其の六

文字数 2,493文字

   *

 東北地方も仙台まで来ると急激に気温が下がってくるもの──。
 山間の(ふもと)から日もとっぷりと暮れかけ、寒さはより一層厳しさを増すばかり。あたり一帯は暗闇に包まれ、申し訳なさ程度の街灯が点々と続いていた。民家もさして見当たらず、鬱蒼とした林に囲まれた目立たない立地。そこは街の中心地からも離れており、身を隠すにはもってこいの場所であった。
 虎鉄が案内した敷地には古民家が建てられており、想像していた以上にしっかり管理されている。元々は武家屋敷だったようで、堅牢なまでの高い塀の壁で囲われていた。
 家の中は三人が寝れるだけの十分な広さの座敷がある。それに伴い、土間には風呂場や台所が併設されていた。ご丁寧に食器まで揃えられているのが有難い。ブレーカーのスイッチを上げて順に通電させて明かりをつける。幸い、水道も自由に使えたのだった。
 小窓の外を見れば、雪がチラつき始めている。指先まで(かじか)む、底冷えするような寒さ。早速、景勝は火を(おこ)して暖をとり、料理の支度を始めたのだった。
 ──次いで台所の炊事場を見渡せば、商店で購入した牛タンや笹かまぼこ、漬物などがある。あとは持参してきた飯盒(はんごう)で白米を炊けば夕飯は十分だろう。
 志戸は掃き掃除から乾拭(からぶ)きをして、風呂に水を張り、薪を燃やして湯を沸かす。虎鉄は焼肉用の七輪に炭火を焚べて、山の稜線を眺めながら美味そうに煙草を吸っていた。
「……んじゃ、車から、寝袋取ってくるわ。風呂もじきに沸くからよ」と志戸が声を掛ける。
「はいよ、段取りいいな。飯盒の米炊きも手伝ってくれるか?」
 おう、任せろと、懐中電灯を片手に粋な声を掛けて車に向かう。
 庭先が積雪で白くなりつつある。車は敷地内の木陰に停めており、出入り口の正門からは見え難い角度になっていた。なんせここらでは目立つ車だ。隠密行動を心がけてる手前、なるべく人目のつかない場所に駐車するのが無難だろう。
 一応、寝袋を取りに来たついでに人の気配がないか確認する志戸……。五感を研ぎ澄ませ、あたり一帯の気配を探る。これも、幼い頃から繰り返し躾けられてきた習慣でもあった。
 ……すると、塀の向こうから車のエンジン音が微かに聞こえる。
 いったい何者だろうか。こんな夕飯時に珍しい。咄嗟に懐中電灯の明かりを消してから、志戸は足音を立てずに正門に近づく。身を潜め、(いぶか)しめながら道路側を覗くと、ちょうど一台のタクシーがやってきたところだった。
 車が停まり、扉が自動で開く。おもむろに車内から出てきたのは年老いた老人がひとり。身長は低く、禿げ頭で猫背。出っ歯で吊り目のネズミ顔だった……。
 唐草模様(からくさもよう)の風呂敷袋を抱えて、よろよろと降りる。荷物が重いのか、その覚束無(おぼつかな)い足取りで、ゆっくりと屋敷に向かってくるではないか……。
 そう言えば昼間、虎鉄が客人の話をしていたのを思いだした。仙台で受け取る荷物があるとかなんとか。とはいえ、人違いの可能性もあった。ならば、早急に確かめる必要があるだろう……。と、志戸が動こうとした瞬間──。

 「おい、そこの小僧っ! 隠れとらんで、さっさと手伝わんかっ!」

 いきなり飛び込んでくる怒号。志戸が身構える暇なく、その目線からして位置を的確に捕捉されていたのだった。完全に気配を殺していたのにも関わらず、いとも簡単に見破られてしまった……。ありえない話ではなかったが、故郷にいる婆様たちにも匹敵する察知能力。この老人も伊達に歳を積み重ねている訳でもなさそうだった。
 このネズミ顔の老人、只者ではない──。
 直感的にそう思った志戸は隠れるのを直ぐに止め、タクシーが視界から走り去るのを待ってから姿を現す。どんな修羅場を潜ってきたのか。雪や暗闇で見れないにも関わらず、気配だけで此方の位置をしっかり捕らえているとは……。
 志戸は頭を下げて(はばか)るように言う。「申し訳ございません。直接おいでになるとは聞いてませんでした」
「別にええ、気にせんでくれ」
 次いで、老人は雪を払いながら「これも頼むでな」と、その場に荷物を置く。そして擦れ違い様に「しっかり、精進せえよ」と志戸の腰のあたりを叩いて敷地の中に入ってゆく──。
 果たして、何処の何者なのか。敬意ではなく、志戸は畏怖にも似た感情を抱きつつも、ネズミ顔の老人の後に続く。慌てて任された荷物を持ち上げると、ずしりと異様に重い……。体感としては三十キロ以上はあるだろうか……。
 そうして、騒ぎを聞きつけのか、玄関先では既に虎鉄が出迎えていた。
「これは先生、お待ちしておりました。どうぞ、中へお入りください」と、明るく歓迎している。二人は旧知の仲なのか、声の抑揚からして非常に親しい感じだ。虎鉄は温厚に、和やかに老人を屋敷に受け入れるのだった。
 ……がしかし、虎鉄の声色には意外性や動揺の色が若干含まれていた。
 情報の行き違いでも発生しているのだろうか。それは、傾向や特色とは言い難い「ゆらぎ」のような感情の残穢(ざんえ)ではあったが、志戸が唯一誇れる判断能力でもある。おそらく、虎鉄はこの老人が

なのだ。
 次いで、玄関から出てきた景勝も似たような印象を抱いたはず……。
 現に、景勝の視線から警戒サインが送られている。我々にとっては招かれざる客なのか……。十分に用心して接待しろという、意思表示でもあった。志戸は荷物を丁重に運び入れ、座敷の板間にゆっくり置く。老人の鋭い睨みが効いているのもあるが、おそらく魔女が渡したかったブツというはコレに違いなかった。
 老人は疲れた素振りで靴を脱ぎ、図々しくも座敷の上座に向かう。
 喉が乾いた、茶はまだなのか、と言いたそうな面持ちで怠そうに佇む。その太々しい態度に急かさるように、虎鉄は急いで座布団を敷くのだった。
 その素振りを見て、反射的に湯呑みを探す景勝。食後に残しておいたずんだ餅を小皿に分ける志戸。更に、お茶と急須を手にして右往左往する虎鉄から、ネズミ顔の老人の威圧感がひしひしと伝わる。この老獪(ろうかい)もまた、通常の常識では計りきれない剣呑(けんのん)な気配を孕んでいたのだった。

 「……おいおい、みんなでお茶を淹れてどうすんだよ」
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