夜の散歩②
文字数 2,712文字
モーテルの裏手から伸びた遊歩道は、森林公園へと続いているらしい。この辺り一帯は元々里山が広がっていた地域で、都市開発の一環で自然を残しつつ、宅地を広げていたそうだ。その都市開発も、度重なる災害によって阻まれ続け、中途半端に頓挫している。
ユウキの言葉通り、遊歩道は綺麗に雑草が取り除かれ、ウッドチップが敷かれていた。
すっかり夜は更けていたが、ランタンの灯り一つでも、足を取られることなく歩くことができる。
「山の匂いが濃い。この香り、久々だね」
深呼吸した侑子は、メムの三人と共に歩いた日々を思い出していた。
ユウキも隣で頷いている。
「三人とも、元気でやってるかな」
繋いだ手はしっかりと握られていたが、侑子は自分の手に少しだけ力を加えた。
「……ヤヒコくんのこと、心配だね」
ヤチヨから届く手紙のことは、ユウキも知るところだった。侑子がヤヒコの心配をしていることも。ユウキも同じ思いだった。
「でも俺達には、待つことしかできない」
「本当に、待ってるだけでいいのかな。私に出来ることは、これ以上ないと思う?」
「これ以上何をしようって言うの? 救助ロボットを動かすために全国を回って、魔力を届けて。十分すぎるくらい、ユーコちゃんは働いてるよ」
「私は自分が楽しいことしか、やってない」
「それでいいんだ」
砂利を踏む二人分の足音が、夜の遊歩道を切り開く。
ランタンの光だけだった暗闇の少し先に、もう一つ別の光源が見えてきた。
公園に着いたらしい。
二人の足は、柔らかな芝生を踏んだ。
背の高いポールの先に丸い灯具を配した街灯は、日本でもよく見かける形だった。
柔らかなオレンジ色の光の下で、足を止めた。
「君が初めてこの世界に来たばかりの頃。平空政争の話をしたね。俺の才目当てで、沢山勧誘が来たって話したこと、覚えてる?」
手は繋いだまま、侑子は頷く。
十代前半の子供だったユウキを、諜報活動のために取り組もうとした大人が大勢いたこと。それをジロウが追い払ってくれたと話したユウキの顔を、侑子はよく覚えていた。
「俺は信用してない。政治家も、王府も、王も」
あの時も、ユウキは今と同じ言葉を言っていた。
「ラウトさんやエイマンさん、アミのことは、もちろん信頼してるよ。ヤチヨちゃんとヤヒコくんも、いい人だと思ってる。でもね……」
もう四月だが、山中の夜風は冷たい。
繋いだ手の中だけが、ずっと熱を籠めていた。
「君を極力巻き込ませたくない。天膜とか災害とか、副産物の生産とか、そういうことで思い悩まないでほしい」
ユウキの目は真剣だったが、侑子は思わず首を振っていた。
「でも」
『私達を助けて』と書かれた、ヤチヨのタブレット画面が頭に浮かんでいた。その一方で、『気負うなよ』と笑ったヤヒコの顔も思い出す。
「――ごめん……ユーコちゃんが自分で決めることだって、分かってる。国の命運がかかる重大なことというのも理解してる。君は知らん顔できないだろうってことも、分かってるよ。でも……でも、嫌なんだ」
「私はユウキちゃんと一緒にいるために、出来ることをやりたいだけだよ」
苦悶の表情を消したくて、侑子はユウキの頬に触れた。
「……貢献したいとか言ってるけど、多分、動機はすごく自分本位なの。ユウキちゃんと楽しく暮らしたいから。心配事を消して、一緒に歌っていきたいたいから。それだけ」
ユウキの手が、侑子を引っ張った。
再び歩き出した二人は、街灯が並ぶ道沿いに進んでいく。
夜の遊歩道には、二人の他に人の姿はなかった。
暫くの間、ただ無言で歩き続けた。
砂利道を踏みしめる二人分の足音が、ユウキの歌声によって突如掻き消された。
街灯が途切れた場所に出たところだった。
「この曲書いたの、六年前に初めての巡業に行った時だった」
軽い歌声で歌い上げたユウキは、そのまま話を続けた。
「よく覚えてるよ。ユウキちゃんが手紙と一緒に、譜面を送ってくれた。新しい曲だ! って、とても興奮したの。中学の軽音同好会で、佐藤先生と一緒に歌ったんだよ」
懐かしい、と目を細めながら、侑子は記憶の引き出しを開けていた。
中学校の第二音楽室で、練習した毎日を思い出す。その記憶はつい昨日のようにも感じたが、セピアのフィルターをかけたように、やけに色褪せても見えた。
「ユーコちゃんのいない風景。ユーコちゃんのいないステージ。寂しかったよ。とてもきつかった」
「今はいつだって、一緒に歌えるじゃない」
「同じ風景を見ながら歌えることが、幸せでたまらないんだ。君のことを、いつでも抱きしめられる。聞きたいときに君の声を聞ける。これ以上に幸せなこと、他にない。……だから怖い」
立ち止まったユウキは、ランタンを手に持ったまま、侑子を腕の中に引き寄せた。
光が二人の身体によって遮られ、その場は些か暗くなる。
ユウキの指が、侑子の薬指の宝石を撫でた。
「やっと君を手に入れられた。絶対の幸せを手に入れた。そう思った矢先に、すぐに恐ろしくなったよ。失うのが怖いんだ。ユーコちゃんが並行世界に戻って、離れ離れだった頃よりも、もっと怖い。もっと不安なんだ」
その感情は、寝具の中で彼女の中を暴きたいと思う底なしの欲望と、よく似ていた。ただ違うのは、底なしの不安の方が遥かに扱いづらく、どうすれば気にせずにいられるのか、全く分からないという点だろう。
「私はずっとユウキちゃんの側にいるつもりなんだけど」
「君の意思に関係なく、君は六年前帰ってしまった」
「扉があった場所に、もう絶対近づかないって約束する」
「どこに新たに扉が出来るかなんて、予測できない。天膜や王の神力なんて見えないもの相手に、どう予防するっていうんだ?」
「どうすればいいの?」
侑子は質問を呟いた直後、ユウキの唇に口づけた。
目一杯背伸びをしただけでは届かないので、首に腕を巻き付けて、頭を強く引き寄せた。
「どうすれば、不安じゃなくなる?」
ランタンを持たない方のユウキの腕に、強く力が込められる。
「歌ったら、少しは楽になるかな。さっきの歌、一緒に歌おうよ。私あの曲、大好きだよ」
どうしたら今すぐユウキの顔を笑顔にできるのか、侑子は考えを巡らせていた。
「精霊にお願いしてみる? いつまでも一緒にいられますようにって、そんな願いを込めた和歌、何があったかな……ユウキちゃん、すぐ思い出せる?」
「さあ……あったかな」
ユウキは真面目に思い出そうとは、していなかっただろう。
押し付けた唇の角度を変えて、すぐに深い口づけへと繋いでいく。
ランタンが手から落ちて、地面にぶつかり、灯りは消えた。
それでもユウキは気にせずに続けた。口の自由を奪われた侑子も、気にしないことにした。
ユウキの言葉通り、遊歩道は綺麗に雑草が取り除かれ、ウッドチップが敷かれていた。
すっかり夜は更けていたが、ランタンの灯り一つでも、足を取られることなく歩くことができる。
「山の匂いが濃い。この香り、久々だね」
深呼吸した侑子は、メムの三人と共に歩いた日々を思い出していた。
ユウキも隣で頷いている。
「三人とも、元気でやってるかな」
繋いだ手はしっかりと握られていたが、侑子は自分の手に少しだけ力を加えた。
「……ヤヒコくんのこと、心配だね」
ヤチヨから届く手紙のことは、ユウキも知るところだった。侑子がヤヒコの心配をしていることも。ユウキも同じ思いだった。
「でも俺達には、待つことしかできない」
「本当に、待ってるだけでいいのかな。私に出来ることは、これ以上ないと思う?」
「これ以上何をしようって言うの? 救助ロボットを動かすために全国を回って、魔力を届けて。十分すぎるくらい、ユーコちゃんは働いてるよ」
「私は自分が楽しいことしか、やってない」
「それでいいんだ」
砂利を踏む二人分の足音が、夜の遊歩道を切り開く。
ランタンの光だけだった暗闇の少し先に、もう一つ別の光源が見えてきた。
公園に着いたらしい。
二人の足は、柔らかな芝生を踏んだ。
背の高いポールの先に丸い灯具を配した街灯は、日本でもよく見かける形だった。
柔らかなオレンジ色の光の下で、足を止めた。
「君が初めてこの世界に来たばかりの頃。平空政争の話をしたね。俺の才目当てで、沢山勧誘が来たって話したこと、覚えてる?」
手は繋いだまま、侑子は頷く。
十代前半の子供だったユウキを、諜報活動のために取り組もうとした大人が大勢いたこと。それをジロウが追い払ってくれたと話したユウキの顔を、侑子はよく覚えていた。
「俺は信用してない。政治家も、王府も、王も」
あの時も、ユウキは今と同じ言葉を言っていた。
「ラウトさんやエイマンさん、アミのことは、もちろん信頼してるよ。ヤチヨちゃんとヤヒコくんも、いい人だと思ってる。でもね……」
もう四月だが、山中の夜風は冷たい。
繋いだ手の中だけが、ずっと熱を籠めていた。
「君を極力巻き込ませたくない。天膜とか災害とか、副産物の生産とか、そういうことで思い悩まないでほしい」
ユウキの目は真剣だったが、侑子は思わず首を振っていた。
「でも」
『私達を助けて』と書かれた、ヤチヨのタブレット画面が頭に浮かんでいた。その一方で、『気負うなよ』と笑ったヤヒコの顔も思い出す。
「――ごめん……ユーコちゃんが自分で決めることだって、分かってる。国の命運がかかる重大なことというのも理解してる。君は知らん顔できないだろうってことも、分かってるよ。でも……でも、嫌なんだ」
「私はユウキちゃんと一緒にいるために、出来ることをやりたいだけだよ」
苦悶の表情を消したくて、侑子はユウキの頬に触れた。
「……貢献したいとか言ってるけど、多分、動機はすごく自分本位なの。ユウキちゃんと楽しく暮らしたいから。心配事を消して、一緒に歌っていきたいたいから。それだけ」
ユウキの手が、侑子を引っ張った。
再び歩き出した二人は、街灯が並ぶ道沿いに進んでいく。
夜の遊歩道には、二人の他に人の姿はなかった。
暫くの間、ただ無言で歩き続けた。
砂利道を踏みしめる二人分の足音が、ユウキの歌声によって突如掻き消された。
街灯が途切れた場所に出たところだった。
「この曲書いたの、六年前に初めての巡業に行った時だった」
軽い歌声で歌い上げたユウキは、そのまま話を続けた。
「よく覚えてるよ。ユウキちゃんが手紙と一緒に、譜面を送ってくれた。新しい曲だ! って、とても興奮したの。中学の軽音同好会で、佐藤先生と一緒に歌ったんだよ」
懐かしい、と目を細めながら、侑子は記憶の引き出しを開けていた。
中学校の第二音楽室で、練習した毎日を思い出す。その記憶はつい昨日のようにも感じたが、セピアのフィルターをかけたように、やけに色褪せても見えた。
「ユーコちゃんのいない風景。ユーコちゃんのいないステージ。寂しかったよ。とてもきつかった」
「今はいつだって、一緒に歌えるじゃない」
「同じ風景を見ながら歌えることが、幸せでたまらないんだ。君のことを、いつでも抱きしめられる。聞きたいときに君の声を聞ける。これ以上に幸せなこと、他にない。……だから怖い」
立ち止まったユウキは、ランタンを手に持ったまま、侑子を腕の中に引き寄せた。
光が二人の身体によって遮られ、その場は些か暗くなる。
ユウキの指が、侑子の薬指の宝石を撫でた。
「やっと君を手に入れられた。絶対の幸せを手に入れた。そう思った矢先に、すぐに恐ろしくなったよ。失うのが怖いんだ。ユーコちゃんが並行世界に戻って、離れ離れだった頃よりも、もっと怖い。もっと不安なんだ」
その感情は、寝具の中で彼女の中を暴きたいと思う底なしの欲望と、よく似ていた。ただ違うのは、底なしの不安の方が遥かに扱いづらく、どうすれば気にせずにいられるのか、全く分からないという点だろう。
「私はずっとユウキちゃんの側にいるつもりなんだけど」
「君の意思に関係なく、君は六年前帰ってしまった」
「扉があった場所に、もう絶対近づかないって約束する」
「どこに新たに扉が出来るかなんて、予測できない。天膜や王の神力なんて見えないもの相手に、どう予防するっていうんだ?」
「どうすればいいの?」
侑子は質問を呟いた直後、ユウキの唇に口づけた。
目一杯背伸びをしただけでは届かないので、首に腕を巻き付けて、頭を強く引き寄せた。
「どうすれば、不安じゃなくなる?」
ランタンを持たない方のユウキの腕に、強く力が込められる。
「歌ったら、少しは楽になるかな。さっきの歌、一緒に歌おうよ。私あの曲、大好きだよ」
どうしたら今すぐユウキの顔を笑顔にできるのか、侑子は考えを巡らせていた。
「精霊にお願いしてみる? いつまでも一緒にいられますようにって、そんな願いを込めた和歌、何があったかな……ユウキちゃん、すぐ思い出せる?」
「さあ……あったかな」
ユウキは真面目に思い出そうとは、していなかっただろう。
押し付けた唇の角度を変えて、すぐに深い口づけへと繋いでいく。
ランタンが手から落ちて、地面にぶつかり、灯りは消えた。
それでもユウキは気にせずに続けた。口の自由を奪われた侑子も、気にしないことにした。