二日目、その十四

文字数 4,808文字

ツバキと別れて図書室の扉を閉めてから、すぐに柳は私に尋ねてきた。
「なあサクマ君。もしかしてあいつには視えてんのか?」
「ツバキですか? 「視えてる」って言うのは……」
 そこまで私が言いかけたが、しかし「いやいい」と柳は手を振って打ち消した。
「何でもない。道真君のことがあった手前、オカルトな話はやめておこう。……端的に言うとだな。あの部屋でもかつて、ボヤ騒ぎと共に人が一人亡くなっているんだ」
「まさか、また宍戸家の人ですか」
「いや、とある探偵だ。すでに誰かから聞いているか?」
「それならつい先程、大山さんが話してくださいました。芳恵さんの旦那さんが亡くなられたのを調べるために、助手と二人で来たって……」
 私は驚きを隠せなかった。
「ああ、その探偵のことだよ。珍しいな、康三さんがあの時のことを誰かに説明するだなんて」
「親しい仲なんですか?」
 坊主の名前が康三であることを、この時初めて私は知った。「泊まった時にちょくちょく顔を合わせてるよ」と柳は答える。
「あまり言葉を交わすことはないんだけどな。もしかすればサクマ君達に二人の姿を重ねたのかもしれない」
「芳恵さんの夫が自殺した後、期間を置かずにその事件も発生したんですか」
「ああそうだ。表向きには事故の扱いになっているが、実は口封じに焼き殺されたんじゃないかって噂も……いやいや駄目だ。オカルトよりも不謹慎な話だなコレは」
 廊下を進み、柳が遊戯室の扉を開けた。ふと背後から視線を感じた私がそっと後ろを振り返ると、階段の入り口に彩史の姿があった。義兄と先程まであんな話をしていた影響か、やや丸く猫背になった姿はどこか弱々しい。
 暫く彼は私と柳の二人をじっと見つめていた。どこか粘っこく、振り払いたくなりつつも気になってしまうような怪しさだ。けれどもすぐに彩史は私達から顔を逸らすと、暗き口を開けた階段の先へ、どしどしと足音を立てながら降りて行った。
 それを見て、「気味悪がられているんだろうな」と柳が溢した。
「あの視線は君に向けられたものじゃないから、サクマ君は安心してくれ」
「安心しろと言われても……。柳さんが宍戸家の方々に無礼を働いているとは思えないのですが」
「優しく言ってくれるねえ。他所に土足で踏み込んで好き勝手調べるような、風変わりな人間に対してもさ」
 ハハと軽く笑う姿は、珍しく自虐的にも感じられた。それと同時に私は墓地を一足先に後にした自らを追いかけてきた時の、ツバキの言葉を思い起こした。
「……好きなことに熱中したくなる気持ちというものはよく分かります。私も、その、小説を書くのを趣味にしているんですが……。今は生き甲斐になっていたとしても、その時間はきっと有限だと思うんです。いつかは興味を失ってしまうかもしれないし、あるいは道半ばで突然、人生を断たれることだってあるかもしれない。だから何者も、他人の進む道に口を出すことなどできないと思うんです。だからやりたいと感じたことは、同じ自分自身が素直に認めて受け入れて、真剣に取り組んだ方が良いというか。その、素人の考えではあるんですけど……。あ、勿論! 周りの人に迷惑をかけるようなことなら、それは他者に介入されても仕方がありません。でも柳さんはきっと、そんな人ではないと私は思いますし……」
 何を言いたいのか、何を伝えたいのか。自分でもよく分からない。けれども柳が「とても身に沁みるよ」と私の言葉を受け入れてくれた時、私は心の底から安堵の表情を浮かべた。
「周りなんて気にしなくていいし、君自身は俺に悪意があろうとなかろうと、さして気にしないって言いたいんだろう? 苦手ながらに必死にさ。ありがとう。そりゃ君のことを大切にしたくなるわけだ」
「大切にする? 誰がですか」
「さあ?」
 とぼけながらもどこか満足そうに柳は微笑んだ。
「言えば怒られるだろうから、俺の口からは言えないな」
 そして開かれた扉に私も続くと、確かにそこには彼の言ったとおり菊乃と紅葉の姿があった。

 かわい子ちゃんかわい子ちゃん
 お顔の綺麗なかわい子ちゃん
 赤い輪の中にさあおいで

 よきよき子 生むために
 御国のために売られてく
 ぶすのお花はお断り

 よござんしょよござんしょ
 洋梨一粒一人きり
 蓋してポイしてまた明日

 菊乃の弾くピアノは、確かに童心に帰らせるような愉快で長閑なメロディーを奏でていた。お団子の髪型はそのままに、衣服の色は昨日と変わり、ボルドーのワンピースに黒いリボンを腰に巻いている。もしかすればその色には、兄を弔う意味が込められているのかもしれない。
 一方で明るく楽しそうに歌い上げる紅葉の様子は何とも楽しくて仕方がないようだ。少女の歌声はどことなく紫帆のころころとしたあの声にも似ていた。そういえば彼女は今頃、この街でどうしているだろうか。
「うーん。やっぱり思い出せねえな。「はないちもんめ」でもないし……ま、さして大した問題でもないが」
 柳が中央のピアノに進みながら二人に話し掛けた。
「あ、柳さん! お帰りなさい。ほら、紅葉もご挨拶」
「こんにちは! えっと、もう時間的には「こんばんは」かしら? ……あら! サクマさんもいらっしゃる!」
「サクマさーん!」と紅葉が着物の袖をたなびかせながら、大きく私を招く仕草をしてみせた。
「柳さん、ツバキさんは? さっき「俺が二人を呼んでくる」って言ってくれてたけど」
「そうそう! ゲームをするなら、人数が多い方がいいって仰ったのに」
 そう言って紅葉が指差したのは、昨日道真と彩史が並んで遊んでいた例のパズルゲームだった。既にソフトがハード機械に差し込まれ、モニターにゲームのオープニング画面が映し出されている。
「悪いな。彼は事件を調べるのに忙しいらしい。けれども少しすれば必ず来るとも言っていたぜ。夜は長いんだ。それまでゆっくり穏やかに過ごそうじゃないか」
 もうそんな頃合いなのかと、私は屋敷の正面から見える景色を窓からちらと見た。
「そういえば、宮田さんのコンタクトレンズは見つかったんですか? 女性陣で協力して探しているって伺いましたけど」
「結局、見つけられなかったんです」
 代表して伏し目がちに菊乃が答えてくれた。
「お昼時に嫌味なことを言われたって宮田さんは恐怖していたけど、母も今はそんなことに神経質になる余裕なんてないでしょう。他にも何か不手際が見つかったとしても、私から言っておくから大丈夫よと彼女には伝えました。使用人だからって母は厳しく当たることも多いけれど、私の意見としては、彼女に家事の何もかもを完璧にしてもらうには、あまりにも酷だから」
「確かに昔は使用人も複数人いたからなあ。歳を取ったベテランからどんどん屋敷を去っちまって。可哀想に」
「それに昨日はあんなことがあったんだから、気が動転するのも当然よ。それなのに母さんは……」
 柳が同情し、菊乃がぎゅっと瞳を閉じた一方で、「お宝探しも失敗だわ」と紅葉は頬を膨らました。
「紗夜さんに用があった政景さんも、途中から手伝って下さったのに……」
「そういえば今紗夜さんは? 一緒に探していたって言っていたような……」
「兄妹揃って今頃、敷地内の駐車場にいるんじゃないかしら。お仕事用のポシェットを探りながら「車の鍵が見当たらない」って政景さんがやってきて、「小さいから紗夜の手荷物に紛れていないか」って」
「そうそう! それで紗夜さんが「私の部屋にあるのかしら」って。それであたし達にごめんなさいってした後、一緒にここを出て行きましたわ」
「けれど、それにしたって遅いわね……。もしかしたら周辺まで探しているのかも。私、様子を見てくる。紅葉は先に柳さんやサクマさん達と遊んでおいて。
 あ、ダーツ盤やビリヤードだけど、危険な使い方には気を付けるのよ。先の尖ったものが多いから」
 そして菊乃はすすんで遊戯室を後にした。「コンタクトレンズならともかく、車の鍵は割と一大事じゃないか?」と柳が呟く。
「これ以上物探しを手伝わせるにはと客人に配慮したのかもしれないが、俺達も手伝ってやったほうがいいかもしれない」
「それって、つまりは「第二の宝探し」ですか?」
 紅葉の言葉を借りて私が尋ねた。
「ある程度は覚悟しておいたほうがいいぜ、サクマ君。近くの森にでも紛れちまったら、見つけ出すのはきっと難しくなるだろうから」
 不穏な事件さえ起きなければ、私としては何が起ころうとも構わない。一方で暇を持て余していたと思われる紅葉は、新たな楽しみができて喜ぶことだろう。
 そう思って私は着物姿の少女の様子を伺ってみたが、当の紅葉は少し怯えたように唇を噛んで黙っていた。仲の良い菊乃と離れたためだろうか。彼女の揺れる黒い瞳はずっと、興味深そうに画面を見つめる柳の背中に向けられている。
 いったいどうしたのだろう?
「ゲームの経験はからっきしだからなあ。操作方法を覚えるだけでも苦労しそうだ」
 そんな時、菊乃とほぼ入れ替わるようにしてツバキが部屋に入ってきた。
「さっき菊乃さんが階段を降りていくのを見たけれど、どうかしたのかい」
「ああ、それが……」
 私が掻い摘んで状況を説明し、「案外早かったんだな」とも言った。
「外は暗くなってきたし、妙に胸騒ぎがしてね。こう言う時は一人で上手く集中できずにいるよりも、皆の様子を把握しておいた方がいい気がして」
「ふうん。集中しにくいなんて、お前らしくないな」
 彼もまた気になるようなことを言う。
 やがて菊乃が秋津兄妹を連れて遊戯室に戻ってきた。が、彼女らもまた様子がおかしかった。政景と紗夜は揃って戸惑いの表情を浮かべ、そして菊乃は彼らを先導して戻ってきたというより、自らの思考に囚われ、茫然としながら前を歩いてきただけのように感じられた。
「さっきそこで大山のお坊さんとすれ違った時に、私達のことを気味が悪いほど見つめてから出て行ってしまわれたんですが……いえ、今はそんなことを言っている場合ではありませんね」
「屋敷の外の様子が……何だかおかしくて」
 兄妹はお互いを確認するかのように顔を見合わせ、紗夜に至っては握り合わせた両手が微かに震えていた。
「菊乃姉さん……? どうかされましたの? お顔が真っ青だわ」
 すぐに紅葉が心配して彼女の元に駆け寄った。私やツバキ、そして柳も何があったのかと注目する。
 菊乃は唇を震わせた。「父さんが……」と。
「父さんが亡くなった時もそうだった。兄さんが死んでも、あの人達はお構いなしなのね。あの……恐ろしい祝祭が」
 祝祭?
「なんて酷い街なの! なんて酷い人々なの! 許せない……許せない……!」
 頭を抱え、菊乃は息をしゃくり上げた。聞き返すのも躊躇われる様子に、私は「どういうことなのか」と視線で政景に尋ね、それに気付いた彼が慎重に述べた。
「何やらその、遠くの方で祭りのようなものが催されていたんです。道中に提灯の灯りを灯して、沢山の人がその下を歩いていて……」
 紗夜も同意して何度も頷いている。「何かご存知ですか」と、すぐにツバキが柳に尋ねた。
「おそらくあれのことだな。……宍戸家の誰かが死ぬと、必ず街の人間が開くんだよ。パレードのようなものを」
「それは何の目的があってですか」
「……」
 柳は私の問いに答えなかった。今は菊乃を刺激しないためか、それとも沈黙こそが答えだと示すためでもあるのか。
 周囲が心配するなか、菊乃はついにその場にしゃがみ込んでしまった。「サクマ、宮田さんを呼んできてくれ。過呼吸かもしれない。ひとまず落ち着かせたほうがいい」
 冷静なツバキの指示に、「分かった」と私はその場を後にした。恐らく夕食の準備をしているはずだ思い、急いで階段を降りて厨房へと向かう。
 ……何か、嫌な予感がする。
 この時の私は、胸の内に沸々と湧き上がる泡のような不安を鎮めることに精一杯だった。
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