第64話 3月10日。通水。

文字数 1,114文字

3月9日からの週末は、所長が珠洲の支援に入っている。
僕は焼き鳥屋で美久ちゃんから出たアイデアを元にして、レイちゃんとも相談しながら、三月家の新しいラフデザインを幾つか描いてみる。
できるだけ三月家皆さんの希望となるような、楽しい未来図が描けたらと思い、何度も検討を重ねた。
美久ちゃんも「いいだしっぺ、ですから。ほとんど覚えてないけど。あはは」と明るく手伝ってくれている。
オンラインで幾つかのラフデザインをやり取りし、お互いブラッシュアップした。

10日は珠洲に居る所長から嬉しい連絡が送られてきた。
避難所の上戸小学校で、水道が通水した瞬間を映した動画だ。
避難している人や近所の人達が集まっていて、水道の蛇口をひねって水が出た瞬間は大きな拍手と歓声が沸き起こった。
涙ぐんでいる女性もいる。

10日は上戸小学校だけではなく、珠洲市役所、珠洲総合病院など市内中心部のおよそ113世帯で断水が解消されたという。
夕方の県内ニュースでも報道され、「蛇口を開ける方向を忘れるくらいでした。出た瞬間は感動です。トイレとかお風呂とか本当に不便でしたもう自分にとってはすごい試練でした」とのコメントが放送されていた。
多くの珠洲に居る被災者の共通した思いだろう。
水が自由に使えないというストレスは、現代の生活に慣れた我々にとって想像以上に大きなものだ。

まだ通水できたのは珠洲中心部の一部の地域だが、これからどんどん一般の家庭にまで広がっていくことだろう。
珠洲の上下水道の開通が実現できたのは「名古屋市上下水道局」の皆さんを始めとする、県内外の水道局の方のご尽力のおかげだ。
時折金沢で金沢市水道局の前を通ると、昼夜問わず大型バスに乗った全国の水道局の人たちが、能登に向かったり、反対に金沢に帰ってきたりする光景を何度も目にした。
全国の公共の水道局や民間業者の総力のお陰で、何とかこの日を迎えることができたと感謝している。

確かに発災より3ヶ月以上経ってからの通水については、遅いという批判も理解できる。
しかし、少なくとも国を上げての県内外の協力がなければ、この日を迎えられなかったであろう。
様々な制約を乗り越えてこの日を迎えられたことを僕は忘れはしない。

いい知らせの後には、そうでない知らせもあった。
前から噂されていた上戸小学校の閉鎖は3月20日に確定していた、とのことだった。
ある家族は自宅に戻り、ある家族は仮設住宅に当選し、ある家族は他の避難所に移り、ある家族は珠洲を離れるなどして徐々に上戸避難所に避難する人数も少なくなっていた。

通水がまだ始まったばかりなのに、3月末に向けてどんどん避難所が閉鎖されていく事態に、先行きの不安を感じずにはいられなかった。
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