一日目、その五

文字数 8,562文字

「さあ皆々様。本日は先代、そして私達宍戸家にとって素晴らしき「大成の日」。赤し国の成立記念日でございます。皆様には屋敷にお越しいただき、本当に感謝しております」
 温かな光を灯すシャンデリアに照らされて、当主芳恵はにっこりと微笑んだ。
「ああ、それと! 急遽今夜お泊まり頂くことになったツバキさんにサクマさん。今夜はゆっくりなさってください。偶然とはいえ、こうしてお会いできて嬉しいです。ようこそ、赤し国へ」
 古き良き和洋折衷を思わせる一階のホールにて、当主と使用人を含めたその一族、そして私達客人は一同に集まった。メインである中央の円卓に芳恵、そして彼女の左右に彩史と菊乃、道真が並ぶ。客人達はそんな彼女達に向かい合う形で、めいめいが好きな場所に陣取っていた。ツバキと私はそんな華々しい場所から離れた遥か後方。「気楽にしていてください」と事前に芳恵から言われたものの、余計な気を遣わせないよう壁際にひっそりとしていた。
 それぞれが葡萄酒の注がれたワイングラスを手に取った。未成年の紅葉のみ、中身はオレンジジュースである。そして、私宅で行うには豪華な乾杯の式が始まった。そしてまこと不思議なことに、その場には硬い表情をした六稜島の魔女、堂島紫帆もいた。
「こちらも偶然、近くで姿を見かけたものですから、わざわざ足を運んでお越しいただきました。ごめんなさいね堂島さん。登り坂はきつかったでしょう」
 返答を求められた紫帆は、「まあ、それほどでも……」と何とも茶を濁したような答え方をした。彼女は芳恵に強制されたのか、宍戸家の面々が並ぶ列の端に立たされていて、遠くから見ても緊張しているのが丸分かりだった。
「見たかいサクマ」と隣でツバキがこっそりと耳打ちする。
「彼女、頬がひくついているね。余程嫌で仕方がないみたいだ」
 可哀想にと彼は言うが、その灰色の瞳は笑っている。彼女の危機的状況を、面白可笑しく思っているのだろう。私は真に彼女を憐れみながら、先程隙を見て三人で合流した際の会話を思い出していた。
 場所は私達の客室。宮田が立ち去った後、扉を閉めようとしたところで紫帆がするりと部屋に入り込んできた。「うわっ!」と私が驚いたのは言うまでもない。
「静かにしろって!」
 乱暴な口調で、紫帆は私に注意した。彼女は何故か感情的になると、たまに口調が荒々しくなる。薄手のシャツにタイトスカート姿の彼女だが、もしかすれば元々は男勝りな性格なのかもしれなかった。
 一方でツバキは至って冷静に、むしろ揶揄うように紫帆に笑いかけた。
「お説教の時間かい? 荷造りも全くしていない僕らに対して」
「隙を見て逃げ出せるかと思ったら、たまたまドアの隙間から姿が見えただけ。……どうせ外に出ても街の人が見てるだろうし、諦めた方がいいかな」
 そう言って紫帆は後ろ手で扉を閉めた。ついでに鍵まで閉めて。
「とにかく状況を教えてくれよ。特に僕達が知りたいのは、この街と君を巡る確執さ。勿論、なるべく手短にね」
「分かってる。私だって、今こうして集まっているのを誰かに気付かれるのはまずいもの」
 そうして彼女は説明し始めた。
「……たぶんもう分かっているとは思うけど、ここの人間は私のことをよく思ってない」
「それはまた、どうして」
 私が尋ねるとしばしの躊躇いの後、「……開発のため」という答えが返ってきた。
「この辺りって、他の街に比べて閉鎖的でしょ。森の多い田舎だし、建物は皆古いし……。それに屋敷に来るまでに分かったと思うけど、ここって酷く入り組んでて、他の地域に出る道も酷く限られてる。私達が迷い込んだ西方面の辺りと、反対の東方面しかない」
 夕方に役場で見かけた地図を思い浮かべてみた。屋敷との位置関係も合わせて推測してみるに、この部屋の窓から見下ろせたあのトンネルの先が、西方面ということになる。
「だから私は一度、この街の周囲を囲む森やら何やらを取っ払おうと考えたの。そうすれば凝り固まった空気の交換もできるし、古くさくて気味の悪い風習も一新できる。生活の利便性も改善できるしね」
「気味の悪い風習?」
「要するに「赤し国の解体計画」、というわけかい」
「まあそういうこと。観光ができるような、魅力ある街にしたくって」
 そんな話の内容を、私はあまり理解しがたく思っていた。訪れたばかりの街をまだ知らないにせよ、全体の六稜島でさえ辺境の島なのだ。それこそ訪れる者のいない閉鎖的な空間のため、街を一つ観光地として開発したとしても、島全体の活気の向上に繋がるとは到底考えられなかった。要は行き当たりばったりな印象である。
 けれども紫帆はその計画に、やけに力を入れているらしい。「全ては島の皆のためなの」と、紫帆は堂々と言った。
「しかし、当の人々は大反対ってわけだ」
「そう。それで険悪ってわけ。その代表が、古くから街の実権を握る宍戸家なの」
「なるほど、そういうことか」
「気持ちは分からなくもないけどね」とツバキが言った。
「暮らしの利便性や快適さを求める人もいれば、親しみ慣れた環境の変化を極端に嫌う人もいる。この街では後者が多数派だったということだね。僕とは気が合いそうだ」
「おい、しれっと嘘をつくな」
 これには即座に異を唱えた。
「常に何事も効率性や合理性を求めるくせに」
「それは物事に煩わしさや改善性があるからだよ、サクマ。例えば、君のまどろっこしい試作小説を読んであげたり、頑固で根暗な性格に付き合ってあげたりするのもそれにあたる。もしも僕の周囲が快適な状況だったなら、不必要な努力はしないということだよ」
「なんだよ、俺が不愉快な状況要因の一つだって言いたいのか?」
「君が早く作家の夢を叶えてくれれば、単純に僕が自由に過ごせる時間を増やせるじゃないか」
 まさか私への文句が出てくるとは思わず、当然これには虚を突かれた。確かに小説の添削は彼の職業柄、多少益になるアドバイスをくれるのではないかという期待と、隣の部屋だから頼みやすいという点で頼ってしまっているところがある。
 そして今度は彼の口から違う文句が出てきた。
「どうせ君だって似たことを思っているんだろ。お喋りな僕に出会いさえしなければ、もっとまともな日々を送ることができた。大切な友達を探す時間だって沢山取れた筈なのに、って」
 ここで私が黙って彼の言うことを受け入れていればいいのだが、生憎とそのような器の広さを私は持っていなかった。むしろ小さい頃から喧嘩っ早いところがある。
「そんな言い方はないだろ。お喋りを自認しているのは感心するが、常々挑発的なところと自己中心的なところも反省しろよ」
「注文の多い男だな」
 面倒そうに彼は両肩を竦めた。
「反対に君は、下手に面倒事に首を突っ込む点を反省してくれよ。普段からどれほど僕が救いの手を出してあげていることか」
「そんな風に思っているなら、今後は助けてくれなくて結構だ。自分で何とかしてやる!」
「それはありがたいね。いろいろな手間が省けるよ」
「こ、この……!」
 相変わらず飄々として子憎たらしい男である。
「はいはい、口喧嘩はそこまでにして」と、そこで私達は紫帆に制された。
「要するに私はこの街にとって、郷里を破壊する文字通りの「魔女」ってわけ。だから沢山の人に追いかけられもしたし、石やら木の枝やらを投げられたりもしてたの。だからさっきまで「逃げていた」。ここまでは分かった?
 それで捕まるって時に助けてくれたのが、この宍戸の人だったの。歳上の大柄な男だったけど……」
 背格好から推測してみるに、叔父の彩史だろうか。
「とにかく今のところ、どういう風の吹き回しで私を助けてくれたのか、よく分からないの」
「何か交渉がしたくて、君を捕まえたかったとか?」
「それも全くない訳じゃない。この後何をされたものか……。どういう思惑があるにせよ、屋敷に入れられた今の私は大人しくしているしかないの」
 そして最後に応接室へ戻る直前、紫帆は私達に改めて念を押した。
「今日はもう遅いから、この屋敷に世話になっても構わない。でもいい? 明日になったら即刻ここを出ること。何でもいいから適当に、理由をつけてでもね。私はいつまで足止めされるか分からないから、別の交通手段で繁華街の方面へ先に戻っててもいい。とにかく今夜は私と顔を合わせても、初対面のフリをしてること!」
「とりあえずは分かった」
「はいはい」
「あと、不服だけど私のことを名前で呼ぶのも禁止だからね。知り合いだってことがばれるから。……はあ、本当に嫌だなあ。この屋敷にいるの」
 そうして紫帆は周囲に目撃されないように部屋を出て行った。何だか怪しい雲行きになってきたなと隣を見てみれば、意外にもツバキは真剣な表情で何か考え込んでいた。どうかしたのかと尋ねてみたが、
「……いいや、何でもないさ」
 けれどもその時、ツバキの視線が閉じられた扉に釘付けになっていたのが、その時の私には印象的だった。

 そして時は、再び現在の大ホールへと戻る。
 乾杯の挨拶を終えれば後は自由のようで、暫し歓談の場となっていた。並べられた大小のテーブルにはオードブルの他に、和食や洋食、中華まで取り揃えられている。豪華な歓迎は食事だけに留まらず、壁面にはきめ細やかなステンドグラスが色を添え、そして上を見上げれば、格天井の空間から白菊の花の絵が爛漫に咲いていた。
「さあ皆様。今夜の素晴らしい出会いの喜びを分かち合いましょう。これも全ては、赤し国及び宍戸家の今後の繁栄に繋がっていくのです。今はまだ機が熟しておりませんが、いつかは正真正銘、この宍戸の名こそが、文字通りの「主」として認められる日が来るのです。これまで私達が傷付き、苦しまれてきた長い時も終わりを迎えることでしょう。次代の継承に伴って」
 現在の時刻は午後七時。応接室で芳恵にもてなされた際に紅茶を口にした程度だったため、私の胃袋は空腹を訴えていた。そしてツバキはと隣を見れば、既に彼は中央のテーブルで彩史や道真達と、挨拶を交わしているではないか。
 先程菊乃達に引っ張られ、ろくな会話が出来なかったことを謝っているのだろうか。しかし流石と言うべきか、ツバキは一瞬で彼らの懐に入り込めたらしく、すぐに打ち解けた雰囲気が会話の中に漂っていた。
「いやあ今日は忙しなくて申し訳ないですなあ、うん。ヨシちゃんは思い立ったらすぐ行動する人やから。どうぞ若者は遠慮なく召し上がって下さい」
「ありがとうございます。こんなにも沢山のお食事があると、人数が多いとはいえ一晩で食べ尽くすのは難しそうですね」
「ははは、そりゃすぐに腹いっぱいになるよな。まあ好きなだけ食べてくれれば大丈夫さ」
 ツバキは爽やかに笑っていたが、それは全くの嘘だ。彼はひょろりと痩せている割にかなりの健啖家である。日常では本気を出すと、平均である私の三倍は容易く平らげてみせていた。見目麗しい男が平気な顔で大食いを披露するのは異様な光景で、過去に周りから好奇の目で見られてからは食事量をセーブしている。当時同伴していた私までとばっちりを食らったのは、記憶に新しかった。
「また気障ったらしく演じてるよ」と、そんな彼のことを遠くから苦笑して眺めていると、私は不意に視線を感じた。グラスを片手に顔を向けてみると、規律よく並べられた高価な革張りのソファに腰掛けて、女性がこちらに微笑みかけていた。
 深窓の令嬢を思わせるような、軽くウェーブしたセミロングの髪がよく似合っていた。優しく彼女が首を傾げた動きに合わせて、ふわりと左右に揺れている。
 先に私が挨拶をすると、可愛らしい声で「初めまして」と返答があった。細身の割にふっくらとした頬は、周りに愛されて育った証拠だろう。屋敷を訪れてから、まだ出会ったことのない女性だった。
 魅入られるように私がソファまで歩み寄ると、彼女の隣からも「こんばんは」と声が掛かった。今まで気付かなかったがもう一人、男性もソファに座っていた。やや垂れ目で、人当たりの良さそうな顔をしている。
 男が先に口を開いた。
「あなたも今日は、ここにお泊まりになるんですよね」
「ええ。急遽お世話になることになりまして……」
 緊張で変な言葉遣いになった気がする。どことなく優しい雰囲気が似ているから、二人は兄妹か何かだろうか。そんなことを思いながら私が名乗ると、二人は笑顔で自分達の素性を明かした。
「秋津政景と申します。駆け出しですが古物商をしていて、今日は仕事兼プライベートで芳恵さんに呼ばれました」
 彼は三十歳という若さでそれまで勤めていた商社を辞職し、転身したのだという。なかなか思い切った人生の舵の切り方だ。
「そしてこっちが、四つ下の私の妹で」
「紗夜と言います。兄は以前もここに来たことがあるんですが、立派で綺麗な建物だし、赤し国も長閑でゆったりとした場所だから、気分転換にどうだって」
 彼女は普段花屋で働いており、職場は繁華街にあるのだという。ならば一度は歩道かどこかですれ違ったことがあるのかもしれないが、互いに覚えはなかった。
「ところでサクマさんは、ご職業は何を?」
「ええと、その、フリーターです。……まだこの島に来たばかりで」
 政景に尋ねられた私は、正直なことを口にした。「なるほど」と彼も他の島民と同じく、島に来た理由は尋ねてこない。
「芳恵さんから詳しく伺いましたよ。ご友人の方と旅行中、レンタカーがエンストを起こしたのだそうですね」
「友人ではありません」とツバキが側にいれば否定したことだろう。実際の彼は芳恵、菊乃、紅葉達女性陣の輪の中にいた。やはり並外れて恵まれた容姿をしているだけあって、注目の的のようである。
「この街に来たのは仕方なくだとは思うのですが、出て行くまでにどうぞ、一度でもコレクションルームを覗いてみてください。貴重な物がいっぱいあるんですよ」
 先程ツバキが言っていた「鑑定家」とはきっと、彼のことなのだろう。
「機会があるうちに見ておきます。その、あまり学はないですが……」
「大丈夫。肝心なのは熟練された知識ではなく、「綺麗だ」と思う直感ですよ」
 政景は誠実に私の目を見て言った。
「審美眼を鍛えたプロの人間が集まってその魅力を語ったところで、本来の感性というものは人それぞれですから。……もし声を掛けて頂けたら、その品の基本的な情報だけでもお教え致しますよ。私も紗夜も、そういうのは苦でない性格ですから。……なあ」
 同意を求める政景に、「ええ」と妹は頷いた。「ありがとうございます」と礼を言うと、慌てたように紗夜は狼狽えたが、その姿が何とも愛らしい。
「兄様と違って、私はお花しか教えられませんけど……。その、ここの屋敷の裏側にあるお庭もおすすめです。それぞれの花同士で生長を阻害しないよう、見事に整えられていて……」
 すると。
 植物好きの紗夜の話を聞いているうち、私の脳裏に再びあの少女が蘇った。
 ……声は聴こえない。今度は姿を象って現れたが、それもどこか油彩画のように朧気である。目の前の紗夜と違い、どこか冷静な雰囲気を纏っていたような……。
 そんな幻想じみた推測を、私はすぐさま振り払った。会話の途中に考え事などあってはならないことだ。何か重要な内容であるならまだしも、その映像が表す正体すらも自分で掴みきれていないというのに。
 不自然なほど長く動作を止めていたかと思ったが、ほんの一瞬のことだったようだ。紗夜は言葉の締めくくりに、柔らかな笑顔を見せてくれた。
「今夜は暗くて見えないと思いますが、お日様が昇った時にどうぞ」
「え、ええ。是非」
 何とかそう答えると、今度は右側の丸テーブルの向こうから「サクマ君! お代わりはいるかい」と柳から声が掛かった。彼は宮田からちょうど葡萄酒をグラスに注いでもらっている最中で、私の空いたグラスを目にして気にかけてくれたのだろう。酒はそこまで得意ではなかったが、舌触りも良く飲みやすかったのでお言葉に甘えることにした。
「すみません」と秋津兄妹に一言断ってからその場を離れ、宮田に葡萄酒を注いでもらう。
「それにしても驚いたね。まさかこんなに人が集まるとは」
「すみません。急に乱入してきて」
「悪い意味で言ったんじゃないさ。予想していたより賑やかで良いなあという話だよ」
「私も同感です」と、葡萄酒を注ぎ終えて宮田がちらと遠くにいる紫帆を伺った。
「けれども、やっぱり特別なんですかね。その……あそこにいらっしゃる方が」
「六稜島の魔女……。これまでいろんな所をふらふらしてきたけど、直接お目にかかるのは初めてだな。サクマ君は?」
「私も……、そうですね。初めてです」
 上手く取り繕えているだろうか。元演出家のツバキと違い、私には演じることで人を誤魔化す自信がなく、宮田の視線の先を追うことで精一杯だ。
 紫帆の手元のグラスはまだ満杯のままである。まだ夕食を食べていないはずだが、目の前に広がる食事の数々も、喉を通らない状態なのだろう。
「その……お二人は魔女について、どんな印象をお持ちですか?」
 ちょうど紫帆の話題になったため、それとなく尋ねてみた。この屋敷内での自分の立場を充分に弁えるためでもある。
 すると柳は猫のように大きな目を瞬きさせて、
「サクマ君。あんまりその質問は、宍戸家の人にしないほうがいいぜ。悪気はなくとも君の印象が下がっちまう」
 と言ってのけた。またもや心を見透かされたような気分である。
「そうだな。俺個人としてはまあ別に……敵意も好意も持っちゃいないよ。そういえば、魔女に好かれると色々と良い事があるって聞いたことがあるな。貧乏人にとっちゃ、そっちの方は興味関心がある」
「柳さん、それ本当ですか? 嘘っぽく聞こえるなあ」
「魔女の噂が? それとも俺が?」
「どっちもです」
「あはは、こりゃ参った」
 大して困ってなさそうな様子で、柳は続けて言った。
「でもね宮田さん。少なくとも俺は嘘はついてないよ。ろくな定職についていないから、金銭的に結構困っているんだ」
 そして彼はからからと笑ったが、真相のほどはよく分からなかった。対する宮田は使用人という立場であるからか、魔女に対して半ば否定的である。
「常々奥様から注意はされておりました。「この国で魔女のことを口にしてはいけない」と。以前から奥様と彩史様は魔女と面識があって、街の在り方を巡って何度も険悪になったことがあるそうです。それなのにどうして……。私、今の状況が余計に不思議でたまらなくて」
「宮田さんは使用人らしく堂々としていればいいと思うよ」
 励ますようにして柳が言った。「変に嗅ぎ回ってクビを切られたら堪らないからね。そういうのは身の軽い客人に任せた方がいい」
 そして魔女を遠くから一瞥し、「な? サクマ君」とまさかの同意を求められた。訳も分からぬままに「そうですね」と返すと、
「だったら後は任せた。ほら、噂をすれば彼女、君を呼んでいるみたいだ」と言って柳は彩史の元へ。そして宮田は用件があったのか、先程の秋津兄妹がいるソファへそれぞれ向かって行ってしまった。
 私は葡萄酒を一口飲むと、何か言いたげな様子で立ち尽くしていた紫帆の元へ近付いた。先程まで菊乃や紅葉と会話をしていたようだが、今は一人で壁際の隅にひっそりとしている。
 付近にはマホガニー製のマントルピースと大きなコートがすっぽり入るほどのクローゼットが備えられていた。冬の季節が訪れれば、利用する機会も増えるのだろうか。
「ごきげんよう。見知らぬ島民さん」
 私は先程交わした約束の通り、彼女に合わせた。
「初めまして。……周りを警戒しすぎて、気疲れしてないか?」
「しているに決まっているよ。私はこの街の嫌われ者。不幸な目に遭えばきっと、大勢の人が手を叩いて喜ぶはずだよ。ここの団結力って、結構強いから」
「そうなのか?」
「うん、どうしてなのか不思議なくらい。内情が掴みにくいって言うのかな。余所者には特に厳しいところがあるの。私はそれを変えたくて、赤し国の解体を目論んでいる。分かった?」
「ああ、一応は」
「一応、ね。正直でよろしい。それより、ツバキは?」
「何処にいるか」というより、「誰といるのか」を聞きたいのだろう。辺りを見渡しながら、私は小声で答えた。
「あそこだ。ホールの中央。芳恵夫人と歓談してる」
「そっか、タイミングが悪かったな。……ねえサクマ、後はよろしくね。ツバキにもそう言っといて。嫌な顔するだろうけど」
「自分で言いに行けばいいだろ。全く喋っちゃいけないって訳じゃないんだから。しかも「よろしく」って、どういうことだよ」
 軽く笑った私だったが、返事はない。不思議に思って「紫帆?」と声を掛けると、彼女は溢れたかのように小さく言った。
「私、ここまでかも」
「え?」
 訳の分からないまま、私は胸騒ぎを覚えた。まるでゲームに負けたかのような言い方だが、どうにも目の前の彼女の様子がおかしい。
 紫帆は苦しそうに、自身の胸元を押さえて呼吸を繰り返していた。
「急にどうしたんだよ。……何だか顔色が悪くないか?」
 そして次の途端、
 彼女は突然咳き込むようにして、その場に倒れたのだ。
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