第132話 自信と気概

文字数 720文字

 阿梨は勇駿の懸念をよそに、まだ笑いころげている。
「考えてもみるがいい。戦場で正面からばっさりと切られる、間抜けな間諜がいるものか」
「確かに、間諜にしては迂闊(うかつ)ではありますが……」
 指摘されてみれば、その通りである。が、勇駿の心配は収まらない。
「羅紗語も今ではかなり使いこなせるようになっております」
「白瑛がすっかり気に入って張りついているからな。弟は宮廷育ちゆえ、海の上は退屈とみえる。ちょうどいい話し相手ができたわけだ。毎日熱心に話しこんでいれば、言葉も上手くなろうというもの」
「ですが、白瑛さまとて、いつ危害を加えられるやも……」
 海風にほつれ毛をなびかせながら、阿梨は真面目な顔つきになって、
「あれはそんな人間ではない」
 と、きっぱり言い切った。
「だいたい人見知りの激しい白瑛があれだけなついているのだ。悪い人間ではあるまい」
 勇駿は口をつぐんだ。やれやれ、あの倭国の者はとんだ人たらしだ。白瑛だけでなく、阿梨にまでいたく気に入られたようだ。
「勇駿」
 考えごとの中にいた勇駿は、阿梨が間近で自分をのぞきこんでいるのを知って、どきりとした。すべてを見透かしてしまいそうな漆黒の瞳。
「案ずるな。もしあの者が間諜だとしても、羅紗水軍は──わが一族は、びくとも揺るがぬ」
 自信と気概をたたえた阿梨の顔は、勇駿が見惚れるほど美しかった。
 そう言えば、しばらくあの者のところに行っていない。
 傷は少しは良くなっただろうか。
 思い出すと気になった。阿梨は赤面したままの勇駿を残し、船室へと階段を降りていった。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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