第10話 禁断の療法

文字数 1,288文字

 待望の夢のカードが実現した。
 夏の甲子園大会準々決勝。
 広島代表・雷音寺VS東東京代表・修学院。
 甲子園球場は超満員の大盛況である。
 それというのも、修学院・立花の人気が女子の間で異常に高い。
 甘いマスクに高身長。まるでアイドル並のルックスだ。イチ高校球児でありながら、
たびたび女性誌の表紙をかざっている。
 試合前から立花樹を応援する黄色い声がスタンドのあちこちで響く。記者席の緒方と
梅宮は憮然とした面持ちで試合がはじまるのを待っていた。

「なあ、立花のあの噂、本当なのか?」
 緒方が隣席の梅宮に話題を振った。
「間違いない。立花樹は左肘、左膝に重大な故障をかかえている」
 立花は左投左打の選手だ。利き腕を故障していながら、たった一人で地区予選、そし
てこの甲子園で3回戦を投げ抜き、バッティングでも存在感を発揮してきた。
 体はとっくの昔に悲鳴をあげ、限界を迎えているだろう。
 梅宮が声をひそめてこたえる。
「同僚の記者がウラをとった。鍼灸の世界では名医として知られる横浜の『藪下鍼灸治
療院』にわざわざ東京から通っていたそうだ」
 高野連との紳士協定があるので個別のネガティヴ情報は大会前には書くことができな
い。だが、その種の噂は記者仲間の間でそれとなく広まってくる。
「じゃあ、この試合……」
 そこまでいって、緒方はあとの言葉を飲み込んだ。
「もう一個、とびっきりの追加情報がある」
「なんだ、それは?」
「どうしようかなあ」
 喋りたくてたまらないくせに、梅宮はもったいつけて緒方の反応をうかがっている。
「わかった。ひとつ借りだ。教えてくれ」
 たとえ所属する会社は違っても、記者の世界は持ちつ持たれつが基本だ。恩を売って
のちになんらかの情報を得ることもある。
 たっぷり10秒の間をとって梅宮はようやく口を開いた。
「その藪下治療院の患者にもう一人、本大会の出場選手がいる」
 横浜というキーワードはすでに出ているので類推は簡単だ。
「日野海渡か……」

 海渡は4年前、リトル世界大会の最中、交通事故に巻き込まれ、骨盤と大腿骨を粉砕骨
折した。その後遺症にいまも悩まされているに違いない。
「あまり、驚かねえな」
 だから一打限りの代打でしか活躍できないのだ。
「だが、この藪下先生、業界では魔法使いと呼ばれるほどの名医でな。表向きは禁止され
ている伏鍼という療法で痛みや痺れを完全に取り去ることができるらしい。もっとも1試
合限りの短い間だそうだが」
「……伏鍼? もしかしたら埋没鍼(まいぼつしん)ことか?」
 体の要穴の深いところに鍼を埋め込む療法は、あん摩、鍼灸に関する法律、いわゆる
「あはき法」で禁止されている。鍼が体のなかで折れ曲がったり、それが原因で神経を
傷つけたりしたら重大な医療事故につながるからだ。
「伏鍼には特別な鍼を使う。その鍼はとても貴重なもので数は多くない。
一人分がせいぜいだ」
 そこまでいわれて、緒方はあっ、と声をあげた。
 伏鍼を打ったのは、立花か、海渡か?
 そのどちらでもないのか?
 いや、そんなはずはない。
 絶対、どちらかが打っている。
 甲子園優勝という星を掴むために。



       第11話につづく
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