1 言葉に敏感な作家

文字数 3,122文字

太宰治の『斜陽』、あるいは喜劇の解読
Saven Satow
Oct. 31, 1992

「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの」。
太宰治『女生徒』
「美しく生きることは、美しく死ぬことよりも難しい」。
アンドレ・ジッド

1 言葉に敏感な作家
 太宰治(1909~48)は、日本近代文学において、最も評価のわれる作家の一人である。あるものにとっては自分の代弁者であるが、逆に、別のものにとってはただ嫌悪の対象ただ、太宰は彼からの影響関係がはっきりしない。太宰は無頼派の一人で、織田作之助が慕っていたことは確かである。しかし、影響を受けたと自称する作家は少なくないものの、吉本隆明や塚本邦夫など彼らは必ずしも散文フィクションの書き手ではない。もちろん、三島由紀夫のように、小説家であっても、評論や政治的行動によって次世代に遺産が引き継がれる場合もある。けれども、太宰にそういう傾向は認められない。

 こうした状況は太宰の作品の読まれ方に負うところが大きい。『思い出』(1933)から始まる自伝的色彩の強い小説に太宰の私生活に関する出来事を見出すことは可能である。『人間失格』(1948)に至るまで何度となく言及されている家庭の事情や父親の社会的地位、兄弟との関係は、太宰にとって、重要であったことは認められる。彼は全体としての小説の出来以上に、作品に自画像を描くことに熱心になりすぎていることも少なからずあるくらいだ。そのため、登場人物に対して感情移入する読み手にとって、太宰に親近感を抱くことが多々ある。

 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーやジェームズ・ジョイスの作品の登場人物を鑑賞するのと違って、読み手は、登場する人物を通じて、太宰自身を発見し、それと一体化できたときに、感動を覚える。逆に、太宰の作品は親近感によって成立しているので、中心的でありながら、彼を見出せない登場人物は読み手にとって極めてフラストレーションを残してしまう。つまり、愛読者は太宰の作品を読むことによって、新たな何ものかを自らの経験に加えるのではなく、すでにある経験をただ追認する。

 このような太宰をめぐる受容の伝統は彼を神話的な書き手としている。太宰は、三島由紀夫とならんで、その死が最も神話化されている作家の一人である。太宰の命日には、特に女性を中心とした熱心なファンが、桜桃忌(桜桃祭)として三鷹にある禅林寺へ墓参りしている。センセーショナルな死なので、神話作用は不可避的であるけれども、太宰の場合、それをあまりにも無批判的に受けいれすぎている。太宰の作品にある自伝的要素は否定できないし、それに焦点を合わせる読みは許されて然るべきとしても、そうした読解法は彼の可能性を限定しすぎている。従って、太宰の作品における限界と可能性を指摘する必要がある。

 伝記的事実をとりあえず括弧にいれて、太宰の作品を読んでみると、非常に言語に関して繊細な書き手であることが見えてくる。

 彼は、作品としては失敗作と見てよい『千代女』において、言葉の取捨選択について次のように書いている。

 文章には描写が大切だ、描写ができていないと何を書いているのかわからない、等と、もっとも過ぎるようなことを、小さな手帖を見ながら、おっしゃって、たとえばこの雪の降るさまを形容する場合、と言って小さな手帖を胸のポケットにおさめ、窓の外で、こまかい雪が芝居のようにたくさん降っているさまを屹っと見て、雪がざあざあ降るといっては、いけない。雪の感じが出ない。どしどし降る、これも、いけない。それでは、ひらひら降る、これはどうか。まだ、足りない。さらさら、これは近い。だんだん、雪の感じに近くなってきた。これは、面白い、とひとりで首を振りながら感服なさって腕組みをし、しとしとは、どうか、それじゃ春雨の形容になってしまうか、やはり、さらさらに、とどめを刺すかな? そうだ、さらさらひらひら、と続けるのも一興だ。

 これは少女にある男が文章を教えているシーンで、太宰がセンシティヴに言語に接していることがよく示されている。ここだけではなく、『人間失格』の「第三の手記」二において、葉蔵と堀木が「喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこ」、そして「対義語の当てっこ」のゲームが描かれている。「たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬものは芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、すでにそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り」。

 この言語をめぐる知識は暗黙知的である。太宰の悲劇と喜劇の区別は、明示化すれば、農村と都市、苦痛と快楽のそれに準じている。しかし、彼は、通がそうであるように、そのような知識を対象化しない。直観的に提示するだけで、認知行動のプロセスが抜け落ちる。『思い出』において、作家になろうとする動機はそこに自分と「同類」がいると思われたからだとして書かれている。ところが、太宰は自伝的作品の中に作家になろうといかなることをしたのかという過程・創作行為が彼に何をもたらしているのかという内的充足度はほとんど描いていない。

 つまり、太宰にとって文学的行為とは制作と言うよりも、言葉に対する感性的姿勢を意味している。定型詩を含め詩のほうがふさわしかったのではないか、なぜ小説という文学ジャンルを選択したのかという理由がわからなくなるほどだ。雲を見つめすぎて青空が見えないという姿勢が創作行為を台なしにすることが太宰には少なからずある。

 太宰治文学の可能性と限界を明らかにするために、代表的な作品である『斜陽』(1947)を中心に読解することを選択する試みに、もはや説明は不要であろう。

 『斜陽』は次のような印象的な記述から始まっている。

 朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプを奥地に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張では無い。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。

 「ヒラリ」というオノマトペは、「捕なえようとしたら、猫はヒラリとかわした」のように、宙に舞うイメージで通常使用される。太宰はそれをスプーンの動きに用いる。食事の際、スプーンの動きは小さくなければならず、宙に舞うイメージはない。ところが、太宰は力みのない滑らかな流れとして「ヒラリ」を使っている。彼は一般的なオノマトペを通常と違った場面で使いながら、それがその世界の表現にふさわしいと読み手に納得させる。

 こうした表現は理論的ではなく、感性的な認識に基づいている。言葉の意味ではなく、その言葉がいかに機能するのかということに、太宰にとっては、関心がある。すなわち解釈学的な様式よりも、詩学的様式に集中している。太宰はこうした言語のセンスを示し、愛読者はそれに魅了される。他方、理由を求める読者に彼は野暮と応じる。読み手はかくして二分される。太宰の言語に関する繊細さがこのように冒頭から登場してくる『斜陽』は本論の目的にとってふさわしい作品である。

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