二日目、その六

文字数 6,274文字

「もしもしサクマ? ……いやあびっくりしたよ。え? こっちの台詞だって? ごめんごめん。まさか助けてもらったその日のうちに、火事に見舞われるなんてさ。
 どうしてお前は無事だったのか、だって? あのねえ、無事でいることが本当自分でも不思議なんだよ。何だか嫌な予感がして夜中に起きてみたらさ、部屋の外が真っ赤になってたわけ。もう訳が分からずに点滴も何もかも抜いて、布団から逃げ出してさ。まだ回復してなかったから立ち上がることもできなくて、地べたを這いつくばりながら必死で玄関を目指して、そしてどうにかこうにか脱出することができたわけ。今思えば、低い姿勢でいたことが良かったのかな。といっても外に出た瞬間に意識を失ったんだけどね。周りの人が助けてくれたよ。暗闇の中、私が魔女だとも知らずにね。
 雨が軽く降っていたこともあって、火が消えたのは早い方だったのかな。……でもお医者さんはダメだった。後で丸焦げの遺体が出てきたよ。患者の私が生き残って、医者のあの人が亡くなってしまうなんて、ほんと残念だね。
 火事の原因? 放火だって言われてるよ。だってあのお医者さん。煙草なんて生涯一度も吸ったことがないって人だったらしいから。今はストーブが活躍するような季節でもないからね。それに明らかな証拠が出てきたの。もろに火を付けましたって分かるようなモノが。私のいた部屋のすぐ裏手、庭に設置された倉庫内の紙ゴミを使って火は付けられたみたい。本当に私が無事だったのは奇跡なんだよ? だって放火された場所は、亡くなったお医者さんより私の方が近かったんだから。
 今お前はどこにいるのかって? ツバキが聞いてる? ねえサクマ、今ツバキは何してるの? ……ああ、そう。まあ二人は全然元気そうだね。良かった良かった。
 私は今もまだ赤し国にいるよ。友達に匿ってもらってるの。体もまだ殆ど寝たきりだし。……え? 友達なんて存在が君にいたのかって? ちょっとサクマ。私の代わりにそこの男に「失礼だな」って言っといて!
 小さい頃仲が良かったの、さなちゃんって子。しばらくして私が島に誘って、それ以来ずっと赤し国育ち。え、名前なんて聞いてない? 冷たいこと言わないで。サクマはそんなこと言わないよね?
 とにかく私は無事だから安心して。心配かけて悪かったよ。まあ、少ししか心配してないだろうけどさ」
 電話口で紫帆はありったけの言葉を吐いた。それこそ私がこの通話料金を途中で気にし始めたほどだ。こんな緊急事態なのだから仕方がないし、いつも生活費は彼女が立て替えてくれているから私が気にする必要はないとは言えど、それでもどうしても気になってしまう。
「サクマ、そこの魔女特有の長電話はさっさと切り上げて、毒を盛られた経緯とこの街の歴史について聞いてくれよ」
「なんで俺が伝書鳩みたいなことをしなくちゃいけないんだよ……」
「ほら早く。現地で調べたいことは他にも山ほどあるんだ」
「ねえサクマ。私、さなちゃんの部屋で通話するのはなるべく避けたいんだけど」
「ああもう分かってるから! 両方から一斉に喋るな!」
 自分のことについてはお構いなしの二人に苦労しながら、私はどうにか紫帆に本来の筋道である用件を伝えた。
「誰からワインをもらったのかって? 当主様だよ。宍戸芳恵」
「険悪だって言ってたのによく受け取ったな。ちなみにそれはどんな風に?」
「どんな風に? その時の情景ってこと? ……お盆を両手に、あいつがゆっくりと近付いてきてさ。不気味かってぐらいにこっちに向かって笑いかけて言うわけ。「お客様に先に取っていただくのがマナーでしょう?」って。知るかよって思いながら私、慎重にグラスを選んだな」
「十一人分のグラスに違いは見られなかった?」
「うん、どれも全部同じに見えた。数もそのくらいだったんじゃないかな。取ったらすぐに当主様は離れていったよ。テーブルのすぐ近くにいた、和服の男の所へ行ったんじゃないかな」
「柳さんだな」とツバキが隣で答える。
「だったら後の順番のだいたいは彼女が挨拶していった相手を辿れば分かる。反時計回りにグラスは客人達の元へ運ばれていったんだ。紫帆、柳暁郎、サクマ、僕、そして秋津政景、紗夜兄妹だね」
「そして残るは宍戸家の人達と宮田さん。……さすがにそれ以降のグラスの行方については分からないか」
「けれどもまあ、だいたいの予想をするのは決して不可能じゃない。そのまま反時計回りに芳恵夫人がお盆を持って回ったのだとしたら、順番は道真さん、菊乃さん、彩史さんだ。宮田さんは一番最後のものを取ったと言っていたね」
「家族については年齢順ということもあり得るんじゃないか? 客人達は平等に扱うとして、礼儀を持ち出すのなら目上の人から物を受け取るのもマナーだろ」
「そうだね。さすがにこればかりは、直接芳恵夫人に尋ねたほうがよさそうだ」
 最初の質問についてはそこまで話し込み、続いて私は紫帆に尋ねた。
「乾杯する前のことはだいたい分かった。ありがとう紫帆。その後についてはどうだ?」
「乾杯した後? うーん……私、元々ああいう集まりは得意じゃないからなあ。いろんな声が錯綜して、どれを聞き取ればいいのか分からなくなって……。最終的には向こうが何を言っているのかさえ分からないまま、適当な相槌を打つだけで疲れちゃうし」
 その気持ちだけは共感できたが、余計なことを言って話を脱線させない方がいいだろう。
「ホールにいた人達に最低限の挨拶ぐらいは交わして、その後サクマとしばらく話した以外は、隅でぼうっとしてたよ。倒れて死にかけた時も、特に変なものは見なかったかな」
 ここで急に自分の名前が出てきて、私はぎょっとした。あの時確かに私は紫帆に呼ばれたような気がして彼女の元に向かったが、それ以外に彼女は他の誰とも大した交流をしなかったのか?
 ツバキが再び横から確認してきたため、恐る恐る私は正直に述べた。
「お、俺と話してその後倒れた以外は何も……事前に皆とは挨拶を交わした程度だったらしい……」
 途端に彼の灰色の瞳が、露骨に不審の色を帯びて私をじっと見つめた。
「ま、待て! 俺は何もしていないぞ! 本当にっ!」
「そういえば盲点だったね……君を疑うことを忘れていた」
「お、おい。お前の冗談は演技が出来過ぎて本当にしか聞こえないんだ。それ以上俺を責めようとするのはやめろ!」
「どんな人間が犯人だろうが、動機なんていくらでも当人の中で作られるからね。例えばそうだな……自身の気持ちを無視し、親切心を装って彼女が付き纏ってくるのを鬱陶しく感じたとか」
「それはお前が常々紫帆に思ってることだろ!」
「ねえサクマ、他に聞きたいことはある?」
 どことなく紫帆の口調が急いでいるように感じられたので、私はすぐさま次の質問に移ったが、すでに彼女の中のタイムリミットは近付いているようだった。
「赤し国の歴史について? 私、物事を覚えるのも苦手だけど、歴史そのものも本当に苦手なんだよね。だって所詮は過去。昔のことじゃん。毎日今を生きることに精一杯だし、とっくに死んでいる人の事情なんて考えるだけ時間の無駄、とか思っちゃって」
「極めて排他的で他人に共感されないであろう価値観だね。たとえ思っていたって、大抵の人間は口にしないものさ」
「ふん、どうせ人から理解されることのないマイナーな価値観ですよ。小さい頃から歴史番組とかも好きじゃなかったなあ……。え、話が逸れてる? ああごめんねサクマ。少し調べれば詳しく教えてあげられるだろうけど……でもごめん、そろそろ通話切らないと。さなちゃんに申し訳ないんだよ。あの子、昨日の真夜中から私を受け入れてくれて、今寝たところだからさ。
 この家、部屋の壁が薄いの。それにさ、私はまだ赤し国にいるんだよ。最悪な街の中にいるの。言いたいこと分かるでしょ? だから私の元を訪れて直接話を聞きにくるか、それか自分達で調べてよ。お屋敷にちょうどいい部屋が一応あったはずだよ。「図書室」が二階にさ」
「勿論そこも後で調べるつもりさ。蔵書の中には宍戸家にとって都合良く記されたものも紛れているだろうけど、貴重な資料であることに違いはないからね。君の所感が聞きたかっただけさ」
「なるほどね、でもなあ……あ、やば。さなちゃんが起きそう。ごめん、二人とも。こっちからはあまり電話できないかも。機会がないというよりも、体力的にね。今も結構フラフラ。だからもしも急用ができたら、さなちゃんの家調べて頑張って私に会いに来て。私もできる限り君達に必要そうなことは一応調べておくから。それじゃあね」
 そして通話は中途半端な形で切れてしまった。ただツバキが最も聞きたかったことの一つ、「赤し国の実権が宍戸家に握られるまでの経緯」までは聞き出すことができなかった。今の紫帆が万全の状態でないのは当然だが、それ以上に彼女の周囲はまだ安心できる状況ではないのだろう。
「なあツバキ。あいつ自身ははっきりと言ってこなかったけど、やっぱりあの放火は紫帆を狙ったものなんじゃないのか?」
「僕も現時点で君と同意見だよ。毒を盛られてもしぶとく生き残った彼女を始末しようと、誰かがあの小さな病院に火をつけた。それか、誰かに火をつけるのを「頼んだ」」
「酷い……!」
 私は思わず怒りを露わにした。
「それであの医者は死んだんだろ。昨日僕達が助けを求めた時もピンピンしていた、あの人が……」
「サクマ。気持ちは分かるけど、必要以上の正義感は表に出しすぎない方がいい。僕達は少々特異な街の中にいる。誰がどこから僕達を見ているか分からないし、それに強い感情は時に自分を見失うものだよ。君はもう少し、赤の他人より自分に心を砕くことを意識したほうがいい」
「だけど……」
「それにひとまずは紫帆も言っていたじゃないか。赤し国の実権が宍戸家に握られるまでの経緯。具体的には宍戸芳恵の父親だね。先代当主である彼が、いかにして「国の主」となっていったのか……。その過去を紐解けば、もしかすると赤木道真殺害事件の全容も、明らかになるかもしれない」
 これは先が長そうだとツバキは呟いた。宙を漂うパズルピースをひたすら引き寄せて、手元から離れぬうちに形を組み合わせなければならないような連続の思考と行動。そうしないと事件という謎に満ちた複雑なパズルを、完成させることすら難しいのだろう。
「過去を探るなら、まずは本人とご対面したほうがよさそうだ」とツバキは得意げに言った。
「ご対面……って、先代当主にってことか⁉︎」
 昨日の夕方から宍戸家の面々に世話になっていて、まだ対面していない者が屋敷の中にいたのかと私は驚いたが、そうではなかった。
「ああ。君が魔女と電話をしている間に何人かに尋ねてみたけど、彼は今永遠の眠りについているらしい。先程行き損ねた墓地に向かえば、彼の墓石を見ることができるというわけさ」
 そして私達は足早に田上医院があったはずの焼け跡から立ち去ると、宍戸家の敷地内に戻ることにした。時刻を確認すれば、芳恵が朝に言っていた葬式の終了予定時刻は過ぎている。私達以外の客人達も、もしかすれば屋敷内に帰ってきている者がいるかもしれない。
 再びバスに乗り、今度は反対に朗々とした歌が響いていたバスターミナルに向かう。けれど私達がバスに揺られて辿り着いた頃には、あの不気味な老人の姿はどこにも見えなかった。「幽霊だったのかもしれないね」と呟くツバキに対して、「変なことを言うなよ」と私は思わず口にした。
「全くおかしくないことじゃないか。だって今君の隣には、元々死体だった男がぺらぺらと喋っているんだぜ?」
 そして私達は商店街で軽く昼食を済ましてから、宍戸家の敷地まで続く登り坂を登って行った。昼食は商店街の入り口近くで、かなりご高齢だが愛嬌があり小柄なおばあさんが接客をしていたコロッケ屋さんにすぐに決まった。私もツバキも、おばあさんが勧める名物のコロッケとハムカツをそれぞれ一つずつ注文したが、これが思わず頬が落ちてしまうほどの美味であった。
 そして道路のアスファルトから街道の石畳へと変わる中で、通り過ぎる人が口々に会話を交わしながら街の喧騒へと下っていく。内容は赤木道真の事件が八割、田上医院の放火が二割といった割合だった。
「放火はきっと、宍戸様に背いた報いだよ」
「道真様が亡くなられたんですって。お聞きになりました?」
「まあ、そうなんですの⁉︎ でしたら私達、急いで一度家へ戻らなければ……」
「ご病気やご高齢で亡くなられたのならともかく、……何者かに殺されていたんだろう? 突然亡くなられるとこっちも困るな。いろいろな準備ができないから」
「恐ろしい。きっと祟りよ祟り」
「道真様はどうして殺されてしまったのかしら」
「どうせ遺産だろ? 噂ならもうすぐ五千万が、あの方の手元に入る予定だったんだぜ」
「五千万⁉︎」
 金額を盗み聞きして、思わず私も驚いた。一人の若者が受け取る資産にしては、とんでもない額ではないか。
「だから芳恵夫人は昨日の晩、あんなにはっきりと犯人の動機について言及したのか」
 ツバキがこそりと呟く。「権力のことはさておき、それだけ望外な金額なら、経済的に余裕のある人間でも欲に目が眩みそうだ」
「街にいる人間なら、誰でも犯人になり得るってことか?」
「そうだね。まあ元々彼の資産に関する情報を知っていた人間が容疑者の対象にはなるだろうけど。つまりは客人の僕らでも、宍戸家の一族でも、それ以外の街の人々でも。そのたった一つの条件さえ突破できれば犯行の動機というものは簡単に成立してしまう」
 やはり世の中を生きていく上で、お金というものは厄介な要素だねとツバキは一旦言葉を締め括った。
 尚も続々と、すれ違う人々の間で話題は湧き上がっていく。
「金額なんてあまり鵜呑みにしてはいけませんこと。いつ誰が目を光らせていることか」
「けれども宍戸様ご一家はこれまで……」
「しっ! 向こうから他所の方が来られるわ。こんな田舎の街に何のようかしら。珍しい……」
「ねえ奥様、先程ご覧になられました? なんて綺麗な姿にお顔……」
 けれども最終的にはその会話のほとんどが、私達とすれ違った後にツバキの話題へと終結していくのだから恐ろしい。
「お気がふれる前の先代様と、良い勝負ではありませんこと?」
「ああ、お懐かしいお懐かしい! 先代様、先代様」
 先代、宍戸浩之介(こうのすけ)様。
「そういえばここにきてからまだ聞いたことがなかったな、先代の名前」
 さまざまな群衆が立ち去ってから、私はツバキに話しかけた。
「宍戸浩之介。当然と言えばそうだけど、今の時代に比べると古風な名前だ」
「サクマ君。もっと他に気にすべきキーワードがあったんじゃないのかい。君は常々物事を素直に受け入れすぎているというか、疑念を持たないにも程があるというか……」
「なんだよ、失礼だな。今のはただの会話の取っ掛かりに過ぎない」
 肩をすくめたツバキに対し、私はすかさず言い返した。
「お前が言いたいのはつまりこういうことだろ? 「宍戸一家はこれまで」と濁すような言い方。過去に彼らが何かをやらかしたことがあるような言い方をしていた」
「それもそうだけど。僕が考えていた部分からは外れているね」
「何だよ、お前が考えていた部分って?」
 尋ねると、ツバキは疑問の形で私に答えを返してきた。
「彼らの言う「いろいろな準備」とは、いったい何のことだろう?」
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