第3話 事件の概要

文字数 3,342文字

 毒親殺人事件―
 これはメディアで大きく報道された事件だ。
 被害者は多田加代子49歳。令和〇年2月13日木曜日午後9時35分頃。〇市〇町〇番、自宅の2階から1階への階段(約3メートル)で転落、頭部を強打。意識混濁。現場に居合わせた次女・琴によると、スース―という呼吸からいびきのそれに変わり、ずっと呼び掛けていたところ、1~2分で覚醒し、会話は出来るようになったものの、意識は判然としない模様。15分後には救急搬送され〇市立病院に向かう。車中吐き気や手足の痺れを訴え、ER(緊急救命室)にて措置中に心停止。心臓マッサージ、電気ショックを与えるものの回復に至らず。20分後に医師寺田〇〇が死亡を宣告。死因は脳挫傷による虚血と脳の腫れ(浮腫)。ほか全身CTの結果骨盤骨折が判明。
 ここまでは階段転落事故の経緯。だが、寺田医師は医師法第21条により死因から事件性ありと所轄の〇警察署に通告。ここから捜査機関が介入することになる。寺田医師の不合理な所見とは浮腫の出来た位置が後頭部であり、過失による転落とは考えにくい点である(通常の転落の場合は前頭部に浮腫が見られる)。

 所轄〇警察署も過失致死と事件との両面から捜査。遺体を最寄りの〇大法医学研究所に移送する。同時に多田宅の実況見分を開始。転落状況の把握にあたる。
 捜査会議で埋もれていた事実が明らかになる。まずは死因について脳挫傷とひと口に言っても何にぶつかったのかが問題となる。本事例は階段下の壁際に装飾として置かれていた紫水晶の飾り物に後頭部をぶつけたことが判明する。挫傷部位から水晶の欠片も確認された。
 この報告を受けて、県警察本部の鑑識班がガイシャと同じ体重の人形を使った実験の結果として、かなりの力で背後に押されない限り死因には結び付かないと断定した。これで事件は過失ではなく殺人事件に切り替わる。

 ホシは誰か?

 マルガイの同居家族への事情聴取と近隣住人への聞込みが行われた。警察よりも一足先に隣近所に聞込みをしていた週刊〇記者は、以前から家庭内で母子間の諍いが絶えなかったこと、罵り合いが夜更けまで続いていた事実を掴んだ。
 また、ガイシャの娘姉妹両名ともが常日頃から毒親被害を口にしていたことを、学友から聞き及ぶ。しかも、両名のTwitter上でのツイートからも毒親への不満が数多く散見された。これらの事実に、他殺との捜査機関筋からの漏洩も加わり、「週刊〇」よりスクープ記事が載せられた。マスコミ各社は流行の言葉でもあり、次々に「毒親殺人事件!?」と騒ぎ立てた。
 その晩多田宅に居た者は三名。夫の雄一と姉妹、詩と琴の二人。翌日、三名への所轄警察署による事情聴取が以下のように行われた。(この時点では事故と事件での両面捜査)

 ◎夫、多田雄一52歳 本籍地札幌市白石区〇〇 〇大入学を契機に上京 ㈱〇物産社内で妻・加代子と知り合い2002年に結婚に至る。2002年、2004年と相次いで姉妹を成し、2015年に現在地の中古住宅に入居。事件当日は午後7時に帰宅。
―階段の滑落に関して 
 妻はバクバクよく食べるんです。太るし健康に良くないと注意はしてたんですが。体重増加によって膝が痛い、腰が悪いと言うようにはなってました。あ、本人は体重増加が原因だとは言いませんが。
―夫婦仲に関して 
 そこらの平凡な夫婦です。特にお話しするようなことはありません。
―親子関係に関して 
 二人とも思春期に入って父親は避ける傾向にあったかと思います。帰宅後や休日でもあまり会話はないです、
―階段から落下した時、何処にいましたか? 
 1階の居間でテレビを観ていました。ドスンと凄い音がして階段に行って見ると、妻が横たわり琴が横に居ました。妻が階段から落ちたんだと思いました。
―あなたはその後何をしましたか? 
 階段から落ちたぐらいで大したことはない、と考えていました。ただ琴が様子が変だと言うので、119番通報をしたのは私です(これは事後の捜査で証明された)。救急車が来るまで何をしたらいいのか、分からずその場に居ました。
―ちょっと前に戻りますが、あなたが見ていたテレビの内容は? 
 あ、はい、サッカーワールドカップ日本代表×イラン戦後半で○○が途中出場した時でした。あ、そうだ。新しいビール〇のCMが入りました。今度飲んでみようと思ったのでよく覚えています。
―姉妹と奥様の関係について 
 仲が悪かったのは事実です。妻は何かと言うと子供に口を出す性分で、下の子はそれでも黙っていましたが、上の子は反抗的になって口喧嘩になります。たびたび仲裁に入りました。

 ◎長女、詩(うた)20歳 〇文化専門卒 ヘアグリーン〇店勤務 美容師 この日は公休日。昼間は買い物に出掛け夕方には帰宅。
―階段の滑落に関して 
 えー、驚きました。全然知りませんでした。自室でヘッドフォンしてテレビゲームしてました。救急車の赤い点滅が真下に見えてようやく気付きました。
―母親との仲は? 
 あんまりよくありません。働き出しても何かにつけて文句をつけて。
―妹さんとは? 
 えー、ふつう。あの子はママのことが怖くて大人しくしてるってヤツ。ホントは何を考えてるんだか。
―母親の死に関して 
 階段から落ちただけで死ぬなんて考えられない。太ってるからですかね。
―その時、あなたは何をしてましたか? 
 対戦型ゲーム〇をしてました。相手は誰かは分かりません。コードネームだけ。え―と、ズボラッチャさんです。

 ◎次女 琴18歳 〇女子大一年生 この日は五時限の授業を終え午後6時に帰宅。
―階段の滑落に関して 
 凄い音がして自室を飛び出しました。階段は私の部屋前にありますから。ドアを開けたらママが床に仰向けに倒れていました。呼んでも返事をしないので大事だと思いました。居間からやって来た父に救急車を呼ぶかどうか相談しました。
―救急車が到着するまでの経緯 
 はい、ママと呼び続けていると反応がありました。頭が痛い、と言ったので頭を打ったのだと判りました。覗くと薄っすら血が滲んでいました。パパは、救急車が着くまではそのままで居るようにと電話先で言われた、と言いました。あとは、大丈夫だからと励まし続けました。
―母親との関係は? 
 たぶん支配されていたと思います。マインドコントロール?
―その時、あなたは何をしてましたか? 
 お風呂上りでフットネイルをしていました。



 事件当時に被害者の傍に居た三者の素直な供述はこれが最後となった。やがてマスコミに急かされるように殺人事件へと舵を切った警察。この三者は被疑者に変わった。法医学研究所に科捜研も加わり、階段上で揉み合いになれば付着すると予測されたマルガイの爪・指先の皮脂(DNA)を鑑定。同時に押された場合にも、マルガイ着衣(今回の場合は前面)に着くであろう皮脂も分析する。
 3日後の分析結果には犯人を決定付けるものはなかった。マルガイの爪・指先・掌には何も付着していなかった。また着衣には、次女と父親の皮脂が検出されたが双方とも階段下での介抱の際に付いたものだと主張。ただ、着衣前面腹部辺りのウール繊維が直径10センチの円状にまるでアイロンを充てたかのように凹んでいるのが確認された。
 何による凹みか? 散々に検証されたが判明しない。物証が見当たらずに、ホシを特定できない。
 警察の事件送致を受けた検察は証拠不十分のため裁判所への拘留請求が出来ない。それではと任意の事情聴取をかけるが三者ともこれを拒否した(弁護人の判断による)。裁判所からの令状を受けての家宅捜索で母親の自室箪笥の中から父親の署名捺印がなされた離婚届が発見された。ホンボシから遠いと考えられていた父親にも嫌疑がかけらけた。これで三者共に弁護人がつくことになった。
 なにもかもうやむやのまま、検察による公判請求が〇地方裁判所になされた。テレビ報道でこの事件を知った玲奈の感想は、あと少し300メートル県境を越えればいいのに、だった。管轄の裁判所が都内のそれに替わる。子供の時に観た映画で、川を挟んで所轄の違う警察官同士が、ドザエモンの漂着場所を固唾をのんで見守っている場面を想い出していた。
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