爪痕③
文字数 1,278文字
「おう、ユウキ。来てたのか」
自転車の鍵を外しているところに、ジロウから声をかけられた。片手に鞄を持っているところを見ると、仕事帰りだろうか。
「おはよう、ジロウさん。今帰り?」
「ああ。本当は泊まり込むつもりなかったんだが。気づいたら事務所で寝てた」
はははと大きく笑ったジロウは、「腹が減ったなぁ」と続けた。
「今日はユウキ、夕方からだったな。ステージ前にうちで飯食ってくか?」
「お言葉に甘えようかな」
「よし」
よく交わされる会話だった。
変身館の入ってた雑居ビルも、震災によるダメージを受けて取り壊しとなった。周囲の商店街諸々、そんな状況だったのだ。
この二年の間、人々は復興を続けていた。
変身館も小さな掘っ立て小屋から再出発し、ようやく簡易的な音響設備を整えることができる建物に、建て替えるに至ったばかりだった。
魔法が殆ど使えないので、ほぼ全てが手作業である。
電力も限られた魔力を効率的に利用できる発電装置の普及によって、なんとか日常生活分を賄えるまでになっていた。
「朝飯は? もう食ったのか?」
「まだ。でもいいや。最近朝食べないこと多いんだ。腹減らないし」
「朝は食ったほうがいいぞ。健康のためには、できれば九時までに」
「大丈夫。まだ若いから。一旦家帰るよ。夕方また来る」
Tシャツ一枚借りてくね、とユウキはジロウに手を振ると、自転車に跨って走り出す。
後方から「二十五はもうそろそろ若くないぞーっ!」というジロウの声が、追いかけてきた。
***
ユウキが“家”と呼ぶのは、二年前までリリーの家が建っていた敷地内にある、古い蔵である。
農具や養蚕に使われた道具が雑多に詰め込んであったその建物は、唯一綺麗に形を残して無事だった。堅牢な造りだったことが、幸いしたのだろう。
二年前の震災によって、リリーの家は全壊した。
養蚕を行っていた作業場も、母屋に繋がる離れも、全て倒壊したのだ。
────***
大きく揺れたあの時間。
ユウキはジロウから預かった侑子への手紙と、自分が書いた手紙を、一つの封筒に入れて、魔石ソケットの隣に置いたところだった。
大きく全身が揺さぶられ、平衡感覚を完全に失った。
床に落ちた。
強い一揺れだった。
おさまるどころか、益々激しくなっていく。
背中を強打して悶えたが、本能がユウキの脚に、危険を伝えたのだろう。
這い転がるようにして、中庭に出た瞬間――――
これまで聞いたことのない音量で、木の軋む音が聞こえた。
本来ならば折れるはずのない大きさの物が、見えない巨人に揺さぶられるように、横倒しになるのが見えた。
立ち上る土煙、落下する木くずや瓦礫の隙間から、魔石の光が垣間見えた。
――手紙
声にしたのか、出来なかったのか。
ユウキは自分の見ている光景が、どこかの遠い異国で起きている惨状か、映画のワンシーンなのだと、本気で錯覚していた。
『ユーコちゃん』
呼んだその名前は、もう一生その人の耳に届くことはないだろう。
その人の名を記した手紙さえも、目にしてもらうことはないのだろう。
その絶望的な確信を得たのと、ユウキが目の前の倒壊を理解したのは、同時だった。
自転車の鍵を外しているところに、ジロウから声をかけられた。片手に鞄を持っているところを見ると、仕事帰りだろうか。
「おはよう、ジロウさん。今帰り?」
「ああ。本当は泊まり込むつもりなかったんだが。気づいたら事務所で寝てた」
はははと大きく笑ったジロウは、「腹が減ったなぁ」と続けた。
「今日はユウキ、夕方からだったな。ステージ前にうちで飯食ってくか?」
「お言葉に甘えようかな」
「よし」
よく交わされる会話だった。
変身館の入ってた雑居ビルも、震災によるダメージを受けて取り壊しとなった。周囲の商店街諸々、そんな状況だったのだ。
この二年の間、人々は復興を続けていた。
変身館も小さな掘っ立て小屋から再出発し、ようやく簡易的な音響設備を整えることができる建物に、建て替えるに至ったばかりだった。
魔法が殆ど使えないので、ほぼ全てが手作業である。
電力も限られた魔力を効率的に利用できる発電装置の普及によって、なんとか日常生活分を賄えるまでになっていた。
「朝飯は? もう食ったのか?」
「まだ。でもいいや。最近朝食べないこと多いんだ。腹減らないし」
「朝は食ったほうがいいぞ。健康のためには、できれば九時までに」
「大丈夫。まだ若いから。一旦家帰るよ。夕方また来る」
Tシャツ一枚借りてくね、とユウキはジロウに手を振ると、自転車に跨って走り出す。
後方から「二十五はもうそろそろ若くないぞーっ!」というジロウの声が、追いかけてきた。
***
ユウキが“家”と呼ぶのは、二年前までリリーの家が建っていた敷地内にある、古い蔵である。
農具や養蚕に使われた道具が雑多に詰め込んであったその建物は、唯一綺麗に形を残して無事だった。堅牢な造りだったことが、幸いしたのだろう。
二年前の震災によって、リリーの家は全壊した。
養蚕を行っていた作業場も、母屋に繋がる離れも、全て倒壊したのだ。
────***
大きく揺れたあの時間。
ユウキはジロウから預かった侑子への手紙と、自分が書いた手紙を、一つの封筒に入れて、魔石ソケットの隣に置いたところだった。
大きく全身が揺さぶられ、平衡感覚を完全に失った。
床に落ちた。
強い一揺れだった。
おさまるどころか、益々激しくなっていく。
背中を強打して悶えたが、本能がユウキの脚に、危険を伝えたのだろう。
這い転がるようにして、中庭に出た瞬間――――
これまで聞いたことのない音量で、木の軋む音が聞こえた。
本来ならば折れるはずのない大きさの物が、見えない巨人に揺さぶられるように、横倒しになるのが見えた。
立ち上る土煙、落下する木くずや瓦礫の隙間から、魔石の光が垣間見えた。
――手紙
声にしたのか、出来なかったのか。
ユウキは自分の見ている光景が、どこかの遠い異国で起きている惨状か、映画のワンシーンなのだと、本気で錯覚していた。
『ユーコちゃん』
呼んだその名前は、もう一生その人の耳に届くことはないだろう。
その人の名を記した手紙さえも、目にしてもらうことはないのだろう。
その絶望的な確信を得たのと、ユウキが目の前の倒壊を理解したのは、同時だった。