第116話 移ろいゆく季節 徒然草19

文字数 1,516文字

□折節の移り変わることこそ、ものごとにしみじみとした情感がある。「もののあわれは秋こそまされり」と人は言うけれど、それもさりながら今一際心も浮き立つものは、春の景色こそ、そうだろう、鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかな日陰に、垣根の草萌え出づる頃より、やや春ふかく霞わたりて、花の漸く景色だつのもつかの間、折しも風雨が打ち続いて、心あわただしく散り過ぎていく、青葉になりゆくまで、なにかと心を悩ます。花橘こそ有名であるが、やっぱり梅の匂いにこそいにしえのことも立ち返りて恋しく思いだされる。山吹が清げに、藤のぼんやりしている様子、すべて思いを捨てがたいことが多い。「潅仏の4月8日釈迦の仏像に甘茶をかけ誕生を祝う頃、賀茂祭の頃、若葉の梢涼しげに茂り行くほどこそ、 世の中のしみじみとした味わいも人恋しさもましていくものだ」と人が言うけれど、まことにそのとおりである。
5月、菖蒲が咲く頃、早苗を取るころ、水鳥のたたく音など、心細いものである。6月の頃そまつな家に夕顔の花が白く見えたり、蚊遣火がくすぶるのも情趣があるものだ。六月祓いも奥ゆかしい。七祭りこそ優雅なものである。漸夜寒くなり、雁が鳴く頃、萩の下葉が色づき、早稲の田を刈り干すなど、情趣を取り集めたようなことは秋にはことに多い。また野分の朝こそ面白い。言いつけていると、皆源氏物語・枕草子などに言い古されているけれど、同じことまた今さらに言ったらいいけないわけではないだろう。思っていることを言わないでおくと腹が膨れてくるだろうから、筆に任せて無益な遊びだからかつ破りすてるべきものだから、人が見るものではない。さて冬枯れの景色こそ、秋にはおさおさ劣ることはないだろう。水際の草に紅葉が散り留まりて、霜がいと白く置ける朝、遣り水より霧がたつのも面白いものだ。年の暮れ果てて、人々が忙しそうにしているさまはしみじみと物悲しい。荒涼とした感じで見る人もない月の寒ざむと澄んで二十日過ぎの空こそ、心細きものである。仏名、貢物の使いの出発など、各別である。公務も忙しく、春の行事の準備にあれこれ重なり、催しが行われる様は素晴らしいものだ。大晦日に行われる悪霊祓いから新年の四方拝に続く儀式も面白い。月末の夜、とても暗く松明を灯し、夜半過ぎまで、人の門叩き走り歩いて、何事だろうか、大げさに騒ぎ、足が空を舞うように、暁がたよりさすがに音がしなくなるようであるが、年末の名残であり心細いきもする。亡き人の来る夜だからと魂を祭る行事は、このごろ都では無いが、東国ではではなおすることがあるようでとても感慨深いものがある。かくて明け行く空の景色、昨日に変わりたるとは見えねども、うって変って珍しい心地がする。大路の様子は松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、また感慨深いものがある。
※春夏秋冬の自然や人間社会の移ろいを、描写するのは、源氏物語や枕草子でも行われていることだが、同じようなことを賛美するのは、特におかしいことではありますまい。四季折々の素晴らしい変化に全ての人は心を奪われ幸せを感じる事でしょう。生きていてよかった、与えられた短い人生を、自分なりに楽しみすごしていくことがとても味があるものではないでしょうか。今年は秋になっても気温は30度越え汗をかきかき半袖で仕事をなさる。中旬になり急に寒気が到来し、慌てて衣替え。ようやく秋の気配です。緊急事態宣言も取り消され、行楽のシーズンです。旅へ出ることにしますか。人と集まり、食事し喋ることは人間社会に欠かせぬことなのでしょう。山籠もりが続くと、なにか虚しい。偶には酒でもみんなで飲んで発散したいですよね。
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