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 ユキナの後を誰かがつけていると感じる。ふとした瞬間に、誰かに見られているという感覚が確かにある。テレビに出始めた頃は、有名人になるとはこういうことかと自分を納得させたが、どうもその類の視線とは異なる。ファンの視線というものは、時にいやらしさを感じる場合もあるが、たいていは驚きと憧れと、興味の入り混じったものだ。空気が連鎖するというか、わかりやすいことの方が多い。しかし、今感じている視線は、醒めた好奇の目だ。これがパパラッチと呼ばれるものなのだろうか。ユキナは過去に、共演した俳優と喫茶店でお茶をしている姿を一枚撮られている。週刊誌に載ってしまったが、ユキナの父がオロオロしただけで、ショウは怒るどころか全く気にも留めなかった。あれ以来、共演者との交流にも充分注意してきたし、ショウがいたので、仲間と遊ぶ気にもならなかった。イケメン俳優から合コンに誘われても断った。それでしばらくは、そんな視線も感じなかったが、横浜中華街での事件に巻き込まれて以来、時々誰かの視線を感じるようになった。思えばあの時、写真は撮られなかったものの、ショウの部屋に入り浸っていた。一般男性とのロマンスでは、それほど話題にならなかったのかもしれないが、あの時のユキナと今とでは状況が異なる。今では誰でも知るところとなった話題性のあるタレントになっていた。そんなこともあり、ショウと会うことを躊躇う時が増えた。以前なら、そんな世間的な目などクソ食らえとばかりに、自分の感情のままにショウに会いに行っていただろう。恐らくショウも気にするなと言うに違いない。けれども以前のユキナとは心境の面で何かが異なる。自分では何も変わっていないつもりでも、この華やかな芸能の世界に浸かっているうちに変わってしまったのだろうか? パパラッチにショウとの写真を撮られたら、ショウの生活も一変してしまう。警察での立場も危うくなるかもしれない。確かに学生の頃に自ら望んだ芸能の世界。夢の実現? いや、そんな感覚は無い。だから、人生は不思議なものだと感じる。

 秋葉原でのイベントの後、時間が空いたのでマネージャーと二人で総武線に乗り、錦糸町に向かった。ヨシザワエリナのことが気になっていた。
「ユキナさんが、珍しいですね。お友達に会いたいだなんて」
 マネージャーのサトウケイコがスケジュール帳を確認した。ユキナが大手芸能プロダクションに移籍してからずっと彼女が担当している。ユキナよりひとまわり若いがしっかり者で、これまでに大きなミスをしたことは無い。生真面目な性格のため、感覚でものを言うユキナとは意見が食い違う面もあるが、何かと突っ走りがちなユキナを、上手に管理できると会社からの信頼も厚かった。
「ああ、ケイちゃん、錦糸町にあるダクションで、ダイヤモンドエンタープライズとかいう事務所知ってる?」
「ちょっとだけ聞いたことあるかも」
「そこにさ、高校時代の友人がいるんよ。モデルの仕事してるって最近連絡があってさ」
「でも、確か、そのダイヤモンドエンタープライズってプロダクション、あっち系の女優さん多かったような」
 ケイコが顔を紅くした。
「ケイちゃん、あっち系って?」
「AVよ、確かGODのシンドウマリコ社長と関係が深くて、ダイヤモンドエンタープライズの女優さんが多く出てるAVを幾つも出してるって話よ。余り興味無いから詳しくは知らないけど、一応業界の裏話的な情報としてね」
「ふうん、やっぱそうなんだ」
 秋葉原から錦糸町まではものの五分である。駅の改札を出ると、一見大きなビルディングに囲まれて都会的な街並みに見えるが、靖国通りを越えて一歩路地裏に入れば古い雑居ビルや飲み屋がひしめいている。ユキナはエリナからもらった名刺の住所を頼りに歩き出した。雰囲気はどことなく新宿歌舞伎町に似ている。
「ケイちゃんさ、気付いてる? さっきからアタシたちの後をつけてきてる奴がいるの」
「え?」
 ケイコが辺りを見回す。
「今のケイちゃんの動き見てさ、奴ら、バレたと気付いたと思うけど、あれ、どこの出版社かね?」
「ユキナさん、よく気付いたわね。私、全くわからなかった。いつもそうなの?」
「ああ、うん、最近ね、ちょっと酷い。ある程度この世界に入った時から、プライベートが無くなるって覚悟はしてたけど、さすがにウザい」
「でもユキナさん、他人事だと怒るかもしれませんけど、それって一流の芸能人の証拠みたいなものなんじゃないですか?」
 ケイコは大学を出てすぐに大手芸能プロダクションに入社し、ユキナが初めての担当だった。会社で様々なファン対応やパパラッチ対策を勉強してきたつもりだが、実際に目の当たりにするのはこれが初めてで、どこか軽く考えている部分がある。会社もユキナがそれほど人気が出るとは思っていなかったのかもしれない。ユキナにとってケイコはまだまだ年下の妹のような存在であり、友人であり、よき相談相手でもあったが、年上の自分がしっかりしなければと常に思っていた。
「あのさ、ケイちゃんさ、それじゃあ、マネージャー失格よん。まあ、別にいいけどさ。でもさ、もしアタシが誰かと会っていて写真撮られて、それが週刊誌載っちゃってさ、人気下がったりしたら会社は大損こくだろ? アタシはどうでもいいけど、ケイちゃんの立場が悪くなるよん」
「ええ? ユキナさん、誰かと会うって男の人だったんですか?」
「違うけどさ、そういうことだって考えられるでしょ」
「前の彼氏さん、ショウさん、でしたっけ?」
「あん? まだ継続中なんすけど」
「わぁ、ごめんなさい。最近、全く話題にならないんで、てっきり」
 ユキナが苦笑した。確かに以前はショウのことばかり口にしていた。でも今は、会っていないから仕方がないのかもしれないが、ケイコとは仕事の話が殆んどだった。
「じゃあ、ユキナさんは写真撮られるのを気にして、ショウさんと会わないようにしているとか?」
「ん? まあな、それもある。それもあるけど」
 言葉に詰まった。言いたくなかったのではなく、その理由をユキナ自身が理解していなかった。
「アタシとショウは、熟年夫婦みたいなもんだからな。まあ、空気みたいなもんよ」
「わぁ、カッコイイですね。そんな深い絆に憧れます、私」
「そ、そうか」
 ユキナが苦笑した。
「ショウさんと結婚はされないんですか?」
 ユキナが頬を紅くする。
「お、おう、アタシもショウも忙しいかんな」
「ふうん、そんなもんなんですかね、結婚って」
 ユキナは何も答えなかった。
 駅の南口を出て五分ほど歩いた繁華街の中に、その雑居ビルがあった。辺りを見回すと、どの店も閉まっている。明らかに風俗店とわかる裸の女の写真が貼ってある看板。まだ明かりが灯っていないネオンがあちらこちらに見える。
「確かに、この辺りなんだけどな」
 ユキナがヨシザワエリナからもらった名刺を片手に立ち止まった。
 その様子を事務所の窓から見ている男がいた。ワタナベタイチである。タイチがぼうっと外を眺めていたところに、急にタレントのミウラユキナらしき女が現れたので、思わず声を上げた。
「兄貴、あれ、あれ、タレントのミウラユキナじゃないっすか?」
 タイチは興奮していた。以前、テレビで活躍するユキナを見て一目惚れしていた。あの時は兄貴分のエビサワユウジに鼻で笑われた。エビサワにとっては、六本木のバーで偶然連れの男に遭遇し、その男が筋者ではないかと悟って手を引いた過去がある。それにミウラユキナという女は、裏道を行く人間にはなびかない何かを持っていると感じた。結局、連れの男の正体を深く探ることはしなかった。
「兄貴、ねえ、兄貴、俺、ちょっと行ってナンパしてきていいっすか?」
 エビサワユウジが苦笑する。
「タイチ、やめておけ。お前みたいな田舎者が相手にされるような玉じゃない。眺めるだけにしておけ」
「そんなぁ、兄貴、俺、あの女超タイプなんすよ」
 エビサワが笑う。
「世の中にはな、金や力ではどうにもならないものがある。お前に一生無理だとは言わんが、今のお前とでは所詮住む世界が違う。釣り合いの取れねえ相手だよ」
 そんなことを話している間に、ユキナとケイコは錦糸町駅へと続く道をまた引き返して行った。タイチは恨めしそうに窓の外を見た。
「しかし、何しにこんな所まで来たんすかね? 何か探しているような素振りでしたけど」
「さあな、道に迷ったんじゃねえのか?」
「そうっすかねぇ、案外、ウチの女の子のダチだったりして」
 エビサワがタイチを見て、また鼻で笑った。すると事務所にヨシザワエリナが入って来た。それを見てタイチは頭を下げ、部屋を出て行った。
「エリナ、こっちに来い」
 エビサワが強引にエリナを抱き寄せた。そしてねじ込むようなキスをした。エリナが顔を背ける。
「やめてよ、ちょっと」
 エビサワが淀んだ笑みを浮かべた。
「少しは慣れたか?」
「慣れないわ、こんな街」
「お前にいい話がある。今度、Vシネマに出てみないか?」
「Vシネ?」
「ああ、主役級の扱いだそうだ」
「そうなの?」
「お前が出たがってるテレビや映画はその先だ。もう少し名前を売ってから俺が話をつけてやる」
 エリナが訝しげにエビサワを見つめた。
「そう言って騙して、AVじゃないでしょうね?」
 エビサワが苦笑した。
「今はAVからタレントになる子も多い」
「絶対に嫌」
 エリナが睨んだ。
「そう言や、さっき、有名なタレントがそこを通った。ミウラユキナとかいう料理研究家だとタイチが言ってたな」
「え? ユキナがここに?」
「何だ、お前、ミウラユキナの知り合いか?」
「高校の同級生だけど」
「ほう、そうか、お前もいい友達持ってるじゃねえか」
 エリナが窓から外を眺める。
「ユキナ、何しに来たんだろ? まさか私に会いに・・・・・・」
「それを知ったらタイチが泣いて喜ぶぞ。何しろアイツはミウラユキナにゾッコンのようだからな」
「やめてよね、ユキナはすでに有名タレントなんだから、私なんかと一緒にしないでよ。タイチくんには悪いけど、相手になんかされっこないわ。それに、ユキナの彼氏、刑事だし」
 エビサワの眉間に皺が寄った。
「何? あの男、刑事か?」
「知ってるの?」
「いや、チラと見かけたことがあるだけだ。そうだエリナ、今度お前のお友達に聞いといてくれないか? お前のお友達の彼氏はどこの刑事かってな」
「知ってどうするの?」
「どうもしないさ。それよりエリナ、隣の部屋に行こう。タイチにはしばらく戻ってくるなと言ってある」
 エリナが下を向いて唇を噛んだ。
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