第92話 命令と頼み

文字数 585文字

「まずひとつ。この戦には総大将から厳命が下されている。戦えぬ民には決して手を出さぬよう。民衆への略奪や狼藉も厳禁とする。違反した者は例外なく厳罰を覚悟せよ!」
 この時ばかりは隼人も厳しい顔つきになって宣言した。
 蘇芳が命じなければ、自分の率いる部隊だけでもそうするつもりだった。
 が、すぐに表情を和らげ、
「もちろん九条軍には、そのような不心得者はいないと信じている」
 いつもの柔らかなもの言いで兵たちを安心させる。
「二つめは倭国の軍勢ではわれらが最後尾だという事実だ。戦闘はこの街道のはるか先で行われている。おそらく九条軍の出番はないだろう」
 人々の間に動揺したざわめきが起こった。
 はるばる海を越えてやって来たのに、参戦すらかなわないという現実は、兵たちを失望させるのに充分だった。
 だとしたら、自分たちはこの異国でいったい何をすればよいのか。
 兵たちの困惑する視線を一身に浴びながら、隼人は静かに言った。
「ゆえに武勲など立てずともよい。それにわたしは総大将の柊蘇芳に疎まれているから、そのような機会もないだろう。戦うとしたら、自分と自分の大切な者を守るためだけでいい」
 隼人は改めて兵たちを見つめ、
「最後に、これは命令ではないが、皆に頼みがある」




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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