21、アラゴンの歴史的な催し物(6)

文字数 867文字

『アラゴンの歴史的な催し物』のパンフレットの続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
Por último, citaremos el Homenaje a Guillem de Mont Rodón (Monzón, fin de semana más próximo al 24 de mayo).
最後にギレム・デ・モンロドンの式典について紹介する(モンソンで5月24日に最も近い週末に行われる)
Maestre templario que entre los años 1214 y 1217 se encargó de la educación del rey JaimeⅠde Aragón.
彼は1214年から1217年までモンソンのテンプル騎士団長で、アラゴン王ハイメ1世の教育を任されていた。
何度も言っているが、ハイメ1世は余の息子である。
これも何度も言っていますが、ハイメ1世はペドロ2世のせいで大変な苦労をしています。幼い頃人質として差し出され、ペドロ2世は戦死、無事アラゴンに戻されてモンソン城に預けられたのです。
我が子ハイメは立派に成長し、征服王と呼ばれるようになった。余の血が流れているからだ。
ハイメ1世はペドロ2世の血ではなく自分で努力して立派な王になったのです。
モンソン城には僕とラミロ2世、ペドロ2世、ハインリヒ7世で訪れたことがあります。
我が子が預けられたモンソン城がどのようなところなのか見ておきたかった。
モンソン城はとても立派なお城でしたが、僕たちが行った時(1532年)には誰もいませんでした。
テンプル騎士団はフランスでフィリップ4世の時代に弾圧を受け、1314年にジャック・ド・モレーなどの最高幹部が火刑にされています。カスティーリャやアラゴン、スコットランドなどでは弾圧はありませんでしたが、テンプル騎士団の力は衰えたようです。
余の戦いの様子や我が子ハイメがモンソンで暮らした時の様子が再現されるのなら、ぜひそれも見てみたい。
はい、次にスペインに行く時は、そうしたお祭りや催し物を見たいです。
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