第9話

文字数 1,247文字

 官能的熟女蜘蛛から絡(から)めとられようとしたその時に、はるか上方からこちらに細い二本の光の帯が伸びた。光はこちらを探るように動き、
「生きてるかあ!? いるのかあー!?」この長大な穴にむかって男が叫んだ。
 そのあと男二人のもごもご言葉を交わす声が響いた。話の内容まではわからない。
「蜘蛛に食われてないだろうな!?」とまた叫び声が降ってきた。
 食われかかっている。とオレは思った。しかし恐怖で声がでない。
「警察っていうのはいつの時代でもバカだね」と蜘蛛が言った。「まあ、明日にも警察は警察でなくなるだろう。アイツらの手に負える世の中じゃなくなった」
 警察? 警察はこの熟女蜘蛛の存在を知っていたのか。しかも歴史的因縁をもっている? だったら警察の無能と怠慢じゃないかオレの苦境は? 
「あんた、警察に引き渡してほしいかね」と蜘蛛はオレに訊いた(しかも訊きながらオレのちんぽにさわったよ!)。
「え、引き渡してくれるの?」オレは信じられないほど幸福だった。声がよみがえった。逃げられる! そしてアオイをさがそう。その場合、この穴に戻るという難題が待つが……
「条件があるよ」と蜘蛛が言った(またちんぽをさすったよ!)。オレはブルブルッとした。ああ何かを得るには何かをあきらめなければならない。それはつねに真理だ。どうしよう。蜘蛛の要求にしたがったら、その場合、病死だ。きっとヤバイ治らない病気にかかるんだから。かといって要求を拒否した場合には食われてしまうだろう(正確には体液を吸われるということだろうか? 一般的な蜘蛛とはちがうからガリガリ食ってしまうのだろうか?)ガリガリサクサク食われた場合は何死? 吸われた場合はミイラ死だ。
 悩む場面ではない。可能性にかけるべきだ。
「条件ってなに?」答えは予想できていると思いながらもオレはおそるおそる訊いたよ。
 熟女蜘蛛が出した条件というのは、疑わしいほどに好いものだった。それは単に、オレの安全をのみ考慮したものだそうで、穴の縁まで糸で送り出すからお巡り二人に確実に腕一本ずつつかんでもらえ、というものだった。
「そうしないとまた落ちることになるだろうし、あんたのガールフレンドみたいに底なしの闇に落っこちゃうことになりかねないんだ」
 オレは同意して、熟女蜘蛛の口から勢いよく吐き出された、束になったおそろしく臭い糸に乗って穴の縁に到達した。お巡り二人はそれぞれオレの腕を確保してくれたその瞬間、熟女蜘蛛がきわめて複雑な運動を糸に加え、お巡りたちが落下した。そしてオレだけ穴の外に出すという妙技をやりとげた。
 その後穴の中から聞こえた叫びなどを総合すると、お巡り二人は繭のようなものにされてしまったらしい。
 ともかく熟女蜘蛛はオレとの約束を守ったのである。

 暗い底から熟女蜘蛛のつぶやきが聞こえた、闇の穴に反響する声はオレに呼びかけるように聞こえた。
「ヤリたいヤリたい、それも若さの特権的意識じゃろう。誰かを愛することじゃ。しあわせは、そのあとにやってくる」

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