文字数 3,715文字

 四

 今日の夜空いてる? 
 東京に出てきている統真から夕方に連絡があったその日、俺は海ちゃんと入っていた約束をドタキャンごめんして東銀座で十九時に会う。
「なんで東京来てんの?」
「それも含めてもろもろ話すから」
 いよいよリクナビの一件が現実味を帯びてきたな。
 東銀座の駅からすぐのところにあるたまに仕事でも使う居酒屋「弥次郎」に入る。
「ここ干物がうまいんだよ」
「雰囲気いいね。古民家風で」
 店員さんがやってきて「生中と……ウーロン茶?」
「いや、梅酒で」
「お、珍しい」
 あれだけ酒飲むのが嫌だとか言ってたやつが飲まなきゃしゃべれないくらいの話なのかと少し身構える。
「結論から言うと、僕、東京戻るんですわ」
「まだ頼んだ酒が来てないうちからカチこんでくるね」
「あはは、たしかに早かったか」
 と言った後、統真は話を続けない。まるで俺が「なんで」と尋ねるのを待っているような間だ。でも俺はそれを無視して突き出しのなめこと大根おろしの和え物を黙々と食べる。
「実はさ、母親が病気で入院したんだよ」
「まじ?」
 予想外すぎる展開に箸が止まる。
「それで面倒見なくちゃいけなくなっちゃって」
「病気?」
「大腸癌」
「どんな状態なの?」
「ん〜……。大分進行しちゃってて他にも転移してる可能性もある」
「お母さん、こっち住んでるんだっけ?」
 と聞くが、統真の家に行ったときにはすでにリクナビで応募していたのだから、もし東京に戻ることを考えているのだったら、あの時点でお母さんの病気は発覚してないといけないわけだけど、あの時まったくそんなそぶりは見せていなかったよね?
 つーことはだ、もしかしてこの話は嘘? いや中学生が部活休むんじゃないんだし、わざわざ俺に嘘つかねーよなあ。
「うん」
「じゃあ長野からまた引っ越してくるってこと?」
 言いながら俺はリクナビのことを指摘するべきか否かまだ迷っている。
「そうなるね。だからまた会計士始めようかなって」
「別に魚道の勉強はこっちだってできんだろ」
「やめる気はないよ。ないんだけど、でも入院費とかこれからお金かかるし、とりあえず稼がないといけないし……」
「……」
 まあ、そういうことなら辻褄は合う。
「あのね……」
「ビールの方は……?」
 ビールと梅酒、それと揚げ出し豆腐を持ってきた店員さんに統真の言葉は遮られる。
「じゃ、ま、とりあえず乾杯」
「乾杯」
 梅酒を一口飲んでグラスを置いた統真は神妙な顔をしたまま、話の続きをなかなかしない。しょうがないから促すように俺は言い易い状況を作ってやる。
「お前がこれから何を言おうと俺はそういうもんだと受け止める。それに対して何か言うつもりはねえし、責める気もないよ」
 翔子の話を聞いて、誰にだってこういうことはあると俺は理解している。
「責める? 僕が責められる……?」
「いいから話せよ」
「この前長野来てもらったじゃん。実はさ……ぶっちゃっけあのちょっと前に母親入院してて、あのときにはもう東京に戻ること考えてたんだよね」
「……はあ? まじで病気なのか」
「まじでって、まじだけど……?」
「えーと、整理するぞ。俺がお前んち行った時点でお母さんはもう入院してたし、それが原因で東京に戻る予定だったと……?」 
「……そうだけど、特に難しい話じゃないじゃん」
「いや、まあ一応。でも……じゃあなんであんとき話してくれなかったんだよ!」
 お母さんをダシにしていなくてよかったと思うと同時に、長野での統真のポーカーフェイスっぷりに驚く。
「……ほんと黙っててごめん!」
 統真はいきなりテーブルに両手をつき、頭を下げる。
「ちょっ、待ってくれよ……そんなことすんじゃーねよ!!」俺は無理矢理統真の体を起こす。「ほら〜、揚げだし豆腐に前髪入ってるし」
「……」
「俺が聞きたいのは謝罪じゃなくて、なんで? って話だから。お母さん入院したの正確にはいつなの?」
「弓削君にうち来ないってメールしたときあったじゃん? あのすぐ後くらいかな」
「えーなんでそんなこと黙ってんたんだよ! おかしいだろ。大体そんなごたごたしてるとき俺行って大丈夫だったのかよ?」
「毎日毎日病院行ったり病気のこと調べたりの日々だったからむしろ息抜きになったくらい」
「あ!」俺は思い出すことがある。「もしかしてあの時徹夜って言ってたけどそれ関係ある?」
「そんなこと言ったっけ?」
「ほら、徹夜で風呂入ってないって」
「あっ、勉強してるって勘違いしてくれてたやつか」
「やつか、じゃねーよ!」
「ははは! うん、あのときは東京と長野行ったり来たりでほとんど寝てなかったから」
「かっこわらい、みたいな言い方しても許さねーぞ!」
「せっかく来てくれたのにそんな話するも悪いじゃん」
「いやいや全然言うべきだし」俺はジョッキに半分残っていたビールを一気に飲み干す。「それかもうちょっと落ち着いてから呼んでくれてもよかったしなんなんだよ」
「落ち着いてからってなったら時間経っちゃいそうだったし……弓削君にはあのままやるにしろやらないにしろ、とりあえず魚道の道に進むことは報告しときたかったんだよ」
「……入院決まったのに逆にすぐにこっち帰ってこなかったのは?」
「精密検査の結果がまだ出てない状態で、今後どういう感じになるのかまったく目処がたってなかったから。それが出てからでもいいかなって」
「だったらなおさら——」
「もしかしたらまたあのまま長野でやれるかもってのはあったし。あそこまでやりたいことって初めてだったんだよ。なんだかんだいってやっぱ諦めきれないとこがあったんだよね。働くところも決まったタイミングだったし」
「へ、仕事決まってたの!? バイトじゃなくて?」
「公共事業請け負ってるゼネコン、契約社員だったけど」
「それも聞いてないぞ……そこ辞めたのか」
「決まったのは弓削君来た後の話だから。だからまだ働く前だったし辞退したよ。とにかくあのときは長野に行って魚道を目指したってことだけを伝えたかったんだよ」
 怒ってもしょうがないし怒る気にもなれないし、理由を聞いた今でもなんで黙っていたのかやっぱよくわからない。
「でもそのタイミングだったら面接くらいはいってたんだろ?」
「まあ、そうだね……」
「お母さんの件もそうだし、仕事のこともそうだし……。あーもう!秘密が多すぎる!!」
「ごめんなさい……」
「……俺と会ってちょっとでも気分転換になってたんだったら、もうそれでいいことにするわ」
「あの時はほんと助かったところあるよ、弓削君と話せて。それに話せたことでやっぱり魚道好きだわって再確認出来たしさ」
「お母さん、手術とかするの?」
「医者はそうした方が良いって。でも母親が拒んでんだよねえ」まだ二口くらいしか飲んでないのに統真の顔は真っ赤だ。「そしてこのままだと長くて一年ちょっとという余命宣告を頂いたのでした」
「え、えぇ……。それは……」
 俺は言葉をどう続けていいかわからなくて、そうかあ、とかまじかとか何度も同じようなことを繰り返すしかなかった。ビールを飲む。
 こういうときに友人にかけてやる言葉が出てこないとか情けなさ過ぎるだろ俺。
 統真はある程度は気持ちの整理が出来ているのか、カラ元気や強がりってわけでなく「ま、しょうがないよねえ。幸い母親はわりとポジティブな人だから、あとはどれだけそのモチベーション保ってあげられるかってとこくらいかなあ」と軽い口調で話す。「とりあえず手術はしてほしいけど」
 気の聞いた言葉をかけてやれない俺は統真の明るさに救われている。
 病気が発覚して一週間くらいしか経っていなかったのに、俺にまったくそんな素振り見せずに接していたわけで、意外
にこいつタフなんだなと思い知らされる。
「僕としても弓削くんに黙ってるのは申し訳なくて、だからなるべく早く本当のこと言っておきたかったんだよね」
「ほんとだよ、もっと早く言えよー」
「まあ、今思えばちょっと気を回しすぎたというか、あれだったねごめん」
「もういいよ。謝んなよ。むしろこちらこそ、ちゃんと話してくれて、ありがとだよ」
 ままならない。ままならすぎるだろ人生ってやつは。
 

 帰り道、暖房効きすぎて蒸し暑い満員の銀座線の車内では文庫本を開く気になれなくて、イヤフォンを耳に突っ込むも音楽も聞く気にもなれず、地下鉄のまっ暗な窓の外の固いコンクリートの壁を見つめて考える。
 統真はもう少ししたら長野のアパートを引き払い、東京にまた戻ってくるつもりだと言った。母親の看病をしつつ、正社員でもバイトでも契約社員でもいいから会計士の仕事をしてとにかく金を稼ぐんだと。「俺に出来る事があったらなんでも言ってくれ」と言っておいたが、母親が入院したことを黙っていたあいつが頼ってくることなんて絶対ないだろう。
 お母さんの病気が治ったり、病状がよくなったらまた魚道の勉強を始めるかについて、俺はあえて聞かなかった。
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