第25話 Underwater

文字数 2,124文字

「インドでアナンタが、他の機体(マキナ)と交戦中らしい」

 日本海溝の上に停泊中の海洋調査船の通路で、甲斐(かい)さんが私に伝えてきた。

「2か月前に助けてもらった恩があるけど、今はマザーとの対話を優先します」
「ギリギリで伝えると動揺するかと思ったから、先に言っておいただけだよ。アイラとダーシャの操るアナンタは強い。コウもついてるし、任せておこう」

 潜航服を着た私は、(うなず)いて歩き出した。
 コントロールルームに入ると、同じく潜航服を着た明日人(あすと)楠木(くすのき)さんがルートの確認をしていた。
 明日人が顔を上げて、私に言う。

「亀裂に入るまでに機体(マキナ)に襲われたら、アウルと玄武(げんぶ)に守ってもらおう」

 玄武(げんぶ)は最近、楽園(エデン)に加わった巨大な亀。甲羅から蛇が出ているので、楠木さんが名付けた。そういう名付けが好きな人なのだろう。

「楠木さん、私がマザーとの対話で気を失ったら、思い切り引っ(ぱた)いてでも起こしてください。多分、最初で最後のチャンスだと思うんです」
「……そういうのは御堂(みどう)さんにお願いするよ。そのために、ついてくるんだろうからね」

 明日人は、緊張しているのか、微妙な笑みを浮かべている。そういえばこの人、閉所恐怖症だった。
 私は彼の背中を思い切りぱんと叩いて、元気を注入する。

「私たちで、この世界を救うんだよ。死んでもやり遂げるんだからね!」
「ああ、うん。そうだね。が、頑張ろう」

 楠木さんが笑う。

「どっちが男か分からんな。御堂くん、ちゃんと()いところを見せるんだぞ」
「は、はい!」

 1週間前、マザーと交信しようとした無人探査機は、マザーから()がれた生まれたての機体(マキナ)に攻撃されて失われた。
 私たちはマザーとの交信に成功しても失敗しても、そのまま海の藻屑(もくず)となる可能性がある。それでも、今の世界の状況を変えるには、マザーとの対話が必要だ。

 入院中に、翻訳機能付きのメッセージアプリでクロエと話した。彼女が言うには、マザーの命令であれば、すべての機体(マキナ)たちを海底の亀裂の先の世界に戻すことが出来るかも知れないらしい。それが無理でも、マザーは本来もっと深い深い場所に()んでいるため、戻って行ってもらえれば、新たに亀裂から飛び出してくる機体(マキナ)を減らせるんじゃないかということだ。

 クロエと仲の良い機体(マキナ)は結構な古株らしいから、それは信憑性のある情報だと思っている。アウルにこの話をしたけれど、彼は最近生まれたばかりで、最初からあの世界は嫌な場所だったと言った。そして、彼の言う最近っていうのは、多分、私たちの感覚と違って何百年単位とかの話だろう。

 甲板に出て海を眺める。
 潮風が、私の髪を()でる。最後の景色かも知れないから、しっかりと目に焼き付けておきたいと思った。私は、こんなにも美しい世界に住んでいたんだよ、と。

 明日人が私の肩に手を置いた。

「そろそろ時間だ。行こうか」
「……ねぇ、答え。聞きたい?」
「この前の告白のかい? うーん。海に潜る前にショックを受けたくないなぁ」

 私はつい、吹き出してしまう。

「なんでフラれることになってるの。オーケーよ。深海から戻れたら、色んなところに遊びに行こうよ。ドイツにも連れてって欲しいな」

 明日人の顔が紅潮する。

「ほ、ホント……? じゃあ、絶対に戻って()よう! それで、えと……」
「慌てすぎ。……だから、頑張って戻ろう。絶対にね」

 私は右手を差し出す。彼は恐る恐る、握手をしてくれた。
 そして私たちは、笑顔で(うなず)き合った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 私と明日人、楠木さんを乗せた深海探査艇のハッチが、ベテランの手により点検され閉められた。楠木さんは調査船と無線通信でやり取りしている。

 そして、深海探査艇は小型のクレーンに吊るされたようで、揺れ始める。しばらくすると、海面に着水したのか、揺れが小さくなった。

「クレーンから切り離されたら、そのまま潜行開始だ。本来はパイロットふたりで(おこな)う仕事を私だけでやるので、集中させてもらいたい」

 楠木さんの言葉に、私と明日人は黙って(うなず)く。

 幾つもの大小のモニターを確認しながら、楠木さんが何やら調査船と通信している。私は覗き窓から海の中を眺める。まだ少しだけ太陽の光が届いているようで、アウルと玄武(げんぶ)の姿を肉眼で確認できる。

 甲斐さんから、アウルとの交信は必要最低限に抑えるよう言われている。マザーに会う前に気絶されては困るのだろう。
 楠木さんが、私の方を向く。

「星宮さん。アウルと玄武を先行させられないかな。突然、機体(マキナ)に襲われたら、私たちは逃げることも攻撃することも出来ないからね」
「甲斐さんには、あまりアウルと交信するなと言われたけど、このくらいなら大丈夫かな」

 私が不安な面持ちで明日人を見ると、彼は私に微笑みかけた。

「沙織なら、きっと大丈夫。出来るよ」

 全然、根拠はないはずなのに、明日人の顔を見てたら不安が薄らいだ。

 ……アウル、その子と一緒に少し先を行ってくれるかな。ここでは私たちは無力。アウルたちだけが頼りなの。

『うん。この速さのまま、先に行くよ』

 私はモニターを観る。海中カメラにアウルと玄武(げんぶ)の後ろ姿が映り、通り過ぎていく。
 同じくモニターを眺めながら、楠木さんが(つぶや)く。

「さあ、私たちの、(みんな)の未来を見つけに行こうじゃないか」
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