十一

文字数 8,602文字

 レセプションの翌日、二日酔いで体調を崩したマキノをホテルに残し、ショウとサヤカは上海市内に出た。空は晴れていた。
「マキノ主任があんなにお酒弱かったなんて、知らなかったわ」
「随分と飲まされていたからな、老酒が効いたようだ」
 ショウがククッと笑う。
「ショウ先輩は、お酒強いんですね」
「そうでもないさ、普段、鍛えられてはいるけど」
 すぐにユキナの顔を思い出した。
「私は全然飲めませんから、逆にお断りしやすいんです。マキノ主任の立場では、そうもいかないのでしょうけど。それにしても中国側の歓迎にはびっくりしました。政治的な交渉で来たわけでもないのに」
 ショウが頷く。
「確かに度が過ぎていたな、君がいなければ、女性でもあてがわれそうな勢いだったからな」
 そう言うと、サヤカが頬を赤らめた。
「男の人ってすぐにイヤらしいこと考えるんですね? ショウ先輩もそういうの好きなんですか?」
「さあね、接待されて悪い気はしないが」
「まあ、信じられない、ショウ先輩までそんなこと言って」
 口を尖らせるサヤカを見て、ショウは声を上げて笑った。
「冗談だよ」
「ところで今日は何を調べに行くんですか?」
「ああ、ペニンシュラ上海に行く」
 リュウの妹であるサエキキョウコから、聞き出した情報だった。リュウはすでに拠点を移しているであろうが、滞在していたことが確かであれば、何かしらの痕跡が得られる可能性がある。ハダが同行していたかわかるかもしれない。またホテル周辺の繁華街を尋ねてみるつもりだった。リュウが遊び歩くとは思えないが、僅かでも痕跡を見つけたかった。今回の上海行きは、ショウにとっては願ってもない機会だった。正直、ハダの事件などどうでもよかった。むしろ事件が明るみになることを危惧していた。例え逮捕されたとしても、奴が口を割ることはないだろう。奴は仲間を裏切るような男ではない。それに奴には貸しがある。あの男、借りを返さずにいられる男ではない。幸いリュウの存在は警察に覚られていない。とにかく誰にも気づかれずに捜査という形を借りて、ハダケンゴを見つけ出すことだ。
「先輩、どうしてペニンシュラホテルに?」
「少し前までハダが滞在していたらしい」
「え? 初めて聞きました。先輩はいつその情報を?」
 ショウは黙っていた。
「それって、もしかして、例の先輩が使っている李とかいう情報屋からですか?」
「ん? まあ、そんなところだ」
 そんな子供騙しで隠し通せるとは思っていなかったが、今はそんな議論をしている時間などない。ペニンシュラ上海は、ショウたちが宿泊しているリッツカールトン上海から、黄浦江を挟んで目と鼻の先にある。ホテルから陸家嘴駅まで行き、地下鉄二号線で南京東路駅で下車、黄浦江沿いを歩く。やがてペニンシュラの白い建物とロータリーの噴水が見えてきた。
 ロビーでサヤカを待たせ、一人でフロントに向かった。さすがは高級ホテル、ちゃんと日本語がわかるスタッフが対応してくれる。
「日本の警察の者だが、ある日本人の滞在記録を調べてもらいたい。当局からも許可を得ている。名前はハダケンゴ。もう一人日本人が一緒だったかもしれない。名前はキョウゴクシズカ」
 フロントの女は少し困ったように唇を噛んだ。
「すみませんが、他のお客様の情報をお教えするわけには」
「公安庁の劉氏の許可は得ているのだが」
「そう申されましても」
 ショウは身分証を提示し、人民政府公安庁外事弁公室の担当係官である劉正元の名刺を出した。
「わかりました。少々お待ちください」
 フロントの女は事務所へ姿を消した。しばらくして副支配人と名乗る男が現れた。
「タザキ様、あいにく当ホテルにハダケンゴ様という方の宿泊記録はございませんでした。しかしキョウゴクシズカ様の記録はございました」
「一人か?」
「はい。お部屋はそれぞれお一人づつでございました」
「それぞれ? 他に連れがいたことを覚えているのか?」
「はい。他に日本人男性と台湾人女性が一緒でした」
「それはいつですか?」
「六月五日から十日間でございます」
「何? 一週間前まで滞在していたというのか」
 ショウが溜息をついた。
「連れに台湾人女性がいたと言ったな? 名前はわかるか?」
 副支配人がフロントのPC端末のキーボードを打つ。
「王美玲様という方でございます」
 初めて聞く名だった。その女がリュウと同行している。恐らく偽名を使っているのはハダケンゴだろう。
「彼らの次の滞在先を知らないか?」
「さあ、そこまでは存じ上げません」
 ショウが食い下がった。
「例えば彼らがよく行っていた店とか、よく会っていた人物とか、何でもいい、思い出せることはないか?」
「すみません、それ以上は」
「そうですか、有難う」
 ショウが背を向けると、思い出したような声がした。
「あ、タザキ様、そう言えば一度だけ、キョウゴク様にフェリー乗り場を聞かれた記憶がございます。その時は黄浦江の上海国際フェリーターミナルをご案内申し上げました。上海の夜景をご覧になるのだとか」
「副支配人、有難う」

 ロビーに戻ると、サヤカが心配そうに立ち上がった。
「ショウ先輩、何かわかりました?」
「ああ、奴は一週間前までここにいて、フェリー乗り場の場所を聞いたそうだ」
「え? 一週間前ですか? 単独ですかね?」
 ショウがチラとサヤカを見る。
「ああ、一人で部屋を取ったそうだ」
「それにしても、ハダは何故単独で上海に来たんでしょうか?」
「そうだな、その辺が繋がらない」
「フェリー乗り場と何か関係があるのでしょうかね、まさか上海を経由して他国に逃亡したとか」
「有り得ない話ではないが、それなら一週間上海に滞在する意味が無くなってしまう。他に上海に滞在する理由があるはずだ。とにかく一度フェリーターミナルに行ってみないと」
 二人はタクシーで上海国際フェリーターミナルに向かった。ターミナルへは車で二十分程の距離である。蘇州河に架かる外白渡橋を渡ると、そこは虹口区である。黄浦江沿いに下れば、幾つもの港が見えてくる。
「確かにフェリーターミナルが幾つもあって、初めての人間には少しわかり難いな、船の数も多いし」
「そうですね、日本の船もあるみたいですよ」
「しかし、この黄浦江というのは本当に河なのか? しかも長江の一支流だと言うんだから驚くよ。まるで湾だな。長江とは一体どれほどのものなのか想像もできない」
 ショウは停泊するフェリーを眺めながら、弟リュウの顔を想像してみるが、自分の子供の頃の顔にしか辿り着かない。幼い頃の少し生意気な表情だけが微かに思い出される。
「俺が生まれ育った東北地方に北上川という川があって、東北では最も長く川幅もある大河なのだけれど、比べものにならないな」
「知ってます。小学生の頃、地理で習いました。日本で五番目に長い川ですよね」
「よくその川で弟と釣りをした」
「先輩に弟さんがいらっしゃったんですね」
「ああ、子供の頃の話さ。実は殆んど覚えていない」
 サヤカが首を傾げた。
「忘れてしまわないように、自分の頭の中で思い描いてきた。大きな川を見ると、ついクセで思い出してしまう」
「先輩の弟さんは今、どちらに?」
 ショウはしばらく黄浦江を眺めていた。
「弟は、死んだんだ」
 サヤカがハッと息を飲んだ。
「先輩、ごめんなさい」
「いや、こんなセンチな話をした俺が悪い。逆にすまない」
 しばらく車中で、二人は無言のままだった。

 上海国際フェリーターミナルには、各国の船が停泊していた。チケット販売所で聞き込みをしたが何も得られなかった。このターミナルからは、主に日本や香港といったアジアの主要都市への定期便がある。フェリー会社に問い合わせたが、ハダケンゴ、キョウゴクシズカらしき人物の乗船記録は見つからなかった。二人は一度、外灘区まで戻り食事をとった。黄浦江沿いに広がる『バンド』と呼ばれるこの地区は、欧風建築のビルディングが建ち並び、上海の国際都市としての雰囲気を味わうことができる。銀行や海外の大手企業、高級料理店も多い。ショウはバンドの中にある有名な日本料理店を調べていた。
「ショウ先輩、せっかく上海に来たんですから和食はやめにしませんか? 私、先輩と横浜中華街に行ったの楽しかったな。男の人とあんな風に二人で食事したこと無かったから」
「警部補、ハダケンゴは日本人だ。少なくともホテル以外で食事するとすれば、ホテルから近いバンドの高級日本食と考えるのは間違いかな?」
 サヤカが口を尖らせる。
「ショウ先輩の推理は正しいと思いますけど、バンドも広いですからね」
「確かにそうだが、ハダという男は金持ちのボンボンだ。きっとその街で一番の店を探して行くだろうな。行き当たりばったりの店に入るような男じゃない」
 ショウはバンドにある日本料理の老舗『北野』に予約を入れていた。食事の後、ショウはそれとなくハダケンゴについて尋ねてみたが、情報は得られなかった。しかし、店内の壁に掛けられた『北斎』のレプリカが気になって尋ねると、この辺は海外の美術品コレクターが集まり、特に日本の北斎や広重などの浮世絵のウケが良いのだと知った。海外の絵画コレクターが集まってくると聞いて、ハダケンゴとキョウゴクシズカの目的を理解した。きっとこの上海のどこかで、表には出せない絵画が売り捌かれている。目的が、買うためか売るためかは知らない。けれども、二人に共通するキーワードは『絵画』そして、ショウ自身にも深く関わっている。この上海で絵画と金が動いている。それはきっと闇から闇へと蠢くものに違いない。だが証拠は無い。あくまで噂、ショウの推理の範疇である。今夜、上海の夜の街に出ようと思った。危ない情報は、危ない場所で得るに限る。ショウはチラとサヤカを見た。どういう理由をつけて夜の街に出ようか。サヤカは誤魔化せないだろう。そういうことにはめっぽう鼻が効く。巻き込みたくはないが・・・・・・ショウは小さく溜息をついた。
 夜、ホテルで夕食を済ませてから、ショウは『KTV』に行くと言って外に出た。下手な理由をつけるより、単純に夜の街で遊ぶと言った方が怪しまれずに済む。マキノは苦笑していたが、サヤカにKTVの意味を教えると、「ショウ先輩、最低!」と言って、部屋に戻ってしまった。ショウは苦笑しながら、夜の上海の街に向かった。比較的バンドに近い南京東路駅周辺。上海に新宿歌舞伎町のような街は無いが、虹中路、金沙江路、乍浦路などにいかがわしい店がある。中国という国は建前は売春は違法である。風俗には厳しいとされる。『KTV』とは、元々『カラオケテレビ』の略で、何のことはない要するにキャバクラのことだ。しかし、中国のKTVは金次第では女をホテルに持ち帰ることができる。勿論、ショウはKTVに興味があるわけではない。街中で日本人らしい格好をして立つことで、たくさんの女が声をかけてきた。ショウはその誘いに乗ったフリをして、金で情報を得るつもりだった。
 日本人を獲物にしているためか、女たちは皆日本語が上手い。
「スミマセン。私、日本語ヲ勉強シテイマス。ヨカッタラ近クデ日本語ヲ教エテ貰エマセンカ?」
 ショウが苦笑する。こんな夜の街で日本語レッスンでもないだろうにとは思うが、笑いを堪えて話を聞く。こう話しかけてくる女はたいてい売春が目的ではない。結託したボッタクリ店へと導いて金を使わせるのが目当てだ。恐らくどこか薄暗い飲み屋にでも連れて行かれ、マズいつまみと安い酒を出され、帰り際に法外な請求をする。店には行かないが、手に百元紙幣を何枚か握らせると、女はその場で面白いように饒舌になった。心の中で「毛沢東が泣いてるぜ」と思いながら話を聞いた。すると数人の口から「船上オークション」という言葉が出た。あくまで噂だというが、水商売の仲間の中に豪華客船のコンパニオンをしていた女がいて、数年に一度、船上での絵画オークションが行われると口にした。街の女が知っている以上、この街ではある程度知られた事実なのだろう。しかし、中国当局はこの事実を黙認しているのだろうか?  世話役の劉氏は何も話してはくれなかった。当局が把握していないわけはない。女たちは噂を知ってはいたが詳しくは知らないという。過去に客船のコンパニオンをしていたという女を紹介してもらう約束をして、その日はホテルに戻った。
 翌日、上海は雨だった。上海は六月の下旬から梅雨に入る。東京の雨量とたいして変わらないが、気温が高い分だけ蒸し暑い。この雨が八月まで続く。マキノは相変わらず当局の情報を劉氏から得ようと動いている。マキノが別行動してくれるのは好都合だった。しかしサヤカはぴったりとついてまわった。彼女には本当のことを話しておくべきか迷った。サワムラ警視長はある程度、ショウの行動、目的を理解していると思う。だから敢えて、こんな手薄なチームを組んだのだ。ショウの規律違反は揉み消すことができるにしても、前途あるサヤカにまで規律違反をさせたくなかった。サヤカはきっとショウのためなら危険を冒してしまう。この上海での捜査を引き受けたことを後悔し始めていた。それにしても蒸し暑い。上海はまだマシな方かもしれない。これが更に赤道近く、香港や東南アジアに行けば、雨量も気温もこんなものではすまない。広州という土地はどんなところだろうか? ショウは靄のかかった上海の街をボウッと眺めていた。
 夕方、雨は降り続いていたが、一人で外出した。「KTVに行く」と言えばサヤカは付いてこなかったが、薄々は他の目的があることくらい気付いているかもしれない。街の『サウナ』と呼ばれる高級ソープに、船上オークションのコンパニオンをしたという小姐がいると聞いていた。通常の料金の十倍払う約束で会うことができた。
「口止メ、サレテルンダケド」
 闇オークション側も口が止まるとは思っていない。本当に口止めするつもりなら、すでにこの女は生きていないだろう。だからこの女から得られる情報は、極表面的なものかもしれない。けれども実際に船に乗ったことのある人間から得られる情報は貴重だった。
「トコロデ、オ客サン、本当ニ服ハ脱ガナイノ?」
「ああ、いいんだ」
 ショウは服を着たまま、ベッドに腰掛けた。
「船上で何が行われてる?」
「名画ノオークションッテ聞イタケド」
「上海国際フェリーターミナルから出ているのか?」
「ソウ、上海ヲ出テ、マカオニ向カウ船」
「マカオ行きのフェリーってわけか」
「デモ、港カラワカラナイヨウニナッテル。フェリー会社ノ船ジャナイカラ。多分、中国政府ノ船ダト思ウ」
「何? 中国政府だと? それは確かなのか?」
「サアネ、ソコマデハ、知ラナイケド」
「その船に乗るためにはどうしたらいい?」
「一度港ヲ出タラ、マカオニ着クマデ難シイヨ。デモ、マカオニ停泊シテイル時ダッタラ、招待客ハ乗リ降リ自由ナハズヨ」
「どんな客が招待される?」
「海外ノVIP達ヨ、ソレカラ政治家モイル」
 ハダケンゴやリュウにそのような招待があったとは思えない。誰か後ろ盾があると考えるのが普通だろう。北陽会か? いや、有り得ない。台湾の組織と見るべきだ。
「その船はマカオに停泊するんだな?」
「そうよ、一週間」
 ショウはハッとした。今、将に船がマカオに停泊しているかもしれない。空路で行けば、今夜中に着くことができる。
「謝謝!」
 ショウはすぐにホテルに戻り、旅の支度を済ませた。そしてホテルのバーにサヤカを呼んだ。サヤカは頬を膨らませていたが、すぐに出てきた。
「どうしたんですか先輩、真面目な顔して。KTVつまらなかったんでしょう?」
「KTVには行っていない。それより頼みがある」
 サヤカがキョトンとした。大学を出て数年しか経っていない若い女の子が抱え込むには重過ぎる隠し事だが、今は彼女しか頼れない。
「俺はこれから一人でマカオに行く。しばらくの間、マキノには黙って知らぬフリをしていてくれないか?」
「え? マカオに? どうしてですか? 理由によってはお引き受けできません。重大な規律違反になります」
「わかってるさ、俺が今から言うことをよく聞くんだ。だが、俺は規律違反だろうが何だろうが、今、君に話し終えたら、すぐにここを発つ」
 サヤカがショウの目を見つめた。まだ二十四、五歳の若い娘とは思えない、落ち着いた壮麗な目だ。
「覚悟は決まってるってことですよね」
 ショウが頷く。
「実はハダケンゴは単独で上海に来たわけじゃない。キョウゴクシズカと名乗る男、本名、タザキリュウ、つまり俺の弟と一緒だ」
 サヤカが大きく息を飲んだ。
「先輩の弟さんは亡くなられたと」
「スマン、嘘をついた。できれば誰にも知られたくなかった」
「そうだったんですね」
「ああ、俺はハダケンゴを追いながら、本当は、子供の頃に生き別れた弟を探していたんだ」
 サヤカはこれまでのショウの行動を思い返していた。確かにショウはハダケンゴの捜査上に常にいて、ハダを追い詰めながら逮捕の機会を逃している。ショウの能力からして考え難いことだった。
「そして今、ハダケンゴと弟を乗せた船が、マカオに停泊している可能性が高いことがわかった」
「フェリーのことですか?」
「そうだ、そのフェリーの中で、世界的な絵画の闇オークションが開かれていて、それに参加するために奴らは上海に来た」
「繋がったんですね」
 ショウが頷く。
「ああ、だから、俺は今からマカオに行く」
 席を立ちかけた。するとサヤカがショウの腕に手をかけた。
「先輩、本当のことを言ってください」
「本当のこと?」
 サヤカを見つめる。
「ショウ先輩と弟さんには一体何があるんですか? その本当の動機がわかるまで、先輩を行かせるわけにはいきません。私、これでもれっきとした警察官ですから!」
 ショウがサヤカを抱きしめた。ブルガリの香水が香った。
「後で必ず話すから」
 サヤカの目に涙が浮いた。
「ずるいですよ、先輩、私が先輩のこと好きなの知ってて、それを利用するんですね」
「すまない、今は行かせてほしい」
 サヤカが顔を上げた。
「知りません、先輩のことなんか、私は今夜、先輩になんか会ってませんから」
 ショウがバーを出た。そして目を瞑り、
「有難う」
 と呟いた。

 上海虹橋国際空港からマカオ国際空港までは、二時間のフライトである。現地時間で二十時十五分に出て、二十二時四十五分にはマカオに降り立っていた。その日は空港近くのホテルに部屋をとった。
 翌朝、澳門島にある外港フェリーターミナルに向かった。客の多くは停泊期間中、タイパへ渡りカジノを楽しむ。澳門(マカオ)は東洋と西洋とが行き交い、歴史と現代とが混ざり合う街だ。四百年以上前、ポルトガルがマカオに進出し、キリスト教布教の拠点ともなった。そしてその歴史の面影が色濃く残っている。一九九九年十二月ニ0日、マカオはポルトガルから中国に返還された。現在は中華人民共和国澳門特別行政区である。南ヨーロッパの建築が残る旧市街地、清時代の様式が残る繁華街。そしてカジノ。ニ00ニ年にカジノ経営権が外国企業にも開かれたことで、今やラスベガスを凌ぐカジノの街となった。世界中のVIPが集まり、金と権力と女、人々の欲望が渦巻いている。キリスト教色を残す教会、礼拝堂とのコントラストに皮肉なものを感じるが、それが人間の世であり、ショウはむしろ、偽りのない世界観を見たような気がした。
 マカオのフェリーターミナルには、海外からの船が多く停泊していた。天気は常に湿っている。雨が降ったり止んだり。そう言えば、広州は香港の目と鼻の先である。『六月の雨』とは、このような天候にちなんで付けられた名称なのかもしれない。薄い靄のかかった港。灰色の海。どこか気だるさを感じさせる。
 その頃、上海のホテルではマキノがサヤカを問い詰めていた。いつまで経っても朝食に現れないショウを不審に思い、サヤカに尋ねたのだった。ショウはホテルをチェックアウトしていなかった。そのまま荷物だけ持って消えたのだ。マキノはまだそのことに気付いていない。また勝手に上海市内を歩き回っていると思っていた。だが、いつもショウの後をついてまわっているはずのサヤカが、今日は一人でいるのを見て、異変を感じたのだった。
「サヤカさん、ちょっといいですか、タザキ刑事を知りませんか?」
「ショウ先輩のことは知りません。一人でもう街に出たんじゃないですか?」
 マキノがサヤカの目を見つめる。サヤカが目を合わせない。
「サヤカさん、何か私に隠していませんか? だって、おかしいじゃないですか、いつもタザキ刑事に引っ付いていたあなたが・・・・・・」
「そんなこと、ありません。マキノ主任、私を疑っているんですか?」
「いえ、サヤカさんに限って、そんな」
 しかしマキノの目が疑っている。サヤカに遠慮しているだけだ。
「サヤカさん、僕を甘く見てはいけませんよ」
 サヤカが席を立つ。
「私、ちょっと生理になっちゃって、体調が悪いんです。すみませんが、今日は部屋で休ませていただきます」
 マキノが後ろから声をかける。
「でも、タザキから連絡があったら、必ず僕に知らせるんですよ、いいですね?」
 サヤカが頷いた。鼓動が耳の傍で鳴っていた。
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