第41話 1月17日。追悼。

文字数 1,208文字

14日珠洲の天馬さんたちの集落から金沢に帰るライトバンの中で、みんなで次の支援をどうしようか話し合った。
今回の支援で被災された多くの方が喜んでくれたのが嬉しかった。
そして被災された方が望む支援の物資が、大きな避難所と自宅などの自主避難所では随分異なることもわかった。
天馬さんが住んでいる集落は、まだ被災直後のような状況だ。

それぞれに適したきめ細かいニーズの把握は、今の混乱した状況だと行政任せにするのは難しいという現実も垣間見えた。
実情を踏まえた今後の支援の方法について話し合いながら金沢に戻った。

金沢に戻ってからは、日々いろいろな知らせがあった。

先ずは日々改善している、のと里山海道の状況だ。
1月18日の朝より「のと里山海道」の徳田大津IC~横田ICが、金沢から穴水方面のみ、緊急車両等に限り通行可能になるとの発表があった。
復旧工事中のため、40km/hの速度規制となるというが、これで渋滞区間が少し緩和されることが期待される。
「緊急車両等」という範囲がどこまで含まれているかを県に確認すると、被災地に自宅がある方は通行可能と確認することができた。
これで少しでもスムーズに珠洲に行けるようになればと期待する。

もう一つは能登半島地震を受け、珠洲市と能登町の中学生が21日の日曜日から、金沢市の医王山スポーツセンターに集団避難すると石川県知事が表明した。
隆太さんが珠洲で言っていた情報が正式にアナウンスされた形だ。

はるき君、ともき君とも申し込み済みで、21日からは僕の家を出て、医王山スポーツセンターに移ることとなった。
清恵さんは引き続き僕の家でしばらく暮らして、はるき君達の生活に問題がないようであれば珠洲に戻る。
お兄ちゃん達や清恵さんにすっかり懐いた、聡と春香は寂しがるだろう。
はるき君達が家を出るその日まで、うちの子供たちは黙っていることとした。

そして今日は1月17日。
阪神・淡路大震災から既に29年が経過した。
6434人もの人が亡くなった阪神・淡路大震災。
各地で追悼行事が開かれた。
そして関西の被災地からも、正月に地震が発生した能登半島に思いが寄せられた。

阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震。
他にも大小様々な地震があり、都度心痛めていたが、正直心の何処かで遠い世界のような気持ちがあったのは事実だ。
こうして自分が大地震の被災者となって初めて、それらの震災の当事者の想いを本当に共感できた気がする。

この日本の下には大陸のプレートが複雑に絡み合う。
いつどこで大きな地震が起きるかは誰もわからない。
関東大震災や、南海トラフ地震など直近の発生確率が高いと言われている地域も警戒が必要だが、能登のように地震の確率が低いと言われていた地域も決して安全ではない。

地震が起きないことを願いつつ、地震に対する備えは常に怠らないようにして暮らす必要がある。
仕事でも設計士として防災の意識をより高めて、図面を描くようになった。
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