第9話 第1回公判

文字数 4,894文字

 師走初旬、第1回公判当日、6名の裁判員が顔を揃えた。これは地方裁判所ごとに管内の選挙管理委員会が選挙権を有する住人の中からくじで選んだ裁判員名簿を作成し、3審制の刑事事件ごとに6名を割り振るもの。本事件は5月に起きたので、9月には裁判員に選出された旨の通知が手元に届いたはず。
 歳の順に72歳の無職男性、55歳の主婦、50歳のサラリーマン、44歳の女性公務員、36歳の商店主(男性)、28歳のOL。いずれも不安気な面持ち。今回の裁判はマスコミで名高い。通常は「〇月〇日、〇地区での殺人未遂事件」程度の内容しか事前には知らされない。
 ただ今回のは日付場所を見ただけでそれと判る。緊張するなと言う方がムリ。みなそれぞれの聴き方で事件の概要を知っている。なのでマスコミ扇動の案件は、事前に固定観念を抱いている場合が多く、公正を期すのはなかなかに難しい。
 裁判の1時間前に集まって貰い、事件の概要と本裁判での争点を説明する。冒頭で、被告人が3名居るので審議日数も通常より多い5日(通常は3日)を予定しているとも伝えた。
 裁判長の言葉。
「本日は、被告人のひとりである夫への被告人質問と、被害者の母と被害者宅の隣人に証人尋問を行います。昼食を挟んで、被告人の会社の同僚に証人尋問を行います。およそ4時間の審議を予定しております」

 開廷―

 3名の裁判官が裁判長を中央に右に判事、左に判事補が座る。6名の裁判員は3名ずつに分かれて判事と判事補の隣に着席してゆく。裁判長から見て右に検事と事務官が着席、左に弁護人が座る。中央には被告人と証人のための証言台が裁判長と相対する。
 傍聴席は通常は35。本案件はその社会性を鑑みて倍の70用意される。密にならないよう、コロナ対策で事務官は泣かされる。傍聴券を求めて600名が朝8時から列を作ったそうだ。嘱託の警備員数も増えてなんだかものものしい。
 検察側から被告人・多田雄一の起訴状が淡々と読み上げられる。次に、被告人が証言台に立ち、裁判長による人定質問(指名や住所、年齢の確認)が始まる。ついで、罪状認否が行われた。
「起訴状の内容で間違っているところはありますか?」
 被告人・多田雄一の発言。
「まったく身に覚えがありません」
 それを受けて、弁護人・相模弁護士が被告人質問を開始する。この被告人質問は被告の権利を配慮して弁護から行うとの慣例がある。
 ◎相模弁護士による被告人質問。
―階段転落事故が起きた時、あなたは何処で何をしていましたか? 
 はい、一階のリビングでテレビを観ていました。
―事故をどうして知りましたか? 階段からとにかく凄い音がしました。これは誰かが落ちたんだと思いました。
―すぐに向かわれた? 現場には誰か居ましたか? 
 はい、すぐに向かいました。次女の琴が母親の脇に居ました。
―緊急通報は誰が? 
 はい、私がしました。
―その時、何が起きたんだと思いましたか? 
 単純に母親の加代子が階段から滑り落ちたんだと思いました。
―世間では殺人事件と騒がれていますが、どう思いますか? 
 あり得ません。しかも家族の誰かが犯人なんて…。
―ご家族以外には誰かおられましたか? 
 いいえ、誰も居ません。
―その時のあなたのアリバイは? 
 はい、リビングでサッカー日本代表の対イラン戦を観ていました。
―再度お尋ねします。本当に何も知らないのですね。 
 はい、まったく理解できません。

 ◎続いて、大野検事による被告人質問。
―単刀直入にお聞きします。あなたは事件直後の警察の事情聴取で、自らのアリバイを主張されている。何故ですか? 
 すいません。何のことか分かりません。
―あなたは、サッカーワールドカップ日本代表×イラン戦後半で〇〇が途中出場した時でした。あ、そうだ。新しいビール〇〇のCMが入りました、と述べています。これはアリバイの主張ではないですか? 
 ◎ここで、父親の弁護人から発言があった。
―異議あり。検察は誘導尋問しようとしています。
 ◎裁判長
―却下します。検察は話しを続けてください。
 ◎大野検事
―ありがとうございます。大抵は、サッカーワールドカップ日本代表×イラン戦を観ていたと言うべき処をわざわざ選手の交代とか、さらにはビールのCMまでも持ち出しアリバイを主張していますね。それはなぜですか? 
 はい? 警察から疑われていると感じたからです。それにより具体的な方がよいと思いました。―おかしいですね。この時点での警察は事故と事件の両面から捜査しています。同じ質問を長女や次女にもしています。なぜ、疑われていると感じたのでしょうか? 
 直感としかいいようがないです。
 ここで、後方の傍聴席がざわつきどよめき出す。
 間髪をいれずに、静粛に願います! と裁判長。
 
 次に、証言台に被害者の母親と付添人の長女(被害者の姉)が着席する。大野検事が起立し証人尋問の許可を裁判長に求めた。裁判長は同意し実際の本人かを確認する「人定尋問」をはじめる。
 整理手続により申請された「証人カード」を見ながら、
「住所、氏名、職業、年齢は『証人カード』に記載された通りですね」
 証人が同意すると、裁判長は、
「では、お手元の宣誓書を朗読してください」
 ここで、間髪を入れずに裁判長のすぐ前に着席している書記官が法廷に居る全員に起立を促す。証人も起立し、
「宣誓、良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
 証人ひとりに対して同様なことが行われる。

 ◎大野検事による、被害者・母親への証人尋問
―日頃、娘さんは多田家に関して何と言ってましたか? 
 夫は子育てに関心がない。娘たちはこちらが熱心になればなるほど距離を置く。勉強にしても習いごとにしても生活態度にしても。勝手に悪い親だと決めつける。どうしたらいいのやら? と、まぁ、そのようなことを常日頃から言ってました。
―もう少し具体的には 
 外見を常に気にする長女には健康面からもスナック菓子を食べるのを止めるように再三にわたって注意するものの、逆ギレされて、ブスに産んだお前が悪いと罵られる。また、最近彼氏が出来たようで、帰宅時間も遅く無断外泊を繰り返すので、そのことに注意すると、もう成人なんだからいちいち干渉するな、とかです。
 次女には、えーと、なんとか家計のやりくりをして5年間もピアノを習わせたのに、実は好きで通っていたのではないと分かり、がっかりしたと言ってました。また、韓国好きが高じて韓国雑貨の輸入販売店を一緒にやらないかと誘ったところアッサリ断られたと嘆いていました。昨今は女子が大学を出てもろくな就職先がないから、将来を心配したんでしょうに。
 父親に関しては、結婚当初から、出来ちゃった結婚だから、と諦めていました。雄一さん(加代子の夫)には以前から好きな人が居たようです。そんなような話しをたびたび。
―多田一家に関してどんな風に感じられてましたか? 
 祖母のわたしが言うのもなんですが、風変わりな家庭だと。それぞれが疎遠なんです。正月にうちに遊びに来ても皆が別のことをしている。長女はテレビゲームに夢中。次女はジッと俯いてスマホをいじっている。父親はゴルフ雑誌を熱心に眺める。家族そろって近くのお不動様に散歩がてらのお詣りにでも行けばいいのに。そんな素振りもない。

 ◎父親の弁護人・相模弁護士の反対尋問
―何かお話しをお伺いしていると昨今はどこのご家庭でも両親と子供との関係は同じようなもんだと思いますが?
 ◎ここで大野検事より発言がある。 
―異議あり。弁護人は自分のお考えを押し付けようとしています。
 ◎裁判長
―異議を認めます。弁護人は言葉を選んでください。
 ◎相模弁護士
―それでは、もう一度。お母さまは他のご家庭のことをご存知ですか? 
 はい、私の隣にいる長女の家庭のことはよく知ってします。
―どこが違うと思われますか? 
 子供は大学生の男の子ひとりですが夏休みには家族旅行に行ったり、休日には父親とサッカーをしたり、普通の家庭であった気はします。
―その他の姉妹が居るようなご家庭のことはご存知ない? 
 はい、知りません。

 ◎続いて、大野検事による、隣の住人・服部美紀への証人尋問
―隣人になられたのは何時からですか? 
 8年前ですから2014年の春先からです。
―建売住宅密集地のこと、お隣との隙間は50㎝ほどです。何か最近見聞きされたことはありますか? 
 はい、妹さんが大学試験に合格された2月頃から、親子の言い争う声が聞かれるようになりました。
―それは何時、誰と誰ですか? 
 メモしてありませんので何時かは特定出来ません。ただそれまではなかったことなので気付きました。多くはお母さんと長女さん、たまに次女さんです。時間は大概晩でした。
―どんな内容でしたか? 
 細かくは分かりません。ただ、亡くなられたお母様は「お前なんか産まなきゃよかった」長女さんは「どうせいつだって自分が正しいなんでしょ」そんに感じでした。次女さんの方は記憶にありません。声が小さいので。
―旦那様と奥様はどうでしょう? 
 いえ、一度も聞いたことはありません。
―お話しにくいでしょうが多田家はどんなご家庭でした? 
 まぁ、年頃の娘さんですので喧嘩はあるでしょうが、あまりに度重なると嫌になってきました。
―ということは頻繁ですか? 
 はい、春先はしょっちゅうでした。
 傍聴席からは、オーという呻き声が聞こえた。検察側は都合の良い証人を見つけ出した。玲奈は、あの美人検察事務官の細い白い腕を思い浮かべた。
 ◎父親の弁護人・相模弁護士の反対尋問
―あなたのお子さんはまだ小さいですね? 
 はい、小学三年と五年生です。
―お子さんとは将来言い争いはしないと思いますか? 
 それは分かりません。
―あなたご自身はご両親と言い争いはしなかった? 
 はい、一度もありません。
―それはそれはとてもよい性格の持ち主だ。
 ◎ここで、大野検事より、
―異議あり、偽証をしてるかのように証人を扱っています。
 ◎裁判長
―異議を認めます。弁護人はいまの発言を撤回してください。書記官も削除をお願いします。

 ここで、午前中の審議は終わり、お昼の休憩に入る。
 多田家の母親と姉妹との対立が浮き彫りになって来た。頭に残るワードは「お前なんか産まなきゃよかった」と「いつもアンタが正しい」だ。母子の言い争いなら飛び出しそうなフレーズだが、本事件ではその意味する処は大きい。

 ◎午後の審議
 裁判はその日の予定通りにこの日最後の証人尋問を迎えた。
 相模弁護士による被告人の同僚・結城博美への証人尋問
―多田雄一氏の家族想いを物語る一面は? 
 はい、ご家族三人の誕生日を覚えていて女性が歓びそうなものを毎年質問されていました。なにせ三人が女性ですから気遣いは相当でした。特に娘さんが年頃になるとますます。
―いち部報道では、教育には無関心、また、出来ちゃった結婚への後悔の念とあります。そのことに関しては? 
 娘さんたちの方が彼を遠ざけていたのではないですか。思春期の女子は父親を嫌います。また、出来ちゃった結婚に関しては、次女も設けられているわけですからね。一概には言えないのではないですか。
―事件後の会社での様子は? 
 この半年間たいへん落ち込んでいるようでした。マスコミにも追われているようでしたし、会社を辞めるべきかを真剣に悩んでる様子でした。
 ◎大野検事による反対尋問
―あなたと多田雄一被告人はただならぬ関係にあったと噂する同僚もおられますが、そのことについて何か申し添えることはありますか? 
…結城博美は憮然とした表情。
 どよめく傍聴席。
 ◎ここで相模弁護人が発言する。
―今の質問は、本事件とはまったく無関係であります。
 ◎裁判長 
 認めます。検事は今の発言を撤回してください。

 閉廷
 今日の審議は大野検事のひとり勝ちの様を呈した。弁護人側の席では相模弁護士が多田雄一被告の肩を叩いて励ましている様子も見られた。
 第二回公判は年末ギリギリに開廷される。
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