三日目、その四

文字数 5,150文字

「朝からすみません。急に押しかけてしまって」
 扉を開けてもらって早々、ツバキは目を細めて申し訳なさそうに頭を下げた。私達二人の来訪に、秋津政景は初め驚いた様子だったが、すぐに「どうぞお入りください」と、聞き込みをすることを快く了承してくれた。
「当時車の鍵を失くされた経緯も含めた、昨日一日のあなたの行動を教えていただきたいんです」
「構いませんよ。特にこれといったことは何もしていませんでしたから。……今朝はあまり、何をするにも気分が乗らなくて」
 やや雑多な部屋の様子を見られたことを気にしたのか、政景はその理由を私達に述べた。勧められた椅子に腰を降ろしたあと、世間話でも始めるようにツバキが尋ねる。
「紗夜さんも何処かへ行かれたのですか」
「ええ。いつも私が心配性なもので、一応声を掛けてはくれたんですが……まだ朝食も取っておりませんでしたので、好きにさせました。「自分のことは大丈夫だから」と伝えはしたのですが、紗夜は心配な様子で。……駄目ですね。いつもなら唯一の家族だからって、できる限り妹を危険から守るために傍にいるよう努めているのに。……正直、自分でも驚いています」
 彩史が亡くなったショックだけでなく、妹に対しての自責の念も今の彼は必要以上に感じてしまっているのかもしれない。
 仕方がありませんよ! と私は声を張った。
「昨日一昨日と、あんなことがあったんですから」
「サクマさん……」
 政景にしばらく黙って見つめられ、すぐさま私は俯き加減になってしまう。人見知りであるため、威勢の良さは一瞬しか保たない。「その……」と小声になりつつ、「気持ちの落ち着け方は人それぞれだと思いますので、政景さんも、そこまで気落ちされることはないと思います」と、何ともみっともない励まし方となってしまった。
 しかしツバキが助け舟を出してくれた。
「珍しいね。僕もサクマ君の言う通りだと思うよ」
「珍しい、は余計だけどな」
「元よりあなたは彩史さんの知り合いだったのですから、気持ちを切り替えるのに時間が掛かってしまうのは仕方のないことでしょう。少しでも早く心が安まるといいですね。時間を改めてから伺うことにしましょうか?」
 私への皮肉は相変わらずであるが、真面目且つ繊細そうな政景にひとまずは私達の気持ちは伝わったのだろう。「その心配には及びません」と、彼は感謝しながら言った。
「協力させてください。妹と共に一刻も早くこの街から出て行きたいのは山々ですが、まだ工事は終わっていないようですし、不可能である以上は事件解決のお力になりたい。私が今こうして抱いている気持ちが……少しでも晴れるためにも」
「ありがとうございます。けれどもどうか、無理だけはなさらないでください」
 ツバキがそう言うと政景は笑顔を見せてから、昨日の行動を詳細に話し始めた。
「昨日は元々紗夜と遠くへ出かける予定がありました。「遠く」とは言っても赤し国の中ではあったのですが、塔で待ち合わせすることになったんです。「出かける準備に時間がかかるから」と紗夜に言われたので。私は先に屋敷を出て、裏門へ向かいました」
「あの時は結局車で出掛けられましたよね? しばらく屋敷で待ってから駐車場へと向かわれた方が、却って都合が良かったのではありませんか?」
 公園での場面を思い出しながら、ツバキは政景に問い掛けたのだろう。
「その理由については単純に、あの塔がどんなものなのか見てみたかったんです。私は過去に一度屋敷に来たことはあるものの、あそこに足を運んだことはありませんでしたし、妹もこの街一帯でどんな花が咲いているのか見てみたかったようですから」
「そういえば私達が塔に着いた時は、先に紗夜さんと会いましたね。しばらくしてから政景さんとも合流して……」
「あはは。妹のほうがどうせ時間が掛かるだろうと思っていたのがよくありませんでした。この街独特の懐かしい雰囲気を感じていたら、あっという間に時間が過ぎてしまっていて」
 政景は頭を掻いて照れ笑いを浮かべた。私はどちらかと言えばこの街の雰囲気に何故か漠然とした不安を抱くことが多かったのだが、街の印象については彼もどちらかと言えば柳寄りと言ったところか。
「それからツバキさん達と公園での別れてからは車を走らせ、屋敷に戻ってくる間際は近くの喫茶店で昼食を取りました。一杯五百円のコーヒーを頂きましたが、なかなかの美味でしたよ」
「ちなみに車で何処へ向かわれていたか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「それは……」
 そう言って政景は口を閉ざしかけたが、すぐに言葉を続けた。
「……湖です」
「湖?」
 これに思わず私は聞き返してしまう。
「赤し国に湖があるんですか?」
「ええ。北の端の方に、ほんの小さくですが。……わずかな家屋と共にひっそりと息を潜ませた様子に切なさがあって、私のお気に入りの場所なんです。初めて訪れた紗夜も同じ兄妹だからでしょうか。すっかり気に入っていました」
 口ぶりからして政景が嘘をついているようには見えない。初めての地理情報を私は頭の中に叩き込んだ。しかしそこは車でもかなり時間が掛かる距離にあるらしい。これまでの事件に利用されたという可能性は限りなく低いと考えられた。
「その後屋敷に戻って紗夜と別れてからは、室内を探索したりコレクションルームの物を確かめていたりしていました。道真さんが殺された凶器として、獅子夜叉が怪しいんじゃないかと思っていましたからね」
「その時獅子夜叉にこれといった異常は見受けられませんでしたか?」
「ええ、全く。その点についてははっきりと断言できます」
「なあツバキ、確か俺達が和室を調べようとした時、たまたま芳恵さんと顔を合わせたよな? あの人は一階にいた……」
「彼女が粉を付けたとでも言うのかい。サクマ?」
「いや、まだそこまでの断言は……。少なくとも政景さんが一度コレクションルームに入って以降に一階にいた人を洗い出せば、何か分かるんじゃないかと思って……」
「ふむ、それはどうだろう。疑いのある人間をいまいち絞り切れない気もするけど」
 私の必死の考えは、ツバキにとって魅力的に感じられなかったようだ。
「それと政景さん。紗夜さんと共に屋敷に戻ってきた時ですが、宍戸家のあの赤い車について不審な点はありませんでしたか? その……いつ誰が車上荒らしを行ったのかも、気にしないといけないと思っていて」
 ツバキに遅れることのないよう、さらに私は頭を働かせながら彼に質問をした。昔に見た刑事ドラマやミステリ小説の場面を想像しつつだ。
「屋敷にいる間誰かと話をしたとか、他の人も証言できるような状況も教えてくださると有難いのですが」
「すみません。少し思い出す時間を頂いても宜しいですか? ……そうですね、駐車場は特に何もなかったと思うのですが」
「うーん」と政景が尚も手掛かりを思い出そうとする一方、ツバキは私を見てぱちくりと瞬きしていた。
「な、何だよ。邪魔な質問だったか?」
「いいや、反対さ。板に付いてきたねと思って」
「は? 何が」
「褒めているんだよ」
「だから何がだよ!」
 会話のキャッチボールが何故か上手くいかないなか、やがて政景が続きの説明を述べた。
「屋敷に戻って早々、ホールの掃除をしていた宮田さんに声を掛けました。開けっぱなしの扉から彼女の姿が見えたので。和やかに世間話をしていると彩史さんが傍を通り過ぎて厨房へ入っていきましたので、挨拶だけは交わしました。というのも彩史さんですが何だか疲れた表情をしていて、とても雑談に加わる雰囲気じゃなかったんです。
 結局私が彩史さんと直接お目にかかったのは、あの時が最後でしたね。しばらくするうちに、厨房の扉から彼が出て行く音が聞こえましたから」
「……なるほど、それで?」
 ツバキは暫く考えてから、さらに続きを促した。宮田から同じ話を聞くことはなかったが、ただ思い出さなかっただけだとひとまず思うことにしたのかもしれない。
「彩史さんがその場を離れるまでに、いつの間にか柳さんがホールに来ていました。買い物袋を提げていて、外出から戻ったようでして。宮田さんに何か頼まれていたのかな。ちょっとした言い合いをしていて、そこから芳恵さんのいる部屋へ向かって行ったのを見送りました。……あ、すみません! ちなみにですが決して、口論というほどではなかったですよ! 仲の良い友達のような……そう! ちょうどツバキさんとサクマさんが言い合う時のような、あんな感じです」
 政景の言わんとしているところは理解できたが、そのまま受け入れるには何だか気恥ずかしかった。ツバキもわざわざ「彼とはただの腐れ縁です」などと、やけに冷たく指摘した。
「ちなみに彩史さんが厨房を出て行かれた、具体的な時刻までは覚えているでしょうか」
「すみません、流石にそこまで細かくは……。やはり彩史さんの動向を詳しく知ることが重要なんですよね」
「ツバキ。それなら図書室でお前と一旦別れた後、彩史さんが階段を降りるのを見かけたぞ。柳さんも一緒だったから間違いない」
「そうか。それなら彩史さんがまだ生きていたと考えられる時間は少し延びたことになるね。僕としては図書室から出て行く彼を目撃した、それ以降のことは分かっていなかったから」
 そしてツバキは政景に、私達とコレクションルームで落ち合った時刻周辺の行動も尋ねた。
「そういえば部屋に向かう直前、紅葉さんと顔を合わせたのを覚えています。後から思えば、あれは宮田さんのコンタクトレンズを探していたんですね。しきりに足元ばかり見つめているな、とは思ったのですが。今更ながら理解しました。
 コレクションルームでの出来事については覚えていらっしゃるとおりでしょう。余分な打粉が付いていたので、獅子夜叉を持って私はすぐさま車へと向かいました。けれど窓越しに車内に手入れ道具を確認した際、服のポケットに入っていたはずの鍵がなくなっていることに気付いたんです。もしかしたら屋敷にいる間に、どこかで落としてしまったんじゃないかって」
「それであなたはまず遊戯室にいた紗夜さんに会いに行った……」
「ええ。車で帰ってくるまでは勿論ちゃんとありましたからね。妹の鞄に紛れたんじゃないかと最初は思いました」
「けれども鍵は見つからなかったと」
「はい。一階に割り当てられた紗夜の部屋も確認してみましたが、見つかりませんでした。「意外と車の近くに落ちているかもしれない」と紗夜が励ましてくれたので、もう一度駐車場を確かめてみましたが、結局は見つからず。……今思えば私の管理不足です。手軽に取り出せるからと考えずに、もっと気をつけてポシェットの中にでも入れておくべきだった」
「それから以降は菊乃さんを探すのに協力した、ということで間違いありませんか? 彼女があなた方の様子を見に行って例の祭りを目にした後、様子がおかしくなったのを機にあなた方は遊戯室へ戻ってきた……」
「仰る通りです。菊乃さんは、どこで私の車の鍵を手に入れたのでしょう」
「そればかりは本人に聞いてみないと分かりませんね。駐車場で案外早くに鍵は見つけたけれど、あなた方に伝える前に彼女はそれどころではなくなってしまったのかもしれない。
 後で菊乃さんにも話を伺ってみますよ。ついでに妹さんの様子も、話を聞きに行くついでに見ておきます」
「それは本当にありがたいです。今の時間ならまだ、昨日祭りがあった付近にいると思うのですけど」
「祭り……」と聞いて、私は一つ思い出したことがあった。
「そういえば政景さん、昨日の夜に私と紗夜さんや紅葉ちゃんと合流した時に言っていませんでしたか? 大山の住職さんを見かけたって」
「はい、確かに言いました」
「そうなのかい? 僕は初めて知ったな」
「お前はその時、犯人の後を一人で追いかけようとして何処かへ行っただろ」
「ああ、あの場面での話か」
 口を挟んできたツバキに対して、気付けば私は拗ねた返答をしていた。
「サクマさん。その住職さんのことで何か……」
「あ、いえ! すみません! 特に政景さんに尋ねたいことがあった訳ではないんです。ただ自分の記憶違いじゃないか、はっきりさせておきたくて……」
「それも菊乃さんのことと同様、本人に聞いてみないといけないところだね。やれやれ、あのお坊さん。二日目からこの舞台に上がってきた割に、怪しい動きばかりしているんだから」
 そう言ってツバキは聞き込みを終えると政景と別れ、私と共に部屋を後にした。一旦は全員分のアリバイの把握してから、考えを巡らせるつもりらしい。
「このまま他の誰かがタイミングよく外から戻ってくれば楽だけれどね。さて、皆はそれぞれ何処にいるんだろう」
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