二日目、その二

文字数 5,415文字

「凶器がまだ見つかっていない点について、心当たりがあるか聞かなくてよかったのか?」
「後にするよ。柳さんと政景さんから手掛かりになりそうな箇所は教えてもらったし、事件が起きたばかりで忙しくしているレディに、そんなことを訊くのは不粋で礼節に欠けるからね。現時点で調べられる場所を直接この目で確かめてからにしたい」
 訃報連絡等、今の宍戸家にはすべきことが盛り沢山だ。彼女らの様子が落ち着いてから、最低でも屋敷にある共通の部屋は全て覗いてみたいとツバキは言葉を続けた。赤木道真の死体発見からまだ十二時間も経っていない、午前八時のことである。
「それにしても性急な事件だと思わないかい、サクマ? 魔女が倒れてから僕達が屋敷を飛び出すまで、間違いなく彼は生きていたんだ。僕達が最後に見た彼が、顔のそっくりな偽者だったなんてお得意の妄想は口にしないでくれよ。あれは紛れもなく赤木道真本人だった」
「魔女の殺害未遂についても俺達は真相を解明しないといけないんだよな。いったいあの時、何があったんだ?」
「屋敷の中は今、赤木道真殺害の方に意識が向いているようだけどね。どちらにしても確認しなければならないことは山程ある。一つ一つ詳細に挙げ始めたら、キリがないほどにね」
 そして荘厳な門扉から一旦外に出ようとした手前で、敷地内に駐車された車が数台目に止まった。私達が来た際は日が傾きかけていたので気付かなかったが、昨日目に入った池や鳳仙花の花壇とは反対側、つまりは屋敷の西側に駐車場があったらしい。
 数は計四台。その中には昨日お世話になった柳のものもあった。
「一番大きなものは、やはり宍戸家の自家用車なのかな。……本来なら、後で宮田さんに聞いてみるべきだと思うけど」
 そう言っておきながら、ツバキはしばらく通り過ぎようとはしなかった。私も同様だった。事件解決を命じられた手前、車の中の様子や荷物などが気にならないわけがないだろう。気付けば私は彼よりも先に、歩を進めていた。
「物騒なことを考えるなあ、サクマ君。覗きの趣味はいけないよ」
「変な言い方をするな! 重要な証拠を見つけるためなら仕方がないだろ」
「お前だって本当は調べたくてたまらないくせに」と、私は澄まし顔の彼に文句を言った。
「否定はしないけどね。でももし僕が犯人なら、自分の車の中に重要な証拠なんて残さないと思うけど」
「だったら変な物を置いていない人間が怪しく見えるな。どっちにしろ車の窓から覗いて判断するのが賢明だ」
「今日の君は一段と頑固かつ好奇心旺盛だね。後で誰かに見つかっても知らないぜ」
「そうなる前に確認したいことがあるなら色々と見ておけよ。後で俺に聞いてきても答えてやらないからな」
 そしてようやくツバキも私の元へ近付いてきた。最初から彼も気にかけていたため、私の意見に折れるのは必然のことだったが、その珍しさから私は若干の満足感を抱いていた。
「何をにやにやしているんだか……なんだ。どれも余程古い車種じゃないんだね」
「それがお前の中で何か重要なのか?」
「勿論だよ。強引に扉をこじ開けられたかもしれないのに……」
「お前の方が物騒じゃないか!」
「まったく……」とハラハラさせられながら、それ以降の私達は無言で周囲に気を配りつつ、外から車の中を確かめた。
 そして以下はその日の夜、内容を追記した上で私がまとめた記録である。

「駐車場に停められた車、及び車内の気になった物について」※表門により近い順で表記。
 秋津政景 黒の軽自動車。発炎筒や三角表示板、またそれ以外にも災害時用の手回し式充電器などが律儀に備えられてあった。紗夜の持ち物だろうか、花束もいくつかある。
 赤木道真 白のワゴンカー。窓は全てカーテンが引かれており、窺い知れず。運転席等に違和感はなし。
 柳暁郎 銀色の小型乗用車(初めて見たときにヴィッツと判別がついたのは、昔私の両親が乗っていたからだ)。後部座席の隅には濡れた新聞紙と軍手、小さなポリ袋が置かれているのを発見。ポリ袋の中には、何故だか濡れた雑草が僅かに入っていた。
 宍戸家専用車 赤の大型乗用車で、主に大山彩史と宍戸菊乃が運転。日曜大工をよく行うのか、持ち運び椅子やロープの他に工具セットが置かれていた。

 そして私達は裏門から敷地の外へと出た。普段は車を出す際に開けるのだが、墓地の様子を見てから外へ向かうにはこちらの方が早いらしい。ツバキは歩いている間、度々隠しはしたものの、小さく欠伸を繰り返していた。昨夜から様々なことに巻き込まれた疲れもあるだろうが、元来の彼の気持ちとして、やはり真相追求に勤しむのが億劫なのだろう。
「魔女も厄介なことに巻き込まれたものだよ。もっとも、面倒なことを一番多く頼まれているのは、この僕だけどね」
 ツバキは私の隣で、あからさまな溜息をついた。
「やれやれ……誰か犯人を奇跡的に目撃してはいないだろうか。早くあの小さいけど住み心地のいいアパートに帰りたいよ」
「文句を言うなよ。今のところ、芳恵夫人に納得してもらった上でこの街を出るには、事件を解決するしかないんだから」
「ひっつき虫の君は簡単に言ってみせるけどねえ」
 誰がひっつき虫だ。
「無理難題に決まっているだろう。僕にできることは精々、演出家としての脚本解釈や演技指導といったところだよ」
「はあ、面倒臭い面倒臭い」と、ツバキは私以外の人間が辺りにいないことを良いことに不満を口々に出していた。この気分屋をどうにか正しい方向に導くためにも、私がしっかりとしなければ。と言っても私もツバキと同様、いや彼よりもできることは少ないが。
 上空は昨夜の荒れ模様からある程度回復し、覆い被さる勢いの鬱蒼とした木々や薄く引き伸ばされた雲から、心許ないが青空が僅かに顔を出していた。空一面灰色一色であるよりは、随分とマシである。けれども曇りという天候は相変わらずで昨夜からさらに湿度も加わり、爽快感は全く感じられなかった。
 朝の小鳥の囀りが聴こえてくるが、遠くにいるのか見渡しても姿を見つけられない。加えて今は昨夜の雨の影響か、気温が低下して若干の寒気まで感じられる。関連付いてはいないと頭では分かっているけれども、どれもまるで自然が「衰退」や「死」を表現しているかのようだった。そんな中で私は、生きるための新鮮な空気を求めるかのように、歩きながら深呼吸を繰り返した。
「あの塔も宍戸家に代々から伝わる建物なんだろうね。ねえサクマ、気分転換に近くで見てみようじゃないか」
 ツバキの明るく呑気な声で、私は閉塞感から意識を逸らすことができた。いつの間にか石畳の並木道から小高い丘に出ていて、少し坂を登っただけでこんなに開けた光景になるのかと、私は目を見張った。
「見晴らしがいいな……。だけどいいのか? さっさと墓地を見ずに関係のない場所に向かって」
「関係がないかどうかは僕が決めるさ。実はこういうところに、結末を決める程の大きな手掛かりが隠されているかもしれないぜ? 天まで届く塔……いかにも曰くありげじゃないか」
「そんなに大袈裟な表現をするのはお前ぐらいだよ」
「まあとにかく今は気楽にいこうよ。気楽にさ」
 果たして本格的な捜査開始初日が、このような始まり方で大丈夫なのだろうか。
 含み笑いを浮かべるツバキを呆れるように眺めつつ、まずは塔を一定の距離から一瞥してみた。
 辺りの草花は雑草程度しか生えておらず、それも使用人の宮田によって定期的に刈り取りが行われているのか、高さは足首にも及ばなかった。何とも閑散とした雰囲気が感じられ、その中でぽつんと建てられた土色の塔は、まるで時代から取り残されたようである。塔そのものの壁面には唐草が生い茂り、中間部分までは所々にヒビや錆が見られる。そしてそれ以降は塔の頂点部分に向かって、まるで伸びていくかのように黒々とした模様が描かれていた。文字が書き記されているのか、はたまた天に登る龍が描かれているのか。審美眼に自信のない私には判断が付かなかったが、幼少期であればきっと冒険心をくすぐられ、無謀にも壁をよじ登ろうとしたことだろう。それほどの幻想的な趣が、この塔には感じられた。
 ストールを靡かせて先を行くツバキの後を追おうとした時、ふと私は背後からも足音がゆっくりと近付いてきたことに気付いた。宮田だろうかと振り返ってみたが彼女ではなく、現れたのは秋津紗夜だった。
「おはようございます。サクマさん」
「おはようございます」
「今朝は夜中のように雨が降らなくてよかったですね。もう少しお日さまの光があれば、草花も喜ぶと思ったんですけど」
 そう声を掛けてきた紗夜の表情は、昨日よりもやや曇っている。それも当然だろう。何せ旅行として訪れた場所で、人が一人亡くなったのだから。
「お一人ですか」と私が尋ねると、「いいえ」と彼女は首を左右に振った。
「兄様とここで待ち合わせしているんです。私が普段から朝の準備が遅いので、兄様を待たせるのも申し訳ないと思って」
「そうなんですね。でも政景さん、昨夜初めて会っただけでも優しそうな印象を受けましたよ。そんなに怒ることもないんじゃないですか」
「ありがとうございます。そういうサクマさんも、優しい方なんですね……」
 紗夜は素直に感謝していたが、私は真正面からそんなことを言われて思わず照れてしまいそうだった。視線を逸らそうとしたところで、当の政景が「こんにちは」と挨拶をしながらこちらへ近付いてきた。紗夜の服装は白のワンピースに薄手のピンクのカーディガン。対する政景は濃紺のツインニットだった。彼女の装いは見事に愛らしさに溢れており、彼も清潔感のある引き締まった印象である。隣に並んだ二人の関係を知らなければ、誰もが二人を「兄妹」ではなく「恋人同士」と思ったことだろう。
 爽やかな政景に私も挨拶を返していると、ツバキがようやく私達に気付きこちらへと戻ってきた。「お散歩ですか」と彼が尋ねると、「ええ」と政景が答えた。
「せっかく紗夜にこの街に来てもらったのに、あんなことが起こりましたからね……。彼女に申し訳なくて、少しでも心の傷を癒せる場所をと」
「兄様ったら、私のことになると心配性になるんです。勿論今も道真さんのことを思うと悲しいですし、昨夜もショックは受けましたけど……。でも、今は全然大丈夫です」
「紗夜……」
「兄様は少し大袈裟だわ。私、とっくに成人しているんだから」
 そう言って紗夜は頬を少し膨らませた。普段から妹想いの兄に子ども扱いされているのだろうか。
「僕にもあなたのような可憐な妹がいたら、常に心配していたと思いますよ」
 優しく微笑んでツバキが言った。こういう態度を取る時の彼の自然さは、他に敵なしである。すると紗夜は戸惑いながらこちらに視線を向けた。
「そういうものなのでしょうか。サクマさんもそう思われますか?」
「え? ああ、いえ、私は末っ子でしたので、よく分からなくて……」
 対して私は突然質問を振られただけでこの焦りようだ。普段からのコミュニケーション能力の薄弱さが浮き彫りになってしまう。
「でしたら私と同じですね! よかったあ」
 けれども紗夜は温かな笑顔をこちらに浮かべてくれた。何が「よかった」のか私には理解できなかったが、喜んでくれたのならまあ、構わないのだろう。
「紗夜、俺が悪かったよ。でも、お前の心が癒されてほしいと思っているのは本心なんだ。どうかそれだけは分かってほしい」
「兄様、それは……ええ、分かっているわ。分かっているのよ。だからそんな意地悪なことは言わないで」
「ごめん」
「もう……」
 政景がそのように謝った後も、紗夜は終始悲しい表情を浮かべたままだった。そして膨れっ面になった彼女は、兄から離れて塔の入り口近くへと歩いていく。花屋の娘らしく、気になる植物を見つけたらしい。
 しばらく間が空いたためか、「一つ気になったのですが」とツバキが口を開いた。
「紗夜さんが赤し国に来られたのには、何か深刻な理由がおありなんですか? 差し支えがなければで構わないのですが……」
 プライベートな質問のため断られるのではと思ったが、政景はこれに対して穏やかな口調で応えてくれた。
「大丈夫ですよ。お二人はこれまで島で起こった事件を解決なされてきたそうですね。あまり存じ上げなくて、申し訳ありません」
「いえ、私はいつも偶然、その場にいたことが多かっただけで……」
「僕も似たようなものなので、あまり期待はなさらないで下さい」
「いえいえ。……事件に巻き込まれても、あなた方は上手くやれてきている。こうして今も健康に過ごしておられるのが、その証明でしょう。事実がどうであれ、真実を解き明かすことができる運命なんだ」
「運命」という言葉を聞いた途端、ツバキが一瞬眉を上げたのが見えた。自身が魔女の手により、理不尽にも一度きりしかない「死」からの復活を遂げたため、抽象的なその言葉は多少不愉快だったのだろう。しかし悪気のない政景の様子に、それ以上の感情は表に出さなかった。
「実はあいつも……紗夜にもそのような運命じみたものがあるんです。いえ、あなた方のようなものとは違って「呪い」とでも言うべきなのかな。可哀想な奴なんです、妹は」
「呪い……」
 私がよくも分からずにそう呟くと、政景は悲しく微笑んで言った。
「そう。愛する人を必ず失う呪いです」
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