二日目、その十九

文字数 7,357文字

大山彩史が何者かに殺されたのを発見した後は、なす術もなく慌ただしい時間が流れていった。屋敷に全員が戻ってからもツバキは芳恵を追及し続けた。十年前の出来事と、一人街を立ち去った探偵助手について。しかし芳恵は決して答えようとはしなかった。宍戸家以外の者は原則立ち入り禁止である当主の部屋にて、ひとしきり彼と揉めても尚だった。
「何故そうも頑なに口を開こうとなさらないのですか!」
 切実にツバキは部屋の主に答えを求めていた。苔のような深い青緑色の壁の向こうにフランス窓の閉め切られた、重厚感を備えつつも飾りのある洒落た部屋である。
「自分の死をもって一連の事件は解決する」。そのように彼女が発したことで、新たな事件発生の前に犯人を捕らえる決意と共に、芳恵の身を案じてもいるのだろう。これほどまでに食い下がる彼を見るのも、当時の私には珍しかった。
 だが当の芳恵は「真実を受け入れたからです」と冷酷に告げた。
「十年前の彼が今回の事件に関わっているのなら、私はもはや何も申し上げることはありません。あなたの仕事は終わりました」
「まだ何も真実は明らかになっていない」とツバキは言い放った。「僕の考えはまだ推測の域を出ていません」
「その推測によって謎が明らかになっていく実感を得たから、あなたは私にあの時のことを尋ねたのでしょう? 犯人探しを依頼した私は既に満足しているわ。依頼者を満足させたなら、それで充分」
 そして堂々と芳恵は述べた。
「今後私は自分の身に何が起こっても、探偵としてあなたを恨むことはありません。何も気になさらないでください。……話はここまでにしてもらえるかしら。夜も更けて少し疲れたの。宮田さん、彼らを部屋まで案内して差し上げて」
「か、かしこまりました……」
 宮田が半ば申し訳なさそうに、私達を連れて部屋から追い出そうとする。今はここまでのようだ。
 両開きの扉が閉じられる間際、芳恵は「ああそう」と思い出すように言った。
「あなた方の車のエンジンを壊したことは、亡くなった弟に代わって謝ります。あれもすぐに代わりの車を用意しましょう。島の魔女にもそうお伝え下さい」
「待ってください! つまりそれは……!」
「おやすみなさい、美しき人」
 そうしてバタン! と全てを拒絶する音が廊下に響いた。「ツバキ」と私が声を掛けるなか、彼はしばらく扉の向こう側を睨み付けるように疑いの目を向ける。
 やがて彼は溜息を一つ吐いた。
「……仕方がない。聞きたい話は沢山あるけど、それは明日にしよう。僕達も決して元気が有り余っているわけではないからね」
 そうして振り返れば宮田だけでなく、菊乃と住職以外の全員が廊下で私達を待っていた。
「やっぱり何も語らずだったかい。お屋敷の当主様は」
 一番初めに口火を切ったのは柳だ。ツバキが黙って頷くと、宮田は大きく頭を下げた。
「すみませんツバキさん。本当は私も、全てを奥様に伺いたい気持ちではあったんですけど……まさか彩史様まで、誰かに殺されただなんて」
 たった今事件の内容を知った彼女は、驚きのあまり未だに現実のことだとは思えないようだ。一足早く屋敷へと戻り、使用人に事態を伝えた紗夜が口を開く。
「私、芳恵奥様のことがすごく心配です。昔のことはよく知らないんですけど、「次は自分の番だ」って……。命を狙われていると分かっていながら時を過ごすのは、とても心に負担が掛かるのではないでしょうか」
「私も先程、塔の中で手記を見つけてから芳恵さんの様子がおかしくなったと伺いました。かつて探偵と共にこの屋敷を訪れた助手の方が犯人だと芳恵さんは考えているそうですね。しかしそれはあくまでも、数ある選択肢の一つに過ぎないのではないのでしょうか。全く他の人が犯人だという場合も、ゼロとは言えないのでは……?」
「ええ。突如その線が浮上したというだけで、断言をするには早計だとは僕も思っています。この街の何処かに犯人がいる。それだけが唯一確かなことです。けれども芳恵夫人のあの態度は……十年前の探偵助手が犯人である。それだけの確信を持つ何かが、彼女の中にあるのかもしれない」
 政景の意見に、ツバキは考え込みながら顎の縁をなぞった。
「だったら皆で協力して、その人を見つければいいんじゃありませんこと?」
 そう提案したのは紅葉だった。宮田に手当てされて今や平気な様子であるが、たんこぶの出来てしまった頭には保冷剤を懸命に当てている。
「そりゃあまり実のならない方法だと思うな。お嬢ちゃん」
「あら、どうして?」
 苦言を呈したのは柳だ。
「赤し国は実質村とも街ともつかない狭い場所ではあるが、それでもたった一人の人間を探すのにはなかなか骨が折れる。第一その助手とやらが本当にこの街に来ているのかどうかも、微妙なところじゃないか?」
「それでも宍戸様の名前を大々的に使って、大勢の人で協力すれば事実は明らかになりますわ。この街に助手さんがいるかどうかが分かるだけでも、犯人を探す上では大きな一歩ではありませんこと?」
「しかしだなあ」とそれでも柳は渋ってたが、その非実現性には私も理解が及んだ。探す範囲の広さに加え、十年前の助手なら街の実情についてもそれなりの知識が備わっていることだろう。積もりに積もった復讐を果たすなら、かなりの計画性をもってこの街に侵入しているに違いない。
 それに、と同時に私は考えた。もしもその探偵助手が現在の一連の事件に関わっているのなら、街の中に彼の協力者がいないとも限らない。住居に匿い、捜索の目を掻い潜られてしまっても不思議ではないだろう。何せこの街には古くある歴史から、宍戸家を嫌っている者も少なくないのだから。
 ああ、と私は嘆いた。一族に心酔し、私達の車を壊した者もいれば、不思議な衣装を身に纏い、彼らの不幸を心から祝う者もいる。赤し国はなんて複雑な街なのだろう!
 そんななか、気付けば紗夜は見る者を心から喜ばせるような安堵の表情を浮かべていた。
「どうかされましたか」との私の問いにすぐさま彼女はさっと顔を赤らめ、「ごめんなさい! こんな時に笑顔になってしまって……」とその理由を述べる。
「思わず嬉しくなってしまったんです。もしもその助手の方が犯人なら、このお屋敷にいる皆さんのことは疑わなくてもいいんだと思って。誰がそんな恐ろしいことをしたのか、怖がりながら考えなくても大丈夫なんだと思うと、嬉しくて……」
「……」
 しかしツバキは考え込んだまま、何も答えようとはしなかった。
 話も程々に、私達は各自の部屋へ戻ることにした。紅葉の堪えるような欠伸で、時刻のことをようやく思い出したのだ。
 宮田を含めた女性陣とはそのまま廊下で別れた。
「私は菊乃さんの様子を伺ってから、すぐに二階の自室に戻ろうと思います。薬を飲んでお休みになられているとは思いますが……。もしも御用があれば遠慮なく起こして下さい。飲み物や軽食のご用意でも致しますから」
 そういえば昼から何も食べていないことに私は思い至ったが、だからといって腹の空く心境でもなかった。おそらく他の全員も同様だったろう。「ありがとうございます」と告げてから私、柳、政景、そしてツバキは軋む階段を静かに上がっていった。途中、柳が「結局」と政景に向かって口を開いた。
「鍵、見つかってよかったな」
「え……」
 政景は今晩の出来事で疲れていたのか、上手く聞き取れなかったらしい。
「車の鍵だよ、政景君。このままなくしてたら紗夜ちゃん共々、街から出られなくなるところだっただろう?」
「え、ええ。そうですね! ……すみません、ご迷惑と心配をお掛けしてしまって。サクマさんとツバキさんもありがとうございました。獅子夜叉の件以降、私は慌ててばかりでしたね」
「そういえば政景さん、獅子夜叉は結局どうなったんですか?」
「ちゃんと元通りに手入れし直して、ガラスケースにしまっておきました。鍵も芳恵さんにお返ししています。ツバキさんにも一緒にコレクションルームまで来ていただいて……ああそうだ。車の鍵と言えば、後で菊乃さんにもお礼を言わないといけませんね。まさかあんな形で車の鍵が見つかるとは、思ってもみませんでしたが」
「確かに気になるよな。誰かにパクられていた上に車中の物まで使われたとあれば、不安になっちまって仕方がない」 
「政景さん、屋敷に戻られてから車に異常はありませんでしたか。宍戸家の車だけ荒らされていて、紗夜さんも私も見た時は不思議に思ったのですが」
「念入りに中も周囲も見渡しはしました。でも良いことなのか悪いことなのか、他におかしな所はどこにも見受けられず……タイヤも窓ガラスも、パンクさせられたり割られたりといったことはありませんでした。これもツバキさんに立ち会ってくださっていたので、間違いはありません」
「おかしな現象ですね」と短くツバキが言った。「どうして他の三台の車は無事だったのか……」たった今も度重なる疑問に頭をフル回転させて、考えているのだろう。
「俺も安心はしたが、趣味が悪いぜ。事件を盛り立てる演出がしたかったのか知らねえが、中途半端にも程がある」
 柳も不満を述べる。皆、彩史が亡くなった事実については敢えて言及しなかった。ここで話題に上げたとしても場の空気が悪くなるだけだと理解し、気になっていたとしても避けるべきと判断したのだろう。
「盛り立てると言えば、あの奇怪なパレードだってそうですよね」と私は言った。
「あれもかなり奇抜というか、菊乃さん達にとっては非常に許されないものなんですよね。宍戸家で誰かが亡くなる度に、街の人々があんなことをするわけですから」
「まるで人の不幸を喜ぶように、ですよね……」
 政景が同調して頷いた。
「そこまでの憎しみを持って、皆が皆、家の中にあれらの衣装や道具を用意しているのでしょうか? もしそうならば宍戸家の方々が当主の地位におられるのはかなり厳しい状況下と言いますか、赤し国が一つの街として成立しているのが、何とも不思議な気がして……。何も知らずにあの祭りを楽しんでいる人も、中にはいるような気がします」
「一見するとパレードだもんな。もしかするとこれまでの赤し国の歴史は案外、根深くはあるが宍戸家の周辺以外の人間には受け継がれていないのかもしれない」
「柳さんを除いて、ですか」
「おっと! 美しき探偵に劣らず、鋭いことを言うなあ。サクマ君は」
 柳が明るくおどけてみせ、そして私達はそれぞれの部屋へとばらけた。
「それじゃあ皆おやすみ。ツバキ君もあまり根を詰め過ぎるなよ」
「ええ。ありがとうございます」
「おやすみなさい」
 そして午後十一時を過ぎ、めいめいが自室の扉を開いた時だった。
「あ……」
 ここで突然、柳が小さく声を上げた。そして次に彼は、まるで驚いたようにドアノブから手を離したのである。
「どうかされましたか」
 瞬時にツバキが反応し、私や政景も彼の元へ近付いた。柳はまるで虚を突かれたかのように、大きな瞳をさらに見開いている。
「俺の部屋が……荒らされてる」
「⁉︎」
 すかさず私達は部屋の中を覗き込み、明かりのスイッチが押された。真っ先に目の前に飛び込んできたのは、夜風に吹かれた唐草模様のカーテンと部屋中を舞う破かれた頁の数々だった。
 窓は大きく開け放たれている。彼の荷物や図書室から借りた本が床やベッドの上に散乱し、その所々が刃物か何かで切り裂かれた有様となっていた。
「どうして柳さんの部屋が、こんなことに⁉︎」
 私には皆目見当もつかなかった。
「ひとまず誰か、屋敷の人を!」
「いやいい。……大丈夫だサクマ君、政景君も。他の皆に知らせるのは明日にしよう。今日は皆、いろいろなことがあって疲れてるんだ。俺に怪我はないんだし、今言おうが明日の朝言おうが大して変わりはない」
 廊下へと行きかけた私と政景を柳が止めた一方で、ツバキは静かに部屋の中へ入り、ざっと辺りを観察した。
「これは酷い。書物については、もはや修復できそうにないな」
「なんてこった、せっかくの資料が……。他の皆の部屋は大丈夫なのか?」
「私、見てきます」
「サクマ。僕達の部屋と、ついでに階下も同様の騒ぎになっていないか確認してきてくれ」
「分かった」
 そうして政景と私が次々と戻ってきた時、残りの二人は静かに片付けをしていた。
「ツバキ、俺達の部屋と下の階は問題なさそうだった」
「私の部屋も異常はないみたいです。……ですが、気になっていることが」
「ここまでの不審な出来事について、ですか」
 ツバキがそう尋ねると、政景は、「ええ、そうです!」と首を何度も縦に振った。
「宍戸家の車が車上荒らしに遭ったことや私の車から発炎筒が勝手に持ち出されたこと。それに今、柳さんの部屋が荒らされていたことも、もしかすれば同じ誰かがやったことではないかって……」
「柳さん。菊乃さんの騒ぎが起きてから外にいる間、部屋の戸締りはしていなかったんですか」
 勿論していたさ、と柳は答えた。
「扉も窓も両方ともな。君達と昼間墓地で顔を合わせた時も、もちろん鍵を掛けてから出てきていた。いったいどのタイミングで入られたのか……」
「まさかこれも、十年前の探偵助手が?」
「今の時点では何とも言えないね。屋敷の中の誰かという考えも、一概には否定できないけれど……」
 私の疑念にツバキは慎重に答えた。しかし一方で、
「いいや……そいつがやったという可能性だけは、あり得ない」
 被害者の柳自身がそう言って否定したのだ。これには少し突拍子のない部分もあったために、ツバキも不思議に思ったらしい。「どうしてそう思われたのですか」と彼はすかさず尋ねた。
「いや、別に君の選択肢の一つを否定したいわけじゃないんだ。ただ……ただ、おかしいと感じて」
「おかしい……ですか」
 言い淀む柳の歯切れのなさは、どこか珍しく感じられた。
「もしも十年前の出来事を想起させるために犯人がこんなことをしたのなら、標的にする場所は俺の部屋の他にも沢山あっただろ? 図書室や芳恵さんの部屋とかさ」
「確かに……本を狙うなら図書室が一番ですよね。夕方、柳さんはあそこに本を返しに来たわけですし」
 同意して私は頷いた。被害に遭った本が少なくて済んだのは、不幸中の幸いだろう。
「それに恨みの籠もったあの手記だけでも、芳恵さんには大ダメージを与えることができたんだ。ただの客人である俺に、今更こんなせこいことをしても蛇足だし無駄じゃないか? それとも俺がまだ調べ尽くしていないうちに、重要な何かがこの部屋の中にあったのか。……だったら俺はかなり鈍いという話になるな。長年調べてきたって言うのに」
「単に客人に対して嫌がらせがしたかっただけかもしれません。明日はツバキや私ですとか、紗夜さんが狙われたりするかも……」
「紗夜が? それは断じて許せません」
 私の推測に、政景が慌てて首を振った。それでもまあ、とため息混じりに柳は言う。
「俺達への嫌がらせについては、十年前のそいつがやった可能性がゼロだとは言い切れないみたいだな。菊乃ちゃんを探しに行った隙に、宮田さんの目を掻い潜って部屋の中に入られたのが妥当なところか……? ツバキ君、悪いがさっきの発言は忘れてくれ。どうやら俺も今は気が動転していて、自覚はないが客観的な考えができていないらしい」
「ええ、分かりました」
 少し間があったがツバキはこれを了承した。どこか彼らしくない一面はあったが、自分の部屋が突然こんなことになればそれも仕方がないだろうと私も納得した。常に冷静でいられる人間などいない。むしろ私が彼と同じ立場であったなら、もっと酷く慌てていたことだろう。
 そうして私達四人の会話は途切れ、黙々と片付けをする柳を手伝ったあとは各自の部屋へと戻った。その後新たにツバキと事件について話すこともなく就寝の準備を整え、日付が変わり、夜がさらに更けた頃。
 赤し国では再び不穏な気配を思い出させようと、ある事件が起きていた。
 それは宍戸家の屋敷から遠く離れた場所。
 紫帆から電話があった。
「……もしもし」
「もしもし、私だけど」
 寝ぼけ眼のまま、私は遊戯室で紫帆の声を聞いた。ツバキや他の誰かを起こさないためだ。初めて部屋を訪れた時は、彩史と道真が二人並んでゲームをしていて……。
「……」
 それ以上は思い出さないようにした。これまでいろいろなことがありすぎて、紫帆の存在がやけに懐かしい。けれども彼女は一向に用件を伝えようとしなかった。闇上がりであることもそうだが、いつもより元気がない。突然起こされた状況でも分かるほどに、彼女の口を閉ざした様子はどこか不自然だった。
「……どうかしたのか?」
 やや面倒に思いながら私は問いかける。が、突然何の脈絡もなく伝えられたその事実は、私の眠気を瞬時に吹き飛ばした。
「さなちゃんの家が……燃えてなくなっちゃった……」
「え……」
 私はしばらく、何も言えなかった。
「……お前は無事なのか?」
「うん。さなちゃんに言って外で夜風に当たっていたの。そしたらいつの間にか家に火が付けられてたみたいで……。すぐに助けを呼びに走ったんだけど、間に合わなかった……」
 先に起こしに戻ればよかったと紫帆は後悔の言葉を呟いていたが、私は上手くその事実を聞き入れることができなかった。まるでこれ以上の事態を心が拒否しているようだった。彼女は田上医院に次いで二回目の放火に動揺し、思うように動けなかったのだという。
 家は全焼。魔女を匿っていた友人のさなちゃんは焼死した。
「……はは。私、何もかもが恐ろしくてたまらない。そっちはどう? 上手くいってる?」
 乾いた笑いは冷え切っていた。しかし敢えてなのか彼女は明るく振る舞うよう、努めて尋ねていた。
 そこから先の記憶については自信がない。紫帆には彩史の訃報とレンタカーのことを伝えたような気がする。彼女は驚いているのかそうではないのか、よく分からない反応だった。今は感情を表す精神的余裕があまりなかったのかもしれない。彼女は「そう」と一言、呟いただけだった。
 そして通話は静かに切れた。私がこれまで過ごしてきたなかで、それは最も嫌な一日の終わりだった。 
 
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