解しているつもりだけど、さすがにこればかりは譲れない。私の希う()()()の道標として、レールに沿うこと──心の平和を守ることは必要不可欠なんだ。



 
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