3章―2
文字数 3,625文字
翌日。ユーリットは昨日の一件以来、まともに口を聞いてくれなかった。まだ怒っているのだろうか、と様子を伺うものの、どうやら違うらしい。
彼が落ちこんでいるのは分かった。だが、『何に対して』なのかは分からず、オズナーは声をかけられなかった。そして気まずい雰囲気が続いたまま、開店時間を迎える。
「今日はお客さん、いっぱい来てくれるといいですね!」
気分を盛り上げようと明るく振舞うが、ユーリットは暗い表情のまま頷くだけ。花が咲くようなあの笑顔は、もう見られないのだろうか。
すると、玄関の呼び鈴が鳴った。
「ハーイ! ユーリ、遊びに来たわよ!」
オズナーは「げっ」と呻く。昨日に続いてアンヌが来訪したのだ。だがユーリットは無言で席を立ち、「あの人を追い出してきて」と指示すると栽培室に消えた。
「えっ、ちょっと、ユーリったらどうしちゃったの?」
既に取っ組み合っていた二人は、呆然とする。アンヌは酷く心配した様子で「あんた、いったい何やらかした訳?」とオズナーを責めた。彼女の揺さ振る手を止め、オズナーは溜息をつく。
「俺にも分かんねぇよ。ただ、昨日告白したらめっちゃ怒られてよ……」
「どさくさに紛れて何やってんのよ!」
「最後まで聞けって! ユーリさん、自分が人に好かれるなんて有り得ないって言ってた。それどころか、お前と同じようにからかってるのかって、信じてくれないんだよ。その後はずっとあんな調子だから、何が悪かったのか……」
彼女の黄色い瞳が、怯えた猫のように細くなる。
「わ、私だって本気よ。からかってるつもりなんて、少しもないのに!」
「あぁ。俺も、お前が本気なんだって分かる。ユーリさんは鈍感っていうより、きっと、他人を信じられないんだ」
その時、玄関の呼び鈴が再び鳴った。
「こんにちはー! ユーリ、久し振りー!」
オズナー達は振り返る。玄関先には二人の女性がいた。マゼンタの髪を高い位置に纏めた女性と、姉妹だろうか、同色の髪を三つ編みにした女性。彼女らは店内をきょろきょろ見回し、不安げに二人を見る。
「えーっと、あなた達はお客さん? ここのオーナーさんはどこですか?」
ポニーテールの女性に訊ねられ、オズナーはアンヌを押し退けながら前に出た。
「あっ、俺はここのアルバイトです! でもオーナーは今、ちょっと席を外していて……」
ユーリットの女性恐怖症は、まだ克服されていない。オズナーはいつものように接客しようとするが、口をつぐんだ。栽培室から出たユーリットが、明るい笑顔で彼女らに抱きついたのだ。
「ハナ、アムル、久し振り!」
「ユーリ! 元気そうで良かったよ!」
「お店の方は順調のようね」
三人は楽しげに会話を始める。オズナーとアンヌは、その仲睦まじい様子に面食らっていた。
「ユ、ユーリさん、そのお二人は、いったい……」
オズナーが声を絞り出すと、ユーリットは(アンヌには目もくれずに)嬉しそうに彼女らを紹介した。
「この二人はね、僕が昔働いてた花屋の同僚だよ。二人は姉妹で、カルク島の人なんだ。……あぁ、彼はアルバイトのオズナーだよ」
「ハナ・サニーフィルです! オズナーくん、よろしくね!」
「はじめまして、姉のアムルよ。ユーリのこと、大切にしてあげてね」
ポニーテールの妹ハナはオズナーと握手し、三つ編みの姉アムルは頭を下げる。ユーリットはまたしても苦笑した。
「もう、アムルまで。オズナーは僕の恋人じゃないよ」
「えっ、違うの?」
「当たり前でしょ。そういえば二人共、お店はどうしたの?」
ユーリットの問いに、姉妹はにんまりと笑った。
「今日は秋の花を仕入れに来たの。お父さんとお母さんが、お姉ちゃんと一緒に行って来いって!」
「ミルド島のお店や市場を何件か回る予定なのよ。よかったらユーリも一緒にどう?」
「行きたい! ちょっと待ってて」
ユーリットは即答し、エプロンを外しながらリビングに向かう。数秒後、彼はバッグを手にすれ違いざま、オズナーに声をかけた。
「君だったら一人でも大丈夫だよね。申し訳ないけど店番よろしく!」
ユーリットはそのまま店を飛び出した。姉妹もオズナーに「またね!」と挨拶し、彼に続く。ドアが閉まり、カラン、と呼び鈴が響いた。
「ユーリ、女性恐怖症じゃなかったの?」
アンヌの呟きが宙に消える。オズナーは訳が分からぬまま、「たぶん?」と返した。
――
ユーリットが帰宅したのは、閉店時間を過ぎた頃だった。姉妹とは現地で別れたようで、彼は資材やら木の苗やらを抱えて大満足の様子だった。
夕食を囲みながら、ユーリットは姉妹との思い出を語る。彼の笑顔が戻ってほっとしたが、オズナーは、閉ざされた心を簡単に開いた彼女達に嫉妬してしまった。
そういえば、ユーリットはセントブロード孤児院の女子生徒や、ウェルダとリベラに対しても平然としていた。きっと彼の『女性恐怖症』は、見ず知らずの他人に対してのものだろう。
ユーリットが信じるのは、心を許した人のみ。自分は違う。その事実は、オズナーの心を深く抉るのだった。
――――
ハナとアムルに再会した翌日。ユーリットの心は回復し、何事もなかったかのように閉店時間を過ぎる。
「今日もお疲れ様。そろそろ閉めようか」
オズナーが「お疲れ様でした!」と返した瞬間、呼び鈴が鳴った。彼の「げ」という声に、ユーリットは一気に緊張する。また、アンヌが来たのだ。
彼女を追い返そうとしたオズナーは、足を止める。彼の視線は、アンヌが持つ紙袋の中身に釘づけだった。
「ユーリ、話があるの」
ユーリットはリビングに逃げかけたが、真面目な声色に思わず振り返る。アンヌは紙袋から、中の物を取り出した。
「そ、それは……!」
ユーリットは息を飲んだ。アンヌが差し出したのは、盗まれたはずの水色の花だったのだ。
根の部分には湿らせたキッチンペーパーが巻かれており、更にラップで包まれている。盗まれたのは二ヶ月以上前のはずだが、少しくたびれているだけで、枯れてはいない。
「私はユーリからたくさんの物を奪ったわ。でも、この花を語るあなたの笑顔が忘れられなくて、これだけは手放せなかった」
アンヌは強引に、水色の花を手渡した。
「寒冷地で育つ花だって聞いたから、冷蔵庫で育ててみたの。でもそろそろ限界。やっぱりこの花は、あなたに返すわ」
「ど、どうして……?」
彼女は問いに答えず、ただ微笑む。それは、人をたぶらかす笑みではなかった。
「私、もう盗みは辞めるわ。まぁ、何を言っても信じてくれないでしょうけど」
アンヌはピンヒールの靴音を響かせながら、自虐気味に言い捨てる。そして玄関の前で立ち止まり、振り返らぬまま言葉をつけ加えた。
「でもこれだけは言わせて。私も、オズナーも、本気よ。私達は決して、あなたをからかうことはしないわ」
アンヌは「じゃあね」と手を振り、店を後にした。カラン、と呼び鈴が鳴り響く。ユーリットは玄関を見つめ、水色の花を大切に抱えこんだ。
「これで、よし」
栽培室奥の冷蔵室に、水色の花を植え直す。根は残っているため、きっと、種が採れる状態まで回復するはずだ。
「まさかアンヌが、この花を返してくれるなんて……」
ユーリットは感慨深く溜息をつく。正直半信半疑だったが、[第六感]の警告はなかった。彼女はきっと、騙すつもりはないのだろう。
「アンヌの奴、ユーリさんからこの花を奪ったこと、反省してました」
オズナーは隣に立ち、水色の花を愛おしげに眺める。彼の人懐こい笑顔は何処か哀しげだ。
「あいつ、『猫』なんですよ。ガキの頃からのつき合いで、[獣]同士仲良くなったんです。厳しい毎日を生き抜いてきた、俺にとっての『家族』みたいな奴で。だから、何となく気持ちは分かる。アンヌが盗みを辞めるっていうのは、本当だと思いますよ」
ユーリットは、心臓が大きく跳ねる音を聞いた。オズナーではない。自分の音だ。
「アンヌも君も、本気だ、っていうのは……」
「はい。俺達は、ユーリさんのことが本当に大好きです」
心臓が早鐘を打ち出す。涙が溢れ、止まらなくなる。
「ぼ、僕は男で、その前に、こんな欠点だらけの僕が……誰かに、好かれるなんて……」
「ユーリさんがいくらコンプレックスを持ってたって関係ありません。そのままのあなたが、大好きなんです」
オズナーの手が腕に触れる。しかし。ユーリットは、その手を差し戻した。
「オズナー、僕を好きになってくれてありがとう。でも、君の想いには……応えられない」
彼から目を背け、ユーリットは入口で立ち止まる。心が温かくなり、確かに嬉しいと感じた。だがそれ以上に、色あせた哀しい
「僕は……昔からずっと、好きな人がいるんだ」
ユーリットは冷蔵室から立ち去る。涙は止まらない。遠い日の記憶を振り払うように、栽培室を駆け抜けた。
Unbelievable emotion
(信じてもらえない想い)
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