第19話 結 審

文字数 2,725文字

 当然のことながら、高名な物理学者が指摘した事件発生の推論には世間はアッと驚かされた。ごもっともな理屈であり、責任の矛先は捜査機関に向けられた。警視庁も当初こそは、科学的な事件の再現調査に揺るぎのない自信を覗かせてはいたものの、メディアの追及に旗色が悪くなる。
 最後に混乱の収拾に出て来たのは、警察庁総括審議官と鑑識部長。マスコミ各社の記者会見の場で、するどい記者たちの質問に、とうとう事件を根底からひっくり返してしまう発言が出る。
「驚いて飛びのいてしまう動作も選択肢のひとつに入る」

 通称「毒親殺人事件」第4回公判
 開廷
 傍聴席争奪戦は600~人にものぼった。
 冒頭、裁判長より検察側からの意見陳述があると告げられた。異例中の異例。
 大野検事は粛々と手元のメモを読み上げる。

 先回公判における〇大学先端科学研究所の藤間道夫教授の事件発生への意見を元に、再度、鑑識部ならびに科捜研が調査をした処、教授の指摘も信じるに足る推論とのことで意見の一致を見ました。そこで、今後は被害者が階段上で鉢合わせして、驚いて飛びしさってしまうような人物の捜査も開始致します。

 廷内がどよめく。一体全体、何を言っているんだ。
 玲奈は推理する。3人の容疑者と母親、家内で突然鉢合わせしても飛び上がるほどには驚かない。手に刃物など凶器を持っていた場合はどうだろうか? 普通は単純に刺されるか揉み合いになる。刺し傷、血痕とかつかみ合いの痕跡、第一そんな凶器も発見されていない。
 自然な発想は階段上で見知らぬ人物に遭遇した場合だ。多田家の階段上は1坪しかなく、長女の部屋と母親の部屋とトイレが隣接している。窓などはない。驚いて跳びのく人物は長女の部屋かトイレから出て来たとしか思えない(トイレには通気窓しかない)。 念のために、母親の部屋のサッシは施錠されていた。
 と言うことは…。

 それではここで、先回の公判の時に田中幸輝(こうき)弁護人から申請のあった白石修一氏の証人尋問を開始します、と裁判長が告げた。全員の眼が証人に釘付けになる。コイツが犯人なのか。誰もがそう思って疑わない。
 白石修一なる人物はやせ型長身、流行の長髪にブロックを入れ、歩き方は肩を揺すり、いかにもふてぶてしかった。玲奈には、反社の人間に映った。
 田中弁護士の証人尋問
―あなたは長女の言う処の対戦ゲームの相手だ。彼女のアリバイともなっている。あなたは事件があった時刻に何処に居ましたか?
 自宅です。
―証明してくれる人物並びに事象は何かありますか?
 ありません。独りでゲームしてましたから。
―あなたと長女・詩さんとの関係は? 
 たまたまネットゲームて知り合っただけです。
―それはおかしいですね。長女はおととしの秋頃からLINEであなたと頻繁に連絡をとっている。内容は言わなくても分かりますね? 
 …無言
―あなたは長女のパパ活の相手だった。ねんごろな関係になって、たびたび秘密のルート(隣家の塀と屋根伝い)を使い、長女の部屋に忍び込むようになっていた。あの晩、あなたは長女の部屋に居たんではないですか?
 …黙秘します。

 廷内は騒然となった。
 静粛に願います。裁判長は二度厳かに告げる。
 田中弁護士による証人尋問は続く。証人は検察から起訴もされていないし、弁護人もいない。望めば弁護人はつけられたが、そんなことをすれば関与したと認めるようなものだ。
―あなたは日頃から毒親を嘆く長女に同情し、それならばいっそのこと殺してやろう、と短絡的に考え、刃渡り30センチの刃物を手に持ち、隣室の母親の部屋に向った。ところが、偶然部屋から出て来た母親と出くわしてしまった。母親はあまりの驚きに反射的に後ずさった。違いますか? 
 それはあんたの突拍子もない考えだよ。
―あなたは土浦の半グレグループの中核メンバーで、水戸の指定暴力団「如月組」の傘下にもある。安藤力也とは兄弟分だ。
 そんなことは関係ないだろう。
―10年前の「土浦港町殺人事件」にも安藤力也とその情婦・服部美奈と共謀し、甲斐翔太を今回と同じ凶器で殺害した。違いますか?
 おい、誰かこいつを止めてくれ。
 裁判長。コイツは頭がおかしい。あることないことヌカしてやがる。
―尋問を終わります。

 田中弁護士は飄々と弁護人席に戻る。検察からは何もなかった。だってこれはもはや検察の仕事だ。いま弁護人は犯人を起訴し訴状を述べた。裁判長は大野検事を壇下に呼び二言三言話し合い、
「これにて本日の公判は閉廷とします」
 裁判長は宣言した。
 
 玲奈は驚愕している。慌てて書記官の資料に目を通す。そこには弁護人・田中幸輝と記されていた。玲奈は父の名前を(ゆきてる)だとばかり思っていた。北国育ちだからか母は父のことを「ゆきさん」とも呼んでいた。姓が田中の弁護士など多数いるしタナカコウキと呼ばれていたので全く不審に思わなかった。
 だが、「土浦港町殺人事件」そして美奈の名前が出てからは疑いの余地はなかった。ただ10年でこんなに人は変われるものか。変貌のほどに美奈は愕然とする。随分と痩せたし頭髪は真っ白に、いかにも検察のエースと呼ばれるような精悍な印象は蔭も形も失せ、真逆に落ちぶれて見えさえした。
 ただ、唯一無二の証拠を発見した。田中弁護人が机の上を片付けていた時に、老眼鏡とボールペンを何気に仕舞ったパッチワークの小物入れ。白いカーボーイハットのジョージ君はかなり薄汚れてはいるものの健在だった。後生大事に持っていたのか…。

 閉廷後、裁判員6名と裁判官3名による。評議が行われた。裁判員たちは特異な裁判の行方に当惑気味だ。何がどうなっている。素朴な疑問。みなが裁判長の発言を待っている。
「裁判員の方々には長きに亘り当裁判にご参加頂きまして誠にご苦労さまでごさいました。当事件の裁判は今回で結審と致します。これは検察側から3名の容疑者の起訴を取り下げるとの意向を確認したからであります。従って、容疑者3名は無罪と確定致します。何かご質問のある方はどうぞ?」
 裁判長の発言に、年長者が、
「ワシらはこれでお払い箱かな?」
「はい。改めて検察は本事件の容疑者を起訴すると思います。新たな裁判には新しい裁判員が裁定を行う仕組みです」
「それって、今の白石何某って人ですか?」
 中年の女性が言う。
「それは分かりません」
 また、サラリーマンが、
「まだ、長女の無実は晴れた訳じゃないですよ。彼女が殺害を頼んだのかもしれないし…」
 …
 これ以降はそれぞれの考えを吐露する茶飲み話しとなった。裁判官たちも半年に亘って拘束して来た裁判員たちを無下に扱うことも出来ない。もはや虚しいダべリングタイムと相成った。
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