4章―3

文字数 3,257文字

 夫婦は部屋を出る。オズナーも後を続くと、裏口の手前で、リベラは振り返った。

「オズナー。ユーリやレント先生から[潜在能力]について、聞いてるよね?」
「は、はい。それがどうかしましたか?」
「私は『目が合った人の感情や体調が分かる』の。もちろん、ユーリに対するあなたの気持ちもね」

 リベラは温かみのある黒い瞳で、オズナーを見つめた。オズナーは一気に動揺したが、彼女に両腕をしっかり掴まれ、飛び上がりそうになる。

「ユーリの初恋相手がヒビロだった、ってことも知ってるよね。今のユーリは、ショックで体調がおかしくなってる。私達『家族』も、一番の『親友』のルインでも、ユーリの心は癒せない。だから、あなたに託したいんだ」
「えっ、な、なんで、俺に……」
「ユーリは、あなたのことを好きだと思ってる。ずっとヒビロに片思いしてて気づいてないけど、間違いないよ」

 彼女の目に嘘はない。オズナーは予想もしなかった事実に、返す言葉がなくなる。

「だから、ユーリの気持ちを全部、受け止めてあげて。傷ついた心に寄り添ってあげて。あなたにしか出来ない、特別なことだから」

 リベラは励ますようにオズナーの両腕をポンポンと叩き、裏口のドアを開けて外に出る。ニティアは泣きながらオズナーを抱きしめ、妻の後に続いた。
 外は既に真っ暗。この家にいるのは、自分とユーリットの二人だけ。オズナーはリベラの言葉を噛みしめ、静かに拳を握った。


――――
 解熱剤を服用してから二時間半が経つ。ユーリットの体温は一向に下がらない。リベラの懸念はどうやら、的中してしまったようだ。
 オズナーはユーリットの傍から離れようとせず、一定時間でぬるくなる脇の下のタオルを取っては替えてくれる。
 数時間前に機能停止した思考は、徐々に回復しつつある。しかし、信じられない事実を思い返す度に心が苦しくなり、熱へと変わるのだ。

 先程リベラから言われた、治療方法。『自分の心を解放する』とはどういうことか、今なら分かる。
 数年前の自分だったら、その選択は出来なかっただろう。悲しい出来事は心の奥に閉じこめ、我慢し続けた。本当に辛くなったら『親友』の胸を借りるところだが、この件だけは、彼に会ってもただ苦しいだけになる。

 数ヶ月前、オズナーに弱さを打ち明けたことを思い出す。彼は自分を突き放すことなく、否定することもなく、傍にいてくれた。どんな時でも純粋な愛を向けてくれるオズナーなら、きっと。

「オズナー、いいかな」

 ゆっくりと体を起こす。オズナーはそれに気づくと慌てて立ち上がった。ユーリットは彼が近づいた隙を狙い、胸にしがみついた。

「ユっ、ユーリさん⁉」

 驚くほど早い鼓動と、自分のものではない熱が伝わってくる。「しばらくこのままでいい?」と聞くと、オズナーはあの日と同じように、優しく抱きしめてくれた。

「僕は昔からずっと、……ずっと、ヒビロのことが好きだった」

 ユーリットは、心の奥底に隠していた想いをぽつり、ぽつりと引き出してゆく。
 うん十年前、ヒビロに見せられた幻想(ゆめ)を通して恋に落ちたこと。彼の本命は最初からノレインで、自分の想いなど伝えるだけ無駄だったこと。ノレインはメイラを選び、諦めかけていた心に再び火が点いてしまったこと。少年時代の秘めた想いは初めて言葉になり、自分を抱きしめる腕を震わせる。

「いつか、僕のところに来てくれるんじゃないか、って思ってた。……思ってた、のに」

 言葉は詰まり、心の傷口が激しく痛んだ。ヒビロの子供の顔が嫌でも思い出される。
 ヒビロにも、ノレインにも似た幼い少年。同性が好きなはずだった彼が愛したのは、『親友』の面影を残した女性で。結局、自分の想いが届くことなどなかったのだ。

「オズナー……つらい、……つらい、よ……」

 誰にも言えなかった感情を絞り出すと同時に、涙が溢れた。ずっと溜めこんだ悲しみは大粒の涙となり、止まらなくなる。
 オズナーはユーリットの頭に優しく触れ、力強く抱き寄せた。彼の温もりが体中に染み渡り、ユーリットは震える。

「なんで……、僕、は……あの、時……!」

 何であの時、『初恋』を諦めなかったのだろう。
 あらゆる感情が押し寄せ、頭の中が掻き乱される。ユーリットはオズナーの胸元を両手で握り締め、声を上げて泣き崩れた。


――
 左手に温もりを感じ、ユーリットは目が覚めた。窓から見える景色は、ぼんやりと明るい。どうやらあのまま、眠ってしまったらしい。
 身を焦がすような熱は、綺麗さっぱり消えていた。リベラの見立て通り、やはり失恋のストレスが原因だったようだ。辛い想いを全て吐き出したことで、すっきりと心が晴れ渡っている。もちろん、ヒビロへの未練もすっかり消えた。

 その時、左手の中で何かがもぞもぞと動いた。目を向けた先を見て、ユーリットは飛び起きる。オズナーが彼の手を握ったままベッドに頭を乗せ、眠っていたのだ。
 体を起こした弾みに、オズナーはむにゃむにゃと目を覚ました。手の先で震えるユーリットが目に入るや否や、オズナーは飛び上がった。

「ユーリさん! だっ、大丈夫ですかっ⁉」

 慌てて額に手を当てられ、ユーリットの体は再び熱くなる。昨日のような高温ではないが、顔から火が出そうなほど熱く感じた。

「うーん、昨日よりはだいぶマシだけど、顔は赤いよな。もうちょっと休んだ方がよさそうですね?」

 真っ赤な瞳が眼前まで寄せられ、心臓の鼓動が激しくなる。ふと、ユーリットは異変に気づいた。自分は何故、彼と目が合っただけで緊張しているのか。何故、彼に触れられただけで、こんなにも体が熱くなっているのか。
 普段は警告しか出さない[第六感]が、初めて別の音を鳴らす。これこそが、本当の『初恋』なのだ、と。

「僕は、馬鹿だ」

 面食らうオズナーから目を離し、ユーリットは自分自身を罵る。幻想(ゆめ)というフィルターに長い間覆われていたせいで、心がおかしくなっていたのだ。
 成就しない恋を憂うあまり、周囲の人の感情も[第六感]の親切心も届かなかった。それはヒビロのせいではなく、自分で耳を塞ぎ続け、周囲を拒絶し続けたことが原因だ。

 ユーリットは握られた左手に、右手を添える。その途端、耳に届くオズナーの鼓動が一段と強くなった。

「僕は何にも見えてなかったんだ。君の気持ちも、自分の気持ちも」

 彼を真っ直ぐ見つめる。もう、迷いなどない。ユーリットは、自然と笑顔になっていた。


「オズナー。僕を好きになってくれて、本当にありがとう。……僕も、君のことが大好きだよ」


 真っ赤な瞳が震え出し、涙で満たされてゆく。オズナーはユーリットを力一杯抱きしめ、泣き叫んだ。

「うわあああああ! こちらこそ、ありがとうございまあああああああああ‼」

 勢い余ってベッドに倒される。密着され、毛布越しに伝わる熱が心地良い。幼い少年のように泣き崩れるオズナーの頭を、笑いながらポンポンと叩いた。
 しばらくそのままでいると、彼はようやく落ち着いてきたのか、体を離す。しかしその顔は、相変わらず緊張していた。

「ユーリさん。俺の恋人になってくれますか?」

 返答してしまうと、もう、後戻りは出来なくなる。恋人になるということは、ヒビロと過ごした時以上に濃密な時間を過ごすことになるのだ。しかし、ユーリットは迷わず頷いた。弱さを共有した彼となら、この先何があっても信じ合えるだろう。
 オズナーは再度ユーリットを抱きしめ、耳元で囁いた。

「キスしても、いいですか?」

 以前聞いた、『兎』の特性を思い出す。彼は『性欲が強い』と恥じらいながら白状していた。オズナーはきっと、大好きな自分に触れることも叶わず、今まで苦しみ続けていたのだろう。
 ユーリットは「いいよ」と返し、目を閉じた。すぐに彼の匂いが鼻をくすぐり、そっと唇が重ねられた。

『人を好きになる気持ち』って、こういうことなんだ。

 ユーリットは心に広がる温かな感情に、ようやく気づいたのだ。



Heal a broken heart
(『初恋』に隠れた、本当の気持ち)


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登場人物紹介

【ユーリット・フィリア】

 男、33歳。SB近所で植物園を営む。

 肩より短い水色の短髪。重力に逆らうアホ毛が印象的。

 内気な性格。背が低い上童顔なので、実年齢より若く見られることが多い。

 女性恐怖症。愛称は『ユーリ』。

 [潜在能力]は『五感が優れており、[第六感]も持つ』こと。

【オズナー】

 男、22歳。ユーリットが営む植物園のアルバイト店員。『兎』。

 癖のある白色の短髪。瞳は赤色。若者らしいラフな格好。

 軽い性格だがユーリットからは信頼されている。

 アンヌとは昔からの知り合いで、兎猫……いや、犬猿の仲。

【アンヌ】

 女、23歳。ミルド島の女怪盗。『猫』。

 肩までの黒い巻毛。瞳は黄色。露出度の高い服装を好む。

 我が儘で気まぐれだが、一途な一面も見せる。

 ユーリットを女性恐怖症に陥れた張本人だが、事件後何故か彼に好意を抱くようになった。

【レント・ヴィンス】

 男、年齢不詳(見た目は30代)。SBを開設した考古学者。ユーリットを『家族』に迎え入れた恩人。

 癖のついた紺色の短髪。丸い眼鏡を身に着けている。服装はだらしない。

 常に笑顔で慈悲深い。片づけが苦手で部屋は散らかっている。

【リベラ・ブラックウィンド】

 女、32歳。SB近所で診療所を営む。ニティアの妻。

 毛先に癖がある黒い長髪。右の口元のほくろが印象的。おっとりとした性格。趣味は人の恋愛話を聞くこと。

 [潜在能力]は『相手の体調・感情が分かる』こと。

【ニティア・ブラックウィンド】

 男、35歳(初登場時は34歳)。リベラの診療所の薬剤師。リベラの夫。

 白いストレートの短髪。白黒のマフラーを常に身に着けている。極端な無口で、ほとんど喋らないが行動に可愛げがある。

 [潜在能力]は『風を操る』こと。

【ウェルダ・シアコール】

 女、27歳。SB近所の交番勤務。

 赤みがかった肩までの黒髪。瞳は茶色。曲がったことは嫌いな性格だが、面倒臭がり。

 [潜在能力]は『手を介して加熱出来る』こと。

【ヒビロ・ファインディ】

 男、35歳。[世界政府]の国際犯罪捜査員。ユーリットの初恋相手。

 赤茶色の肩までの短髪。前髪は中央で分けている。

 飄々とした掴み所のない性格。長身で、同性も見惚れる端正な顔立ち。同性が好きな『変態』。

 [潜在能力]は『相手に催眠術をかける』こと。

【ノレイン・バックランド】

 男、35歳。[オリヂナル]団長。ユーリットの親友。

 焦げ茶色の癖っ毛に丸まった口髭が印象的。喜怒哀楽が激しくおっちょこちょい。髪が薄いことを気にしている。愛称は『ルイン』。

 [潜在能力]は『他の生物の[潜在能力]を目覚めさせる』こと。

【ラウロ・リース】

 男、25歳。[家族]の一人。オズナー、アンヌとは旧知の仲であり、盟友。

 腰までの長さの薄茶色の髪を一纏めにしている。容姿・体型のせいで必ず女性に間違われる。

 [潜在能力]は『治癒能力が高い』こと。

【トルマ・ビルメット】

 男、40歳。SBの助手で、家事担当。

 クリーム色の長髪を後ろで緩くまとめている。瞳は琥珀色。見た目は妖艶な美女。

 普段は穏やかで優しいが、ややサディスティック。趣味は園芸。

 [潜在能力]は『相手の考えていることが分かる』こと。公言していないが、『狐』である。

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