文字数 3,440文字

 芸能プロダクション社長、ヤマザキカズオの事務所は秋葉原にある。中央通り沿いから裏通りに二本入ったところにある雑居ビルの三階。近くに「Cat ear」という風俗店があり、その店の常連客だった。ここでは「クイーンズエクスタシー」という危険ドラッグを入手することができる。ヤマザキは店のオプションでメニューには無い性交渉を楽しんだ後、ドラッグを仕入れて事務所に帰った。今夜、ヨシザワエリナが事務所に来ることになっている。エリナはヤマザキの芸能プロダクションに所属するAV女優であったが、最近、別の事務所に移籍したいと申し出てトラブルになっていた。その話し合いのために訪れることになっている。ヤマザキは、クイーンズエクスタシーを飲んだトランス状態でセックスするのが好きだった。エリナが来たら何とか口実を作り、薬物を使用しながらセックスを楽しもうと考えていた。それに今日は久々に『ブラッド』を北陽会の売人から手に入れた。それをどうしても女とのセックスで試したかった。性欲が高ぶってウズウズする。すでに下半身が熱くなっていた。
 もうAVには出たくなかった。エリナが唇を噛んだ。有名にしてあげると甘い言葉をかけられて専属契約をしてしまったが、後にAVだとわかって拒否をした。するとヤマザキは法外な違約金を払うように迫り、暴力団関係者の報復を臭わせた。仕方なく応じるしかなかった。そんな時エビサワユウジと知り合って、移籍に話を持ちかけられた。エビサワはAV以外のモデルの仕事を与えてくれた。やがて男女の関係になった。エリナは今日の話し合いで、完全にヤマザキと縁を切ろうと思っていた。
 夜九時を少しまわった頃、事務所のインターフォンが鳴った。モニターにヨシザワエリナ一人の姿が映っている。
「本当に一人で来るなんてバカな女だ」
 ヤマザキは小躍りしながら迎え、玄関の施錠を解除した。
「おおっ、エリナ、待ってたよ、早く、早く」
 玄関を開ける。雑居ビルの出入口の鍵は通常は開放されている。玄関は古いタイプのシリンダーキーで、セキュリティーが無いようなものだった。エリナが靴を脱ぐ。ヤマザキがエリナの脚をチラリと見て、鼻唄を歌いながら招き入れた。
「エリナちゃん、相変わらずいい脚してるね」
 ヤマザキの目が血走っている。エリナは契約解除のことで頭が一杯だった。表情は硬く、周囲のものがまるで目に入らなかった。ヤマザキはエリナの少し骨張った首筋を見て、後ろから抱きついて押し倒したい衝動にかられたが我慢した。
「話って?」
「社長、私の契約を解除して下さい」
「だめだね、解除するには違約金が必要だ」
「そんな、契約の時、そんなこと一言も言わなかったじゃないですか」
「でもね、契約書にはちゃんと書いてある。裁判したっていい」
 エリナが唇を噛んだ。
「私、約束通りAVにも出ました。なのに・・・・・・」
「そんなことより、エリナ、新しいドラッグを入手したんだが一緒にどうだ?」
「ふざけないでよ」
「何だよ、せっかく、お前の願いを聞いてやろうと思ってたのに」
 エリナが立ち上がった。
「もういいです。私、帰ります。私にも考えがありますから」
 背を向けて歩き出そうとした時、背後から抱きつかれた。すでにドラッグでハイテンションになっていたヤマザキの力は圧倒的で、エリナはその場に転んでしまった。その上からヤマザキが覆い被さるように倒れ込んだ。嫌がるエリナは足をばたつかせたが、すでに馬乗りされ強引にブラウスを引き千切られた。ペッと唾を吐きかけると、平手が飛んできた。声が出なかった。ヤマザキの脂ぎった顔が近づいてくる。顔を背けたが頬の辺りに舌を這わされ、両腕を強く押さえつけられて身動きできなかった。その時、ヤマザキの頭の向こうに人の姿が見えて、ボコッと硬いもの同士がぶつかる音がした。押さえつけられていた力が急に抜け、血走った瞳を開けたまま、ヤマザキの頭部が落ちてきた。エリナはすぐにヤマザキの重い体をずらすようにして押し退けた。そして、その場に突っ立っている呉美華の姿を見た。
「美華さん・・・・・・」
 呉美華の目は据わっていた。クリスタルの灰皿には半透明の血がついていた。それを死体の上に放り投げた。
「このゲス野廊が!」
 吐き捨てた。それから呉美華は冷静に部屋の中を歩き回り、クイーンズエクスタシーを見つけると回収した。そしてエリナの傍まで来ると、上から見下ろした。
「あんた、このことを誰かに言ったら命は無いよ、いいね」
 エリナは顔面蒼白のまま、何度も頷いた。
「え、ええ、わかってるわ、美華さん。美華さんが来てくれなかったら、私・・・・・・」
「私はアンタを助けたかったんじゃねえよ。こういうゲスな野廊が許せねえんだよ。天罰を食らわせてやったんだ」
 エリナは目を真っ赤にしていた。
「私、絶対に誰にも言わないわ」
 呉美華はテーブルの上に放置してあった赤い粒を見つけた。「ブラッド」のことは知っていた。今、新宿歌舞伎町を中心に都内に広まりつつある新しいドラッグだった。それがどうやら北陽会から売人に流れていることも耳にしていた。北陽会がどこから仕入れているのかは不明だった。噂では海外から入手していると言われていたが、少し前に香港からの密輸が摘発されたばかりであるし、そのルートが生きているとは思えなかった。クイーンズエクスタシーは、栃木県今市市の山中で仲間が独自に精製したものだ。ある意味、商売敵であることは否めない。呉美華は赤い粒をヤマザキの死体の傍に置いた。北陽会とのトラブルを臭わせたかった。このことを知っているのはエリナだけだ。ヤマザキは普段から人の恨みを幾らでも買っている。殺されても不思議ではなかった。それに、こういう時のために警察の弱みを握っているのだ。SDカードは自分の手の中にある。捜査の手が及びそうになったら、警視正オニズカロクロウを動かすつもりだった。

深夜十二時をまわった頃だった。ショウの携帯電話に、万世橋署の組対係長シンジョウケンから連絡が入った。署内ではリーゼント係長と呼ばれる名物刑事である。
「ショウか? 夜分遅くにスマンが、芸能プロダクション社長のヤマザキカズオが殺害された。殺害現場は秋葉原の事務所だ。部屋が物色された形跡がある。死亡推定時刻はまだハッキリとわからないが、数時間前だろう。ヤマザキの事務所を訪ねた女が第一発見者だ」
「わかりました。すぐ戻ります。明朝には着くと思います」
 すぐに東京に向かった。松尾八幡平ICから乗り、漆黒の闇をヘッドライトがぶった切った。都会の明かりが大きくなるにつれ、高揚していることに気がついた。翌朝には秋葉原の現場に立っていた。
 芸能プロダクション、Y企画は秋葉原の雑居ビルの五階にあった。一階がAVセル店で、二階、三階が風俗店、四階がヤマザキが経営する消費者金融が入っている。ショウが到着すると、すでにシンジョウケン、同僚のヤマガタジュンイチが遺留品を調べていた。
「ショウか。休暇中悪かったな、お前、確かガイシャと面識があったよな」
「ええ、ハダケンゴの捜査中に一度、六本木の自宅マンションで」
「また、あの男か」
 ショウが苦笑する。
「ハダとヤマザキはどういう繋がりだったんだ?」
「ドラッグだと思います。それとヤマザキは、ハダの息のかかったAV製作メーカーに女優を提供していました。製作サイドとダクションの関係です」
「と言うことは北陽会絡みだということか」
「そうかもしれませんが、ハダケンゴは北陽会と手を切っています。元々一匹狼だったというか、組織とは外れて商売をしていたようです」
「だが、ヤマザキの遺体の傍からブラッドが発見されている。奴はそれを常用していたようだ。一先ず、北陽会とのトラブルの線で洗おうか」
「ところで、第一発見者の女性は?」
「今、署で事情を聴いている。名前はヨシザワエリナ三十歳。Y企画の女優だったが、先月、事務所との契約解除を申し出ている。そのことでヤマザキとトラブルを抱えていたらしい。本人が言うには今日はその話でガイシャの事務所を訪れたとか」
「金銭のトラブルですか? それとも痴情のもつれとか」
「さあな、契約に関してだろう、最近、その手のトラブルが多発している。一応、そのヨシザワという女の怨恨の線を調べてみてくれ。北陽会の方は俺たちであたってみる」
「わかりました。とにかくヨシザワエリナに一度会ってみます」
 ショウは万世橋署に急いだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み