第6話 Symphony n°39

文字数 936文字

電車に揺られる、あのガタンゴトンの音も瞑想の対象になるというから、日常生活にその対象はよく転がっていそうだ。カエルの鳴き声、鳥の囀り、セミの声、ひょっとしたら工事現場の騒音も。
化石のような物をじっと見つめるのが好きな友達がいたが、その時間も似たようなものかもしれない。皮なめし職人も、なめしている時間は一種のそんな境地?にいるのだろうか。


そもそも瞑想とは何なのか? 落ち着いた気持ちで、聞こえるもの、見えるもの、一点に集中して向かうことだろうか。
その場合、心はどんな状態であるのだろう?


恋をしている時でも、その人のことをほぼ一心に想っているわけだから、これまた瞑想的といえば瞑想的だが、どうも違う。ほとんど妄想、心がその人に囚われて、自らすすんで監獄に入り(それを自ら作って)、そこでひとりで何かしている感がある。

一人一人の鉄格子から、せいいっぱい手を伸ばし、指と指が触れ、手と手を握り合う…


妄想的なものは歓喜にも導くし、悲嘆にも導く。囚われているからだ。瞑想的なものは、違う。その対象を自分からとらえる。その対象によって、だからさほど左右されない── 気がする。


恋、妄想の場合も、自分から相手を好きになる… 主体は自己であるが、いつのまにか自分が相手のモノになってしまい、その人なしではやってられない、情けない気持ちになったりもする。


瞑想的なものは、あくまで主体が主体で、その対象を選び、自らのうちに取り込み、それについて吟味するという、どこまでも一人作業であるかのようだ。


たぶんほとんどの人が、そのような一人作業をしながら人と関係を持ち、持ちつ持たれつしている感がある。


妄想的であるより、瞑想的でありたいと思う。少なくとも静かな気持ちでいられるし、何やら余裕めいたものも生まれるからだ。とらわれるのでなく、とらえる── その主体、結局は自分なのだが、その主体の構成要素に欠かせぬ重要なものとして、この呼吸する身体をみつめる時間を貴重としたい。


その時の体勢として、あぐらなり正座なり椅子に座るなどして、楽な姿勢でなるべく背筋を伸ばし、呼吸をたすけるような姿勢がいいらしい。呼吸さんも身体を通り易いそうだ。

できる限り協力したい、この呼吸さんには。世話になりっぱなしだから。

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