其の六

文字数 2,101文字

   *

 ──格子状の小さな窓から行く筋もの薄い朝日が差している。
 延々と鳴り響く揚陸艇のエンジン音であまり寝れた気がしない。おまけに動きが鈍く、なかなか疲れが取れないときてる。齢が四十を過ぎたあたりから度々感じている老いの兆候……。まるで目に見えない小さな重石(おもし)が身体に付随され、年々その数が増えてゆくようだった。
 無機質や船室はいっそう冷え込み、備え付けのストーブが赤く光っている。
 厚いマットを敷いていても、身体の芯まで冷える床ぞこ。長臣は寝袋から寒そうに起き上がり、気持ちよさそうにイビキをかく九十九に目をやった。どこでも寝れるというのは実に羨ましい。ただ、この神経の図太さこそが肝心なのだ。よく食べ、よく働き、よく眠る。これだけでも長丁場で戦える兵士の必須条件といえた。
 重ねて、もう一人の若者である左吉は昨夜から操舵室にいる。
 既に丸三日間は寝ておらず、ますます彼等の噂が真実味を帯びてきた。世の中には「ショート・スリーパー」なる人間がいるのを耳にしているものの、それでも四時間から五時間の睡眠が必要だと聞く……。それに比べて〝ネムラズ〟である左吉は一睡もしていないではないか。
 ──規格外にも程がある。本来であれば顔に疲れが出たり、判断力が鈍ってくる頃なのだが、未だその気配すら感じられない。日頃と変わらぬ涼しげな顔。(むし)ろ精気が(みなぎ)るような瑞々しい表情をしているのであった。
 …‥そろそろ目的地に到着する時間帯だろうか。
 長臣は小さな欠伸をしながら甲板へと出て外の様子を伺う。濃霧により視界は不良。風はさほど吹いてはいないが、想像以上の寒さだ。北方へ来るのは久しく、この刺すような冷たさは過去の記憶を呼び起こす。ただ、うっすらと陽が差しきたのは有り難かった。
 昨夜の時化も落ち着き始めている。左吉の話によると、この先にネムラズの「隠し港」があるらしい。手先が器用で、高度な加工技術を持つといわれるネムラズ……。それに加えて、内外を問わず、村を総出で仕事を請け負っているだけあって非常に用心深かった。厳しい冬に備えて、方々から物資なども調達していたのだろう。
 そして、横に目を移せば、機動戦車の「グラス・ジョウ」がある。現代兵器に似合わない輝くような白銀色だ。そして無骨な戦車の外殻とは言い難い美しいフォルム。どういう訳か、外装がまた微妙に変形していた。
 特に、戦車後部から剥き出しになっているアンテナ類が複数目立つ。どうやら、これが「ミサイル・システム」とやらの要であり、先日あった不具合の原因のひとつでもあった。現在は軌道上の人工衛星とリンクさせ周辺海域を監視している状態だそうだ。
 目覚めがてら煙草に火をつけ、長臣は気怠そうに空を見上げる。
 宇宙にある衛生軌道からの索敵とはまた凄い発想だ。
 数年前に某共産圏の連中が初の『人工衛星』を打ち上げたのは知っていたが、魔女たちは随分と前からこの実験を成功させたことになる。どうやら、我々人類の科学力というのは、その殆どが彼女らの後追いに過ぎないのだろう。だが、昨今における人類の発展や進捗は日々目覚ましいものがあった。
 この衛生技術とて、数十年後の世界には当たり前の景色として存在していることだろう。人生の残り半分を通り過ぎ、もう折り返し地点だ……。その頃、自分はどうなっているのか。
 いや、先のことなど考えても意味がない。明日生きられるかどうかも分から戦地に足を踏み入れようとしているのだ。楽観的な観測は無駄に死期を早める。長臣はそう自らを戒めるよう、左吉のいる操舵室へと足を運んだ。

 ──おはようごさいますぅ。

 真っ先に声をかけてきたのは、京訛りの遊佐だった。ちょうど、朝食を持ってきたところだったのか、序でとばかりに手にしている〝オニギリ〟を長臣に手渡す。そして「あとはよろしゅう」と入れ替わるように操舵室からそそくさと出てゆく。
 目線からして、遊佐は機動戦車に朝食を届けるのだろう。昨夜は遅くまで点検や作業をしていたのもあり、カカは戦車内に籠りっきりだったはず。そのまま後部座席で眠ってしまったようで、搭乗を示す灯りだけが静かに点滅していた。
「オミさん、おはようごさいます。ゆっくり寝れましたかね? 魔女のカカなら、ほぼ徹夜だったみたいですよ」
 と、左吉が補足を付け足し爽やかに挨拶をする。
 咀嚼(そしゃく)をしながらオニギリを口に頬張り、味噌汁を胃に流し込む。先日から度々目にしているものの、あらゆる運転技術に精通していたのだろう。戦車もそうだが、片手で操舵をしながら実に器用なものである。
「ところで、例の隠し港はそろそろか?」
「ええ、もう()えてますよ」
「あっ? なんだって?」
「ほら、あそこですよ」
 と、左吉が薄く広がる海岸線を指差してみたものの、長臣の目には何も映ってはいない。何かの見間違いなのかと、再び目を凝らしてみたが然程変わらなかった。霧のせいもあるのだろうか。だが、左吉には隠し港が確かに見えている。さすが北方の山育ちといったところか、目の良さについても一日之長がある。

 ……やがて、数分も経たないうちに小さな砂浜が現れたのだった。
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