5章―2

文字数 3,456文字

「今日はあんまり降ってなくてよかったですね!」

 オズナーは隣でにんまりと笑う。ゴーグルとニットキャップをしっかり身につけ、両手にはトレッキングポール。普段とは異なる姿に、ユーリットは思わず緊張する。

「うん。でも山の天気は変わりやすいからね、帰り際にはすごいことになってたりして」
「縁起でもないこと言わないでくださいよー!」

 焦り出すオズナーに、ユーリットは笑いが止まらなくなる。ふざけて体を寄せ合いながら、雪の道を歩き続けた。

 この山は、森に覆われたなだらかな地形である。したがって風はほとんどなく、登山初心者の二人でも難なく歩けている。
 実は、ユーリットの初登山は今日ではない。数年前の冬、同じ目的でこの地を訪れていたのだ。あの時はひとりきりの旅路だったが、今は愛する人が隣にいる。それだけで、厳しい登山が楽になる気がした。

「そういえば、昔は一人で来てたんですよね? きつくなかったですか?」
「うーん、前来た時は雪の降り始めの時期だったから、ここまで酷くはなかったかな。それでも、帰る頃にはぐったりしてたけどね……」

 当時を思い出し、苦笑する。途端に「今日も無理しないでくださいね」と心配されるが、ユーリットは明るく笑い飛ばした。

「大丈夫だよ。君がいてくれるし、何より楽しいから!」

 森の道を進み、小まめに休憩を取りつつ散策を楽しむ。途中で何度か雪がちらついたが、次第に日が差してきた。
 そして、景色は森から雪原へと変わる。誰にも踏み荒らされていない、まっさらな雪の絨毯。柔らかな光に照らされ、目に映る全てが輝いて見えた。

「うはぁ、すっげぇ」

 隣では、オズナーが口を開けて感嘆している。ユーリットも思わず足を止め、この美しい風景に目を奪われていた。すると、オズナーが「ん?」と声を上げた。

「ユーリさん、あれってもしかして……」

 彼は道の向こうを指差す。ユーリットもその先を見ると、見覚えのある水色があった。二人は急いで近寄る。ユーリットの好きな水色の花が、辺り一面に咲き誇っていたのだ。

「『Winter's(冬の) hope(希望)』……やっと、見つけた!」

 この旅の目的は、この花の群生地に辿り着くこと。深い雪を押し退け、太陽に向かって顔を上げる様子は、まさに『冬の希望』だった。

 以前ひとりで訪れた時は咲き始めの頃で、一斉に花が開いた様子は見られなかった。うん十年前に見た植物図鑑の写真のように、雪原を覆い尽くす姿を見てみたい。駄目元で提案したところ、オズナーは快く賛同してくれた。
 ここに到着するまでの道のりは厳しく、疲労の連続だった。しかし、その全てを吹き飛ばすほど、この光景は二人に希望を与えてくれた。

「オズナー。この花言葉、知ってる?」

 オズナーは「え」と狼狽えている。ユーリットはトレッキングポールを雪に横たえ、腰を落とした。

「『困難に立ち向かう強い力』。それと、『あなたは私の希望』、だよ」

 可愛らしく、凛とした花びらに顔を寄せる。オズナーも同じように屈み、ユーリットに体を寄せた。

「ユーリさんにぴったりじゃないですか!」
「ふふっ、僕より君の方が似合ってるよ」

 再び固まった彼の両手を取り、ユーリットは彼に、感謝の気持ちを伝える。

「立ち直れないことがいっぱいあったけど、君がいてくれたから、僕は前を向けるようになったんだ。オズナー、ほんとうに……ほんとうに、ありがとう」

 この旅のもうひとつの目的は、絶望の底から救ってくれたオズナーに、感謝と愛を伝えること。ユーリットにとって彼は、『希望』そのものだった。
 オズナーは鼻をすすり、ユーリットに勢い良く抱きついた。その反動で雪原に突っ伏し、二人は笑い出す。そして、『冬の希望』に見守られながら、再度抱きしめ合った。


――
「ユーリさん。三十四歳の『誕生日』、おめでとうございます!」
「もう、年齢は言わないでよ……」

 二人はグラスを交わし、同時に中身を飲み干す。[獣]であるオズナーにはノンアルコールのスパークリングワインを注いだはずだが、何故か酒をあおっているように見えた。
 コテージに戻り、『誕生日』パーティーを始めた二人。丸太のテーブルには『家』から持ちこんだご馳走が並んでいた。更に、冷蔵庫には豪華なバースデーケーキが控えている。ユーリットの後輩でもある『家』のシェフが、腕を奮いすぎたのだ。

「そういえば、オズナーの誕生日ってまだ聞いてなかったな。いつ頃なの?」

 温かいシチューをすすりながら、ユーリットはオズナーに問う。しかし、彼は気まずそうに、目線を宙に向けた。

「いやー、実はよく分かんないんですよねー。歳はラウロとアンヌより下っぽいって思ったから、勝手に二十二歳って言ってたけど……」

 オズナーも自分と同じ孤児なのだ。物心ついた頃にはひとりきりだった彼らには、誕生日など分かるはずもない。ユーリットはスプーンを置き、オズナーを真っ直ぐ見つめた。

「だったら、君の『誕生日』も今日にしよう。オズナー、二十三歳の『誕生日』、おめでとう!」
「えっ、ユーリさんと同じでいいんですか?」

 唖然としながらも喜びを抑えきれないオズナーに、大真面目に笑ってみせる。

「もちろんだよ。こうして毎年一緒に祝えるんだもの、その方が二倍嬉しいよ」

 彼の赤い瞳が潤む。ユーリットは、再度グラスに飲み物を注いだ。

「改めてもう一回、ね?」

 グラスを持って顔を覗きこむと、オズナーは慌ててグラスを取った。

「はい! ユーリさんと俺の『誕生」
「ちょっと待って」

 ユーリットはあることを思いつき、言葉を遮る。「どうしたんですか?」と心配され、少しだけ、緊張した。

「もう、敬語なんていいから。僕のこと、『ユーリ』って、呼んでほしいな」

 オズナーの白い顔が、一気に赤く染まる。ユーリットもつられて赤面しながら、「早く早く」と彼を急かした。

「じゃ、じゃあ……ユーリ……、と、俺の『誕生日』を祝って、乾杯」
「乾杯」

 互いに震える手でグラスを交わす。その瞬間、オズナーは奇声を上げて一気飲みした。

「っだああああぁ、慣れねええええぇ‼」

 あまりの恥ずかしさ故か、彼は髪を掻き乱しながら床を転げ回る。ユーリットも高まる鼓動に煽られ、急激に酔いが回った気がした。

「で、でも、すごく嬉しかったよ。何だか恋人っぽいことしてるなぁ、って」
「確かに恋人っぽいことですけど! じゃなかった、恋人っぽいことだけど! うわあああああ‼」

 オズナーは自分で訂正した言葉に打ちのめされ、再度転げ回る。ユーリットは照れ隠しにグラスを取ろうとしたが、テーブル上のボトルを見て凍りついた。似たような背格好の透明なボトル。しかしノンアルコールのボトルは、スパークリングワインより一杯分、多かった。
 ユーリットは振り返る。床に転がるオズナーの顔は異常なほど赤く、どう見ても、酔っ払っている。二回目の乾杯の時に、間違えてアルコール入りの方を注いでしまったようだ。

[獣]にアルコールは厳禁である、というレントの忠告が脳内で反響する。青ざめているうちにオズナーと目が合い、彼はふらふらと起き上がる。ゆっくりと近寄るその目は、いつもの人懐こい青年のものではなく、本能のまま動く[獣]そのものだった。


――
 結局、二人の『誕生日』は修羅場と化した。
 翌日は二人揃って一歩も動けず、元々一週間滞在予定だったが、一日延期することを決めた。互いにやらかしてしまったことで反省する二人だったが、この後は比較的穏やかな休暇を過ごした。
 麓の町の花屋から『冬の希望』の種を分けてもらったり、コテージでまったり読書したり、しばしば愛を語り合ったり。充実した時間を過ごした二人は、(延期後の)予定通り帰郷することとなる。

 こうして、長かった冬は終わりを迎え、季節は春へと移り変わる。

 長い間滞在していた[家族]も『家』を旅立ち、賑やかだった生活は一変、静かな日常へと戻った。
 毎日のように来店していたアンヌは、どうやら新しい仕事を始めたらしく、平日は姿を見せなくなった。一気に寂しくなったが二人きりの時間が増え、ユーリットは次第に、恋人としての新しい呼び方に慣れてゆく。
 女性客の前では相変わらず『女性恐怖症』に襲われるが、それもだんだんと、症状が緩和されてきた。

 目が覚めるとオズナーが隣にいて、夜寝る時は見守られながら眠りにつく。愛し合い、信じ合い、この幸せはいつまでも続いてくれる

 ……はずだった。



You're my hope
(君は僕の希望)


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登場人物紹介

【ユーリット・フィリア】

 男、33歳。SB近所で植物園を営む。

 肩より短い水色の短髪。重力に逆らうアホ毛が印象的。

 内気な性格。背が低い上童顔なので、実年齢より若く見られることが多い。

 女性恐怖症。愛称は『ユーリ』。

 [潜在能力]は『五感が優れており、[第六感]も持つ』こと。

【オズナー】

 男、22歳。ユーリットが営む植物園のアルバイト店員。『兎』。

 癖のある白色の短髪。瞳は赤色。若者らしいラフな格好。

 軽い性格だがユーリットからは信頼されている。

 アンヌとは昔からの知り合いで、兎猫……いや、犬猿の仲。

【アンヌ】

 女、23歳。ミルド島の女怪盗。『猫』。

 肩までの黒い巻毛。瞳は黄色。露出度の高い服装を好む。

 我が儘で気まぐれだが、一途な一面も見せる。

 ユーリットを女性恐怖症に陥れた張本人だが、事件後何故か彼に好意を抱くようになった。

【レント・ヴィンス】

 男、年齢不詳(見た目は30代)。SBを開設した考古学者。ユーリットを『家族』に迎え入れた恩人。

 癖のついた紺色の短髪。丸い眼鏡を身に着けている。服装はだらしない。

 常に笑顔で慈悲深い。片づけが苦手で部屋は散らかっている。

【リベラ・ブラックウィンド】

 女、32歳。SB近所で診療所を営む。ニティアの妻。

 毛先に癖がある黒い長髪。右の口元のほくろが印象的。おっとりとした性格。趣味は人の恋愛話を聞くこと。

 [潜在能力]は『相手の体調・感情が分かる』こと。

【ニティア・ブラックウィンド】

 男、35歳(初登場時は34歳)。リベラの診療所の薬剤師。リベラの夫。

 白いストレートの短髪。白黒のマフラーを常に身に着けている。極端な無口で、ほとんど喋らないが行動に可愛げがある。

 [潜在能力]は『風を操る』こと。

【ウェルダ・シアコール】

 女、27歳。SB近所の交番勤務。

 赤みがかった肩までの黒髪。瞳は茶色。曲がったことは嫌いな性格だが、面倒臭がり。

 [潜在能力]は『手を介して加熱出来る』こと。

【ヒビロ・ファインディ】

 男、35歳。[世界政府]の国際犯罪捜査員。ユーリットの初恋相手。

 赤茶色の肩までの短髪。前髪は中央で分けている。

 飄々とした掴み所のない性格。長身で、同性も見惚れる端正な顔立ち。同性が好きな『変態』。

 [潜在能力]は『相手に催眠術をかける』こと。

【ノレイン・バックランド】

 男、35歳。[オリヂナル]団長。ユーリットの親友。

 焦げ茶色の癖っ毛に丸まった口髭が印象的。喜怒哀楽が激しくおっちょこちょい。髪が薄いことを気にしている。愛称は『ルイン』。

 [潜在能力]は『他の生物の[潜在能力]を目覚めさせる』こと。

【ラウロ・リース】

 男、25歳。[家族]の一人。オズナー、アンヌとは旧知の仲であり、盟友。

 腰までの長さの薄茶色の髪を一纏めにしている。容姿・体型のせいで必ず女性に間違われる。

 [潜在能力]は『治癒能力が高い』こと。

【トルマ・ビルメット】

 男、40歳。SBの助手で、家事担当。

 クリーム色の長髪を後ろで緩くまとめている。瞳は琥珀色。見た目は妖艶な美女。

 普段は穏やかで優しいが、ややサディスティック。趣味は園芸。

 [潜在能力]は『相手の考えていることが分かる』こと。公言していないが、『狐』である。

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